で,有名人が被告人となっている場合
マスコミが取材対象にすることもあるんだけど
正直
「X席に対しY人が行列を作っており,世間の関心がうかがわれる」
という情報は,
あれは報道機関が事実に反するニュースを作り上げて自ら報道している類だと思うのよ。
というのは……。
マスコミが報道対象にするくらいだから,マスコミは法廷内にも入ろうとするのよ。
その裁判所の記者クラブに属していれば1社1席で傍聴席は確保されている
(それだけ一般傍聴席が減るわけだが)
でも,たいていはそれでも足りないというので
一般傍聴席の抽選に並んでさらに傍聴席を確保しようとするのね。
これ,確保を確実にしようとして,アルバイトを雇って並ばせて
アルバイトが当選すれば,傍聴券を記者に渡して……というのも当然に行われている。
しかも,報道機関はえてして文系職場だから
「定数20の抽選に20人を超えて並ばせたところで当選確率は上がらない」
ということも(直感に反するがゆえに)理解できなくて
御予算の限り大量に並べるのね。
その結果,「X席に対しY人が行列を作っており」こと自体は嘘ではなくとも
Y人のうちZ人が報道機関によるものだということを確定して
その人数を引いておかないと
「世間の関心がうかがわれる」ことにはならないよね?
だって
Y人のうちのZ人は報道機関が並ばせた人で
報道機関とは関係なく傍聴を希望しているY-Z人とならべて
あたかもY人が「報道機関とは関係なく並んでいる」かのように
報道しているわけで……。
これってある種のやらせそのものでしょ?
というので私は「傍聴券を求めて何人が並んだ。競争率何倍」って情報は
全くの誤り,事実に基づかない,フェイクニュースだとして扱っているのです。
わざわざ訴訟を起こす=訴状を出しておいて,期日前に取り下げるのって信じられないかもしれないけど
実務の世界では,比較的よく見られる話。
というのは,訴状を受け取った被告が,原告と話をつけてしまい
原告としても訴訟が不要になるというのは,比較的よくある話で
これを受けて訴訟を取り下げれば
「最初から訴訟がなかったものとして扱われる。」
(余談だけど国際司法裁判所は「付託事件リストから削除」だけど
日本の裁判所は「事件簿」という帳簿には訴訟があったこと自体は残しておく。
ただどっちも「最初から……」の点は同じ。)
で,そういう事態は想定されていて
民事訴訟法261条1項は「判決が確定するまで」訴えを取り下げることができるとし
262条1項でその効果を「始めから係属していなかったものとみなす」としている。
さて,訴訟は訴状を裁判所に提出することになっているが
細かく言うと裁判所の訴訟にかかる費用は「手数料」「手数料以外の費用」の2本立てで
手数料は収入印紙を買って消印しないで訴状に貼ることで納付することに
民事訴訟費用法8条本文で決まっている。
そのとおりやった人が,事情が変わって取り下げるとした場合
民事訴訟費用法9条3項1号該当で半分返すことになる。
ただし,これは自動的に返るわけではない。
3項は「申立てによる」と明記してある以上,
原告が「訴訟費用還付請求」という手続を申し立てなければならない。
申立をしなければ永遠にもどってこないわけさ。
申立をして要件を満たしていれば,原告指定の預金口座に振り込まれる次第。
さて,某所では
「お金を集めて訴状を出して,だけど取り下げて,半額を戻してもらって……」
を狙っていると推測している話が出ている。
訴えの取下げは「初めから訴訟がなかったものとして扱われる」なので
取り下げてしまうと「裁判をやった」とはもはや言えなくなるはずなんだけど……。
「訴訟をやった(けど取り下げた)。
訴訟をやったから印紙代のことは集めた人からはそれ以上追及されない。
そして半額請求して口座に振り込まれてウマウマ」
と思っている人が,世の中には結構いるらしいことがわかった。
そもそも,根拠がなければ邪推の話ではあるんだけど
もともとの話として,それやるくらいなら,最初から印紙貼らなきゃ丸儲けじゃないか……と。
弁護士だったら印紙貼ってないと窓口で指導入るから
かえってあまり気付かないかもしれないけど
印紙貼ってない・付けてない訴状なんて日常茶飯事と呼べる程度にはあるからねい。
そして裁判所では印紙を貼っていないことだけを理由に訴状扱いをしないということは
できないシステムなのだ。
究極的には民事訴訟法137条1項後段で「補正命令」として印紙納付を命じなきゃいけないし
補正命令にもかかわらず印紙を納めなければ
同条2項によって訴状を却下することになる。
(これ,他の訴訟終了原因である=訴えの内容や形式が不適法な場合の「却下」と区別して
「訴状却下」と呼ばれている。)
だけどこれって裏を返せば,
「印紙貼ってないだけでは,訴状の受取拒否はできない」
ってことなんだよね。
そしてこの仕組みを知っていて,手数料の節約をはかろうとするなら
わざわざ印紙を買って貼り付けて半額は戻ってこないってより
最初から貼らなきゃ丸儲けってところまで読みきっているんじゃないかと思うのよ。
細かく言うと
印紙貼らないで訴状出せば
まずは任意に「印紙出してください」って催促だ。
言うこと聞かないと,今度は補正命令。
それでも貼らないと訴状却下という手順。
当然訴状却下になる前に取り下げても同じ。
ポイントは,印紙を貼らないのは違法だけど
違法な訴状は訴状却下しちゃえばいいし
訴状却下してしまば,もはや印紙を貼る義務も消える=印紙出せとは言えなくなる。
訴状却下前に取り下げても一緒で
もはや印紙を貼る義務も消える=印紙出せとは言えなくなるのだ。
この話,意外に知られていない。
弁護士の発言でもこのストーリーの可能性に一切触れていなくて
「もしかして……知らない?」との疑いを持ったし
まして弁護士じゃない人はたいてい知らないよね……。
というので紹介した次第。
元の話でいうと,本来警察作用というのは行政権に属するもので
行政目的を実現するための組織なわけだ。
なもんで,行政目的を実現するための組織に
刑事訴訟の手続の一翼を担わせることについては
実は議論の余地のあるところで
実際,刑事訴訟手続の中の警察の役割というのは
国によって結構違っているし
日本だって第2次世界大戦前後で大きく変わっている。
今の日本は,行政警察の構成員に
刑事訴訟の手続の一翼を担わせることにするけど
行政目的を実現するための警察作用とは区別して
「司法警察」とし,その構成員を冒頭のように定めたわけだ。
もっとも戦前の日本の刑事訴訟制度では
裁判所が捜査も全面的にコントロールする態勢だったから,
予審判事の指揮の下で警察官が捜査していたし
裁判所の検事局に属する検察官が公訴を提起していた。
警察官が捜査を担当すること自体は変わってないわけね。
で,戦前の刑事訴訟法における警察官の名称が
「司法警察官」と「司法警察吏」だったわけ。
さて,戦後,現憲法の下でいろんな法律が整備される中で
労働基準法は労働基準監督官に捜査権限を与えたんだけど
昭和22年の施行時,刑事訴訟法はまだ戦前の刑事訴訟法
(に臨時のパッチを当てたもの)だったから
労働基準法102条も,当然それにあわせて
「司法警察「官」」
とした。
ところが,パッチだけじゃもたないというので
刑事訴訟法も全面改正されることになったんだけど
昭和24年1月1日に施行されることとなった刑事訴訟法では
「司法警察官」「司法警察吏」というのをやめて
冒頭のとおりの名称に変えたんです。
そうすると……
せっかく施行した各種の法律の「司法警察官」もなんとかしなきゃいけなくなる。
本当はそれぞれの条文を変えたい。
(そして今ならたぶんそうする)
ところが忙しくてやってられない。
そこでどうしたか?
司法警察職員等指定応急措置法2条で
「他の法令中「司法警察官吏」とあるのは「司法警察職員」と,
「司法警察官」とあるのは「司法警察員」と,
「司法警察吏」とあるのは「司法巡査」とそれぞれ読み替えるものとする。」
とした上で,昭和24年1月1日に施行することにしたわけ。
「措置法」だから1回限りの効力だし
「応急」だから,永続的措置として,各法の改正時には一緒に改正してね……
ってメッセージが発せられているわけだけど……。
この応急措置法で読み替えることになった以上
読み替えの効力自体は廃止されるまで続くから
あわてて改正しなくてもいいや……ってなったんだろうね。きっと。
なもんで,労働基準法はその後改正を何回もしているのに
いまだにここは改正されず
結果,「司法警察官」という表記が
文言上は残っていることになっている次第。
原文見てみたら,実は別の点で影響が大きいんじゃないかと思ったので
そんなことをつらつら書いてみたいと思う。
ちなみに,これ,削除というのを仮処分として地裁に対して求め,
地裁は削除を認めたんだよね。
でも,本来は仮処分だから,あとで一般の訴訟をやらなきゃいけない。
仮処分にも不服申立はできるし
実際本件でも不服申立がされているんだけど
不服申立(抗告)を審理する高裁で判断されると,
原則はさらに不服申立はできないんだよね。
一般的に「3審制」と言っても「3回やることが保証される」わけではないんだけど
仮処分の場合は,原則は2審制なんですよ。
実際高裁は,地裁の認めた決定を覆して,認めない決定をしているんで
原則はそれで決まり。
ただ,憲法違反など一定の理由があれば例外的に最高裁に持っていける。
ということで,この判例は裁判所のwebサイトで既に公開されているんだけど
「許可抗告事件」と耳慣れない言葉が冒頭にあるのは
そういう「原則に対する例外」の話だからということだったりする。
あと,一応は,訴訟でリターンマッチすることが認められるし,
訴訟で別の結論が出る可能性自体は否定できないんだけど,
本件で訴訟を本当にやるかどうかは微妙だとは思う。
……最高裁で以下で説明する理由を示しているのに
その理由の下で訴訟で勝てるとは到底思えないし
最高裁がこの理由を短時間で覆すとも到底思えない……。
そうしたら結論は見えているよね。
さて,本件は最高裁は高裁の判断を支持して「削除は認めない」としたんだけど
そもそも「google様絶対。削除なんて箸にも棒にもかかりません。」って話では
全然ないわけさ。
個人のプライバシーに触れた場合
人権が認められない権力による行為によるものを除けば
これは常に「個人のプライバシー」と「表現の自由」とが衝突するけど
表現の自由が絶対に保護されるわけでなければ
個人のプライバシーが絶対に保護するわけでもないから
「利益損失の比較衡量」という名の調整という話になるというのが
裁判所の考え方で,この点はぶれていないと言っていい。
個人のプライバシーが「犯罪」「服役」に関することであれば
いわゆるノンフィクション「逆転」事件についての
平成6年2月8日最高裁判決が有名。
この事件の中身はいたるところに転がっているだろうから
興味のある方は各自調べていただくことにして……。
まず,
「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、
さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、
とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、
その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、
その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有する」
「その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、
一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、
その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、
新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有する」
として,「犯罪」「服役」に関することについては「公表されない」法的利益があるし
これは同時に
今の社会生活の平穏を害されない法的利益,
更生を妨げられない法的利益
があるんだ(なぜなら一市民として社会に復帰することが期待されている)というのが
基本線なわけだ。
一方それで公表が一切だめかというとそうではなくて
「刑事事件ないし刑事裁判という
社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、
事件それ自体を公表することに
歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、
事件の当事者についても、
その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。」
「その者の社会的活動の性質
あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、
その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、
右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もある」
「その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、
社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、
その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として
右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、
これを違法というべきものではない」
というように,公表が許される場合もあるとしているんだけど……。
「言論の自由だから」という緩い判断基準ではなく
・歴史的or社会的な意義がある
・その人に社会的な影響力が認められるときに,
その影響力の評価・判断の資料とするためのものである
(その典型例として公職にある者及びその候補者)
のどっちかがないとだめだとしているわけね。
で,この構造は,今回の検索結果削除請求でも,裁判所は変えていないわけさ。
ちなみに逆転事件は公表対象となった事件とノンフィクション作品公表との間に
約13年が経過しているけど
本件の削除請求では事件と削除請求までは約5年。
だけど判断の枠組みは変えていない。
「プライバシー対表現の自由」という枠組みで考えるならば,
特に目新しいところはない決定なんですよ。
にもかかわらず,私が今回の判決が意外なところに影響するのでは?と読んでいるのは
「表現の自由」の問題だと判断したところなんです。
(そして,この点は私は大賛成だし,実はいろんなところで書いている。)
google的には,
「自分たちは自動的に集めてきたデータを提示しているだけだから
内容については与かり知らぬものである」
というのを常に主張しているし,
「情報の収集,整理及び提供はプログラムにより自動的に行われるものの」
という決定文中の表現はgoogle側の主張によるものではないかと想像されるんだけど
最高裁はこの点が理由にならないと明言していて
「プログラムは検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成されたものである」
と最高裁は判断し,だから
「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する。」
としたんですね。
その上で,にもかかわらず削除を命じるとなると
「方針に沿った一貫性を有する表現行為の制約」
になるから,簡単にはいかないよって判断しているんです。
加えて,検索結果の提供という表現行為がなぜ保護されるかといえば
その価値を
「公衆が,インターネット上に情報を発信したり,
インターネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを
支援するものであり,
現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている。」
点に求めており,削除はこの点で公衆への不利益だと指摘しています。
結果的には本件では削除は認めていないけど
削除が認められる抽象的な要件は示されたし
それにあたって「プログラムが~,ロボットが~,自動的に~」と言っても
全然関係ないよってされた上
「検索結果の提供は検索事業者(今回はgoogle)の表現行為」
だから,表現行為に伴うものとして責任とらないとだめだよって言われたわけで
「検索も表現で責任を伴う」は
検索事業者(例えばgoogleとかyahooとか)に対する
大きな重しになるんじゃないかと思うんですよ。
……googleからすれば日本における歴史的敗北を喫したことになるのではないか……と。
具体的に言うと
どこかのサイトが他者に損害を与えるような内容のサイト
(言い換えればそのサイトの作成者が損害賠償責任を負うような内容のサイト)
をgoogleのロボットが拾ってきて
検索結果に反映させると
最初の検索結果の提示の時点で
「googleの表現行為である」とされて
google自身もまた損害賠償責任を負うことになる
今回の削除の仮処分の却下決定が
ここまで導けることになってしまうんです。
当座,「サジェスト機能」がすごく危ない。
検索利用者側としてはネタとして笑っていられるかもしれないけど
「特定の人名,団体名」を入れた時に,
それに対する「評価の言葉」を出してくるのは
それが「googleによる表現行為」になるわけさ。
そして当然のことながら単語を並べただけでの表現だから
「fair comment」にはなりようがなく
損害賠償請求が可能になってしまう。
googleにしてみれば
「表現行為としてとらえられて責任を負わされるくらいなら
表現行為とされないで,
古い情報について,忘れられる権利として処理してもらった方が
よほど楽。」
ってことになるんじゃないか……って私は思っているんですよ。
そしてこれは同時に
いわゆるキュレーションメディアという名で
他者の成果を横取りしているサイトについても
「これは私・われわれが書いたものではないから」
という言い訳を許さないことにまでつながると私は予想しています。
というのは,検索事業者が「自動で」言った背景には
「既になされている表現」を「自動で」拾って提示しただけだから
「既になされている表現」についての責任は負わないという主張のはずなんだけど
この点を今回の削除請求についての最高裁決定がはっきり否定して
「検索結果を提示する者の表現行為」と位置づけた以上
いわゆるキュレーションメディアについても
「(原稿?を誰が書こうと)それをサイトに載せるのが表現行為」となるはずで
「(原稿?を書いた者によって)既になされた表現だから」
というのが言い訳にならないという判断が導かれるとするのが自然だからです。
いわゆるまとめサイトも同じだよね。
「既に他の人が他の所で書いたものを集めてきただけ」というのも
「でもあなたがまとめて提示しているんだからあなたの表現行為です」
で,終了……と。
こう考えていくと
今回の最高裁決定は
「いわゆるインターネットにおいて
他者による成果を利用した場合
他者によるものであることを理由に免責はされない」
ってことを打ち出したものとして
すごく重要なものであるというのが
現時点での私の評価なのです。
これ,意外にいいと思う。
ジャージではなくて寒さ対策とか雨対策になる衣類なら
あたし買っちゃうよ。
ちなみに……。
警察官の服装で公道を走ることに法令上の問題があるかなんだけど
全然思い浮かばない。
軽犯罪法1条15号の
「法令により定められた制服……に似せて作った物を用いた」
に該当しないとまでは断言できないけど
そもそも白バイ警官の服装が「法令により定められた制服」かどうか
はなはだ疑問。
そしてこれにあたるとしても
もともと軽犯罪法は,他の刑罰法規のように解釈した日には
「国民の権利を不当に侵害」するのがみえみえだから
4条で
「国民の権利を不当に侵害しないように留意し,
その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない」
と明記されるわけで
このような用法なら軽犯罪法不成立でいいんじゃないだろうか。
「葬儀業界は困る」
←「友引が決まらないから」
という話だそうなんだけど……。
このあたり,六曜には冷淡(笑)な国立天文台がページを公開しているので
正確な記述はそちらにまかせることにして
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2014.html
なぜ葬儀業界が困るのかを考えると
「友引が決まらない」
←「旧暦が決まらない」
←「今までの計算式なら2033年の9月23日が旧暦8月1日,11月22日が旧暦11月1日,その間に旧暦の9月と10月なんて入らない」
という話のはずだよね。
じゃあ,今までの計算式じゃなきゃいいでしょ?
実際,過去の改暦って,こういう不都合が起きたor起きるから行われた訳なんだし……。
そして前回の改暦って,明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日として
以後太陽暦で行くことにしたあれじゃん!
(明治5年11月9日太政官布告第337号 改暦ノ布告
もっとも1900年問題(笑)をむかえて
明治31年5月11日勅令第90号 閏年ニ関スル件を出して
グレゴリオ暦……4で割れれば閏年,100で割れれば平年,400で割れれば閏年
に移行したわけだが。)
布告文の中でこんなことを書いている。
「旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメ……」
まあざっくり言えば
「旧暦を廃止して太陽暦を使うことにしたから,みんな守れよ」
ってことだな。
それなのに,なんで旧暦使うかね~。法令違反じゃん。(笑)
……という話は置いておいて……だ。(置くな!爆笑)
法的には廃止された旧暦がまだあるってこと自体が
本当は不思議な話だよね?
旧暦は誰がどうやって決めているの?
実は「どうやって」というのは
・計算の方法は天保暦の方法
・基準となる天体現象は東経135度の地点による
というハイブリッドというかキメラな方法論によっているわけだ。
純粋な天保暦は東経135度ではなく京都135度46分が基準。
それが東経135度になったのは,
現在の国立天文台が東経135度を基準にしてデータを公表しているためで
その点では「基準となる天体現象は東経135度の地点」によったデータ自体は
国立天文台が計算しているんだけど
別に「天保暦の方法」で計算しているわけではない。
国立天文台で計算していなければ
計算しているのはどこ?
計算している人がいればその人が決めればいいだけのことだし
計算している人がいなければ……誰が今まで計算していたの?ってことで
問題になりようがないと思うんだけどね~。
……まあ,これを機会にやめてしまえば……というのが実は筋がいい。
]]>もっとも,さいたま地裁の判決原文はまだ裁判所のサイトでも掲載されていない。
……たぶん裁判所的には掲載しないだろうな~。最高裁判決だって怪しい。
なもんで,さいたま地裁判決の内容は正直確認できていない。
とりあえず一番よさげなものとして
とりあえず三谷英弘のこの記述をベースにしたい。
「立法過程の面白さ ( と一種の「恐怖」 )。 ~ ワンセグ携帯のNHK受信料問題を巡って」
「先日、ワンセグに関するNHK受信料支払い義務に関する判決が出ました。
⇒ 「ワンセグ携帯所有者はNHK受信料不要、さいたま地裁判決」
要約すると、以下の通りです。
▲ 放送法には、協会の放送を受信することのできる受信設備を「設置」した者は、NHKと契約を締結しなければならないと定められている(第64条第1項)ところ、放送法において「設置」と「携帯」とは別の概念であり(法第2条第14号参照)、ワンセグ携帯を持つことは「携帯」に過ぎず「設置」しているわけではないから、ワンセグ携帯を持っていてもNHKと放送契約を締結する義務はなく、受信料も支払う必要がない。」
三谷英弘のこの論考のテーマは,
「「移動受信用地上放送」→「移動受信用地上基幹放送」のための整備のための放送法改正が,
まさかワンセグ携帯の受信料支払義務に影響するとは」
という点で,
これはこれですごくおもしろい話なのでご一読を。
さて,話を元に戻すと,今回この話を私が書いているのは
この判決についてこんなやりとりがあった模様。
政府でNHK受信料とかの問題を担当するのは総務省なもんだから
総務大臣に当然取材がかかるわけで
その際,総務大臣は,このような発言をした模様。
「総務省として『受信設備を設置』するということの意味を使用できる状態にしておくことと規定した「日本放送協会放送受信規約」を、昭和37年3月30日に認可していますから、従来からワンセグ付き携帯など携帯用受信機もこの受信契約締結義務の対象であると考えています」
これはこれでありの発言だよね。
(https://twitter.com/y_shida/status/772078757653864449?lang=ja)
これを受けて朝日新聞がこんな記事を書いた。
「さいたま地裁が8月、ワンセグ放送を受信できる携帯電話を持っているだけではNHKの受信料を支払う「義務はない」と判断したことについて、高市早苗総務相は2日の閣議後記者会見で「携帯受信機も受信契約締結義務の対象と考えている」と述べた。
裁判では、ワンセグ機能つき携帯電話の所有者が、放送法64条1項で受信契約の義務があると定められている「放送を受信できる受信設備を設置した者」にあたるかが争われた。高市氏は「NHKは『受信設備を設置する』ということの意味を『使用できる状況に置くこと』と規定しており、総務省もそれを認可している」と説明した。
NHK広報部は2日、朝日新聞の取材に「現在、控訴の手続きを進めている」とした。高市氏は「訴訟の推移をしっかりと見守っていく」と述べた。」
(http://www.asahi.com/articles/ASJ924GTRJ92ULFA00T.html)
そうしたらどうも総務大臣が朝日新聞に厳重抗議したらしい。
「先ほど総務省広報からメール。ワンセグ付き携帯電話のNHK受信料判決をめぐり、朝日新聞や朝日新聞系ネットニュースに高市大臣が地裁判決に反論したと読者に誤解を与える記事が掲載されたとして、朝日新聞に対して厳重に抗議したとのこと。高市大臣がそのような発言をした事実は無いと。」
(https://twitter.com/y_shida/status/772077795648286720?lang=ja)
さすがにこれは
「あの発言なら、朝日のような記事になるのは当たり前だと思うが。」
(https://twitter.com/y_shida/status/772083914571591680?lang=ja)
だとは思うんだけど……。
「裁判や裁判所を批判している」と思われたくない……ってことだとすれば,
それはそれでありかな……とは思った次第。
……でもまあ,裁判所の判断に賛成はしていないよね……。
「判決が被告のもとに送られてから2週間以内に控訴しないと確定する」
まあ,被告人が被告になってしまうのは
前にも取り上げたとおりなんだけど……。
刑事の判決はわざわざ被告人には送らないというのが第1。
控訴できるのは「判決宣告の日」から2週間以内というのが第2。
条文を確認しておくと
刑事裁判では被告人が出廷しないと開廷しないのが原則で
(刑事訴訟法286条)
出廷した被告人に対して法廷で直接判決を宣告するもので
(342条)
宣告が終われば,直ちに控訴できるんだから
(上訴の提起機関は,裁判が告知された日から進行する……358条)
373条による控訴提起期間14日も
判決宣告の日からという次第。
(ちなみに午前0時に宣告するわけじゃないので,
1日未満の端数はカットすることになり
翌日が1日目としてカウントする。)
このあたり
当事者が法廷にいなくても判決の言い渡しができ(民事訴訟法251条2項)
当事者の在廷のいかんにかかわらず判決書の送達が要求され(255条)
控訴が「判決書の送達日から」2週間とされる(285条)
民事裁判とはえらい違い。
※ちなみに,かつては民事は判決言渡前に判決書を用意しておき
それを朗読しなければならず,
その名残は今も民事訴訟法252条に残っているのに対し
(今は254条の例外ができたのだ)
刑事には判決書を事前に用意する必要もなく
実際「勧進帳」方式で,裁判官が法廷で必要事項を言っていくことでも全然かまわない
(どころか,むしろ原則それでしょという法の構造になっている)
という大きな違いもあった。
法廷であれだけ裁判官の説示を熱心に聞いていたんだからさ~
説示のしめくくりに言ったはずの
「なお,この判決に不服がある場合には,控訴の申立をすることができます。
控訴の申立をするには,東京高等裁判所あての控訴状を
この東京地方裁判所に提出してください。」
という決まり文句を言っているはずなんでね……。(刑事訴訟規則220条)
……東京って……。
ということで
相変わらずマスコミの裁判報道はひどいという話でした。
さて……
失火の責任に関する法律を研究しましょうか……。
(わからないならわからないでいい(c)by嘉穂)
……めがねっこしばり(ぼそ)……。
(わからないならわからないでいい(c)by嘉穂)
その中で
「勝手に借金されてしまう」被害の心配が報じられていて
ちょっと違うんじゃないかな……と思った次第。
まあ裁判に巻き込まれてしまう危険があるというのを被害というなら確かにそうなんだけど
でも「借りてもいない借金を払わなきゃいけない」となると
さすがに誤解と言っていいんだよね。
これ,貸す側が普段「保険証だけで借りられる」みたいなことを言っている所が
なきにしもあらずなので
ちょっと解説を加えておきたい。
もともと借金というのは,法律的には「(金銭)消費貸借契約」と分類されている契約で
貸す側が「お金いくらをこういう条件でお貸しします」
借りる側も「その条件でお借りしてあとで同額でお返しします」
といって合意した上で
その金額を実際に貸す側から借りる側に渡して
はじめて契約が成立し,返す義務が発生するというタイプの契約だと説明されている。
#
余談だけど,借りたものをそのまま返すのであれば使用貸借とか賃貸借。
でも,お金って通常は借りたものをそのまま返すのではなく
借りたお金を何かに使い,後日,その金額を返すというもので
たとえば1万円を借りたとしてもその紙幣の記号番号をメモして特定して
その同じ記号番号の紙幣で返すものではないよね。
借りたもの自体は「消費」してしまっているので
「消費貸借」と命名されている次第。
あと通常の契約は双方の合意だけで成立する(=諾成契約)んだけど
金銭消費貸借契約では歴史的経過から
実際に金銭を渡さない限り契約は成立しないとした(=要物契約)。
なもんで,約束だけでは「お金を貸す義務」はないし
約束してもお金を渡さない限り「返す義務」がないどころか
契約それ自体が成立していないと判断されることになっているわけ。
さて誰かが保険証を偽造してその人になりすまして
まんまとお金を借りることに成功したとするわな。
そしてお金を返さないからと言って裁判になったとする。
この裁判を無視しちゃうと「原告の言い分どおりだね」というので
支払えって判決が出ちゃうけど
「保険証のデータ流出で勝手に借金したことにされちゃうかも」
って心配になるような人なら
まさか裁判を無視することはないだろうな……。
裁判に出れば,当然「私借りてません」って言うよね。
言った瞬間
あなたが借金の約束をしてお金を受け取ったことを
原告が証明しなきゃいけなくなるのさ。
その証明としてだ……。
「保険証のコピーがあります」
……今回のデータ流出が起きる前から
「被告が借りたこと」の証拠にはならないよね……。
さすがにそんな杜撰な立証する業者はもういないだろう。
普通は契約書を出す。
その契約書には上で書いたような
|貸す側が「お金いくらをこういう条件でお貸しします」
|借りる側も「その条件でお借りしてあとで同額でお返しします」
ということがきちんと書かれているわけだ。
その上で,借りた側が自分で署名・押印したかのような署名押印があるとして……。
裁判官が
「これ,あなたが自分の氏名を自分で書いたものですか?
この押印はあなたの印鑑によるものですか?」
と必ず質問する。
それに
「私は書いていません。この押印も私の印鑑によるものではありません。」
と答えるだろう。
その瞬間
「では,原告はその署名が被告によってされたこと,押印が被告の印鑑によるものであることを
証明してください。」
って話になる。
そこでようやく保険証のコピーを出して
「本人だと思いました」
って言うことになるんだけど
保険証には写真はまずない。(あったら本人じゃないってわかるから,さすがに貸さないだろう。)
裁判所はたいてい,保険証だけの本人確認なんて本人確認したことにはならないと考える。
正確に言えば「本人であることの証明はされていない」と評価する。
証明できなきゃ……請求棄却判決だよね。
なもんで,普通は勤務先への確認とかしてその証拠を残すなり
あとで裁判やっても勝つだけの証拠を残しておくものなのよ。
……でなきゃはなから「裁判では請求しない。逆に裁判起こされても無駄な抵抗はしない」で貸すか。
まあ住民票を実態にあわせてなければ
原告から見て行方不明にされちゃって
最悪公示送達になって
被告本人に裁判所からの書面が行かないまま判決になることもあるけど
ちょっとこの案件では想像しにくい。
というのは……保険証でしょ?住民票に基づかないで作るかえ?
……だから国民健康保険ではなく厚生年金保険で
会社に内緒で引っ越しし,しかも住民票も動かしていない場合くらいしか
想像しにくいのだ。
そうすると裁判所から来た郵便を無視したというならともかく
ちゃんと応対していれば
「払え」って判決にはならないし
その裁判の手間とかもしくは後で信用情報を直す手間とかは損害だけど
「借りていない金を返さなければならない」損害ではないんで
安心していいって話。
この場合,貸して損するのは貸した側さ。
]]>いわゆるスピード違反の規定。
直接は道路交通法22条1項の問題。
「車両は、道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度を、その他の道路においては政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならない。 」
そして,この条項における「車両」については,2条1項8号で,
「自動車、原動機付自転車、軽車両及びトロリーバスをいう。 」とあって,
「歩行者」自体の定義規定はないものの,定義規定がないからこそ,一般的な意味での歩行者になるわけで
間違っても歩行者は車両にはなり得ない。
そうするとね……。
いわゆるスピード違反の規定は,上記のとおり「車両」にしか適用されないので
歩行者が道路交通法22条1項違反になることはあり得ないという。
でもまあ,道路交通法の趣旨からいえば
本当に時速70km/hで走る人間がいるなら,規制しないとだめなんだろうから
にもかかわらず規制していないのは
ひとえに「そんなやつはいねえよ」って見切ったってところだと思う。
ちなみに……。
「車両」というのは,上記のとおり「自動車,原動機付自転車,軽車両,トロりーバス」なんだけど
このうちトロりーバスの最高速度については22条2項で決まっている。
残りの自動車,原動機付自転車,軽車両については22条1項のとおりで,
このうち政令で定める最高速度というのは
道路交通法施行令(という名の政令)11条で
「法第二十二条第一項 の政令で定める最高速度(以下この条、次条及び第二十七条において「最高速度」という。)のうち、自動車及び原動機付自転車が高速自動車国道の本線車道(第二十七条の二に規定する本線車道を除く。次条第三項において同じ。)以外の道路を通行する場合の最高速度は、自動車にあつては六十キロメートル毎時、原動機付自転車にあつては三十キロメートル毎時とする。 」
とされていることから
・自動車 60km/h
・原動機付自転車 30km/h
とはなっている。
でも……軽車両については述べていない。
しかも……トロリーバスのような「道路交通法22条1項以外の最高速度についての規定」もない。
ということは……だ。
軽車両については,
「道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度」
というしばりはあるんだけど
その最高速度指定がなければ……いくらスピードを出しても道路交通法22条1項違反にはなり得ないことになる。
そして軽車両とは,道路交通法2条1項11号により「自転車、荷車その他人若しくは動物の力により、又は他の車両に牽引され、かつ、レールによらないで運転する車(そり及び牛馬を含む。)であつて、身体障害者用の車いす、歩行補助車等及び小児用の車以外のものをいう。 」とあるとおり
自転車も軽車両なわけだ。
……最高速度指定がない道路では……自転車は何km/h出しても道路交通法22条1項違反にはなり得ないという次第。
これも「時速60km/h以上出す自転車なんかそういね~よ」って発想じゃないかと思っている次第。
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