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Advanced Study 期待可能性

 普通の教科書を読んで理解してから、うちの刑法概論の概論を読むってえのは、反則技に近いんじゃないかな?とは思うものの(笑)、「期待可能性は責任の要素で、刑法の定める刑事未成年(41条)も心神喪失(39条)も責任能力でやはり責任の要素で、別々の責任の要素をいっしょくたにするのはまずいんじゃないの?」ってえ指摘はごもっとも。
 だけど……、そう書かなかったのにも理由はあるんだな。(自分で考えると少数説に行く悪い癖が出た(笑))
 「なぜ責任能力がないと責任が認められないの?」
 結構これ、困りません?
 「法がそう定めたから」とぶん投げてしまうのも1つの手。しかもあたしはそういう投げ方、実は結構している。「国際法からはじめよう」で、国際慣習法の法的性格として黙示の合意説を否定したのは、黙示の合意というものへの疑問・矛盾はあるものの、「なぜ国際慣習法に拘束されるのか」という疑問に答えず「だって強制されちゃうんだもん」としているのはは明らかにこの投げ方。
 だけど、どうもこの局面では投げる気がしなかった。というのは説明可能だと踏んでいるから。
 団藤先生の説明からするに、「非難可能性がないからだ」というのは理由としてありそう。でも団藤先生が期待可能性を(責任要素としての)故意の成立要件だとしている説明は結局「もし具体的な事情のもとにおいて(中略)その行為をしないことが期待されえない−−ばあいであれば、もはや行為者に非難を加えることはできない」(「刑法綱要総論」改訂版だとp299〜)に帰着するんですね。
 そうすると刑事未成年も心神喪失も「その行為をしないことが期待されえない−−ばあいであれば、もはや行為者に非難を加えることはできない」場合であると法が定めたものであると解すれば、責任能力の問題を期待可能性の問題と構成しなおすことが可能になると踏んだんですよ。法の定めた定型的期待可能性なしが刑事未成年と心神喪失で、非定型的期待可能性なしは法で定めるべき話でもないから……と統一的に説明できる。
 ゆえにここの説明になった次第なんです。
 責任能力を責任要素ととらえるのはたぶん多数派だとは思うけど、反対説がない程鉄板じゃありません。
 「故意過失はどこに行ったの?」という人。故意過失が責任要素だととらえるのも、反対説がない程鉄板じゃないでしょ。
 ちなみにこの説明の弱点。同じ説明をしている刑法の先生がたぶんいないという点です。(爆笑)
 刑事未成年と心神喪失というシステム、それに期待可能性という考え方を理解してもらえれば、刑法概論の概論の目的は達せられているし……と逃げを打っておいて、と。(まあ、そのうち「責任能力がないとなぜ責任が問えないのか」について明確な説明ができ、かつ初心者に対してもわかりやすいコンテンツを書いてくれる人が出てくるでしょうから、それに期待しましょう。)
(2005.2.26)

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