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 さて何をもって構成要件該当性があるとするか、違法性があるとするか、有責性があるとするかについては、何か刑法の本を読んで研究してくださいませ。これをご丁寧に説明しますとそれだけで充分1冊の本になってしまいますから……。ここでは概略次のとおりだとしておくことにしましょう。
(でもまあ……ちょっとだけでも知りたいというのであれば、ちょっとした練習問題を御用意いたしました。)

 まず構成要件該当性の判断なんですが、構成要件というのは端的に言えば、「こういうことをすると処罰しますよ」と書いてある条文のことを指します。日本をはじめたいていの国では「罪刑法定主義」という考え方がとられていて、「こういうことをすると処罰しますよ」と法律で定めておかないと処罰することはできませんよってことになっています。国家権力が刑罰という最大の実力を行使する際に、権力によって恣意的に発動されてはたまらないので、「こういうことをすると処罰しますよ」と言っているにもかかわらず、そういうことをすれば処罰するというしばりをかける訳です。だからいくら妥当性があったとしても、そういう処罰の規定がないことに対して処罰することはできないし、処罰の規定があったとしても、そこに書かれている以上に重い刑を科すことはできないことになります。で、「こういうことをしますと処罰しますよ」と書かれているものを「犯罪を構成するための要件」として構成要件と呼んでいるのです。構成要件にあてはまる行為をすれば「構成要件該当性あり」になりますし、していなければ構成要件該当性はありません。構成要件のないものについてそれが犯罪になるかどうかを考えるのはナンセンスです。玄関を出る時に左足から出てはいけないという法律の規定はありません。したがって玄関を出る時に左足から出ることが犯罪になるかどうかを考えるのはナンセンスです。また処罰(これが何かは刑法に書かれています。死刑・懲役・禁錮・罰金・拘留・科料・没収ですね。音は同じですが「過料」は刑罰ではありません。反則金も刑罰ではありませんが、交通違反に対する反則金は「これを払えば刑事手続には乗せないよ」という意味ですから、払わないと刑事手続に進みます。)が書かれていないものはこれまた構成要件ではありません。

 次に違法性の判断です。構成要件該当性の判断が「こういうことをする」というように行為の外形だけをとらえ、しかもその行為の有無だけを形式的に判断しているのに対し、その行為が本当に処罰の対象になるかを、その行為に即して判断しようというのが違法性の考え方です。ただその行為に即してと言っても別にその行為をした者の事情をこの段階で考慮しようというのではありません。構成要件該当性の判断があくまで誰がどんな状況で行ったという事情を一切無視し、「それをしても犯罪にならない場合がある」というのは一切考えないことにしている外形的で形式的な判断なのに対し、外形的な判断であるのは一緒ですが犯罪にしてはいけないような客観的な基準にあてはまるものは犯罪にしないという意味で実質的な判断なのです。

 最後が有責性の判断です。今までの2つの要件が外形的な判断だったのに対し、その行為の行われた個別の事情も考慮して、それを犯罪とすべきかどうかを判断しようというものですから、非外形的であり実質的な判断となります。

(2005.9.7改訂)
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