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そうか、ここはNHK擁護サイトだったのか(笑)

……知らなかったよ(笑)

 ちなみにここから先の話、ちっとも法律論じゃないです。むしろ「雑感」とでも言うべきもの。

part1

   騒動記……NHK受信料問題で引用や出典明記を学ぶでは、コミュニケーション能力というかリテラシーの不足の話をしているんだけど、ここで書く話も結局そこに行くのかな?lufimia.netのNHK受信料検討の部分だけを読んでもらっても、「これはおかしいだろ!」ってことはつらつら書いてますんで、全体として要約した時に「標準的な法解釈ではないものをあたかも標準的な法解釈であるかのように主張することに反対している」というのは言えると思います。でもそれ以上にNHKの存廃について何かの主張をしている訳ではないですよね。
 でもそういうサイトが、「「こういう主張は誤り」と書いただけで、あたかも「NHKにとっての錦の御旗」としか読めない人」によってそのように紹介されてしまうことをちょっと考えてみようかな……と。

 正直なところそういう人が内心で何を考えているかってわからないんですね。というのはえてして単なる感情の吐露が1行添えられているだけだから、推測するには情報が少なすぎるんです。なもんで、ここは私の体験した他の例も交えながら……。

 世の中には法律以外のルールってたくさんありますよね。またルール以外のものもたくさんあって、ある人が何かを決める時には、別に法律にのみ従って決めている訳ではないことは、割とわかってもらえるのではないでしょうか?たとえば物事の善し悪しだって、法律でのみ決まる話じゃないでしょう。たいていの人は。それは「法律に反していなければ何をやってもいいのだ」というような人がいた場合に、そういう人と関わり合いを持ちたいかってことを考えればわかりますよね。少なくとも私はお近づきにはなりたくないな。たいていの人は「判断基準が法律以外にもあること」「判断基準が違うと評価が変わり得ること」を知っているのです。もっと言うと「判断基準が違うと評価が違うから答が1つに定まらなくて……悩む」んですな。
 で、物事を冷静に分析して考えるってことは、まあできるだけ悩まないように考えるってことなんですけれども、自分が何を考えているかを明確に意識すること、言い換えれば自分がどの判断基準で今考えているかを意識することです。ぶっちゃけて言えば問題の切り分けですね。確かにこれは訓練が必要だと思うんだけど、だけどやろうと思えば多くの人には可能だと思いますよ。ちなみに、そこで「法律」という判断基準で考える時に、その判断基準の詳細を知らない人に、標準的な情報を提供する目的が、lufimia.net自体にある訳ですが……。

 こう書くと、「「こういう主張は誤り」と書いただけで、あたかも「NHKにとっての錦の御旗」としか読めない人」の構造って見えちゃいます。

 端的に言っちゃうと「法律に反していなければ何をやってもいいのだ」の裏返しなんですね。どこが共通しているかというと、世の中にあまたあるはずの様々な判断基準のうち1つしか採用しないこと。法学をきちんとやっていると、判断基準が複数あることって真っ先に勉強するはずですし、仮に勉強してなくたってなんとなくわかっています。だからその内の1つを取り上げてそれを基準に話をしても、別の基準だと別の結論になるかもしれないってことは当然のことですから、割と冷静に話ができます。ところが、判断基準の1つしか採用せずにそれで全てを語ろうとする、そうすると自分の意見に反対したり否定することは、自分の全人格を否定されたような気持ちになるんでしょう。(それ自体はわからないでもない。)
 「法律に反しているからだめなんだ」というのは、法律という判断基準だけかどうかはわかりませんが、「もし法律に反していなければいいの?」という質問に対し、明確に答えられないと、やはり問題になることもわかってもらえると思います。
 NHK受信料にあてはめて言うと、「それが違憲・違法か否か」と「そういう制度が必要かどうか」という議論は明らかに違います。もっと言うと、「現行法上は違憲・違法であるが、どうしても必要なものだ」となれば、「違憲・違法にならないよう、憲法や法律を改正すべきだ」ってことになるはずですし、「現行法上違憲でも違法でもないが、それは不要である(もしくは有害だ)」となれば、「なくすよう法改正すべきだ」になります。(余談ですけど、私のNHK受信料に関する興味は法律論にしかないんでこういう図式になっちゃいますが、放送や通信のあり方で言えば別のアプローチもあり得ますね。例えば、国営放送や公共放送の必要性、公共放送が必要だとして何を財源にしてどれだけやるのか、その公共放送を今のNHKにやらせるのかよいのか。単純に多様性に求めるなら、メディアがテレビだけという誤りに陥っていると思うし、この点をおくにしても、民放の圧倒的大多数とNHKがまるでタッグを組んだように同一内容を放送する中で、「テレビ東京だけは違う番組」であることがよく指摘(もしくは揶揄)されるのですが、多様性確保なら「テレビ東京」の方がよほど公共放送だってことになっちゃいますね。当然テレビ東京は民間放送です。じゃあ……ってことになりかねない。そしてその中でも依然「現行の法でよいのか」という議論とは別物なのは変わらないのです。まして「現行の法ではこうだ」という議論とは別物。)
 にもかかわらず「それは違憲ではない」と言った瞬間に「NHKにとっての錦の御旗」となるのは、その人の中に法律という判断基準しかなくって、自分の批判者は相手の味方だって思考しかないことは容易に想像できますね。しかもその判断が法律学で標準的に採用されている解釈の範囲内ならまだよいのですが……。

 私にしてみると、妙なリンクをはられることは「他人の成果でないものをあたかも他人の成果であることのようにすること」なので「敬意を払ってない」「誠実さに欠ける」ことで頭に来るのですが、そういうリンクをはった人はともかく、そのリンクをたどってきた人が、きちんと読んで理解して、その上で自分の意見を自分で考えて組み立てることができたのであれば……、きっかけはともかく、トータルではよいことではないかと思っています。

 さらに、法律を勉強しようと思って、ルフィミアネットの本を買ってもらえると、著者は泣いて喜びます。

part2……法律を変える難しさについて

 そうは言ってもね〜。法律を変えるなんてえのはそうたやすいことではありません。いくたの失敗例はそりゃあ山のようにありますから。
 ただね……。日本国憲法は「法律は国会が作る」と決めていますし、国会を構成すべき国会議員は国民の中から選ぶと決めています。法律論にこだわる人が、日本国憲法のこういう規定にもかかわらず、「法を変えるのは現実的ではない」などというのは泣き言以外のなにものでもないですし、まして法律の解釈をねじまげようというのは、法を軽視した考え方そのものでしょう。(まあ最初から「法律なんて」という法を軽視した考え方なら、その是非はともかくその人において趣旨は一貫しておりますが、なにがなんでも法律論やっておいてというなら、法を軽視した考え方である点において、あまり変わりありません。)
 実はこういうデータがあります。NHKの広報資料によると、平成17年4月から9月までの受信料収入が約3000億円、これに対し不祥事を理由にした支払拒否が約90億円、面接困難による未収が約107億円。納付率は93.8〜96.1%程度。これに対し、社会保険庁の公表している情報だと、国民年金の平成16年4月から平成17年3月までの納付率って68.7%なんですね。これは実は基準のとり方が違うんで単純比較はできないのですが、「NHK受信料制度に何らかの理由で頭に来ていて支払わないことにした人の比率」と「国民年金制度に何らかの理由で頭に来ていて支払わないことにした人の比率」とで有意な差があることは否定できないでしょう。そして社会保険庁改革や年金改革を公約に掲げた衆議院議員選挙における候補者や政党の数とNHK改革を公約に掲げた候補者や政党の数との差に見事に反映されているのではないでしょうか?
 社会運動として考えた場合、自分の意見が通らないのであれば、自分に対する批判者をさらに批判する前にやることがあります。まず自分の意見に多くの人の共感が得られるよう努力するのが第1なのではないでしょうか?市民の支持を得ようとする前に自分を認めない市民を批判する……どっかで聞いた話だなあ……。
 第2に、法律を変えるべく努力し、結局成功した人への敬意を払わなければなりません。失敗した例に比べてはるかに少ないものの、法律を変えた人たちは現にいます。相手が裁判所ですら、勝った人がいます。法廷でメモをとることを禁じられたレペタさんは、それをおかしいとして裁判を起こしました。請求は結局認められませんでしたが(平成元年3月8日最高裁判決)この判決で「尊重に値し、故なく妨げられてはならない」と言ったことで、その後全国の裁判所の法廷における注意事項の掲示から「メモの禁止」が除かれました。
 実は私自身は元新聞記者で司法関係に詳しい野村二郎さんと同じ意見で「裁判を社会運動のために使う」ことに批判的なのですが、自分が何もしないことを正当化し、「法を変えるのは現実的ではない」などという泣き言を言うのは、こういう努力をした人への敬意をはらってないことになると思います。

part3……勉強をした人への敬意……無知はおしゃれじゃない

 加藤祐子がgoo辞書の1コンテンツとして書いているエッセイ「ニュースな英語」の2010年10月22日分は,アメリカの中間選挙と茶会運動について述べているのですが,その中で茶会運動の人が持ち出す(アメリカ)憲法解釈について紹介されています。ちょっと長くなりますが,引用します。
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民主党の対立候補との討論会でオドネル氏は、「いったい憲法のどこに、政教分離が書いてあるんですか?」と詰問。討論会の聴衆は地元大学ロースクールの学生たちだったので、オドネル氏の質問に失笑したのだけど、オドネル氏は自分を応援する笑い声だと勘違いした様子。弁護士でもある対立候補が「修正第1条ですよ」と指摘すると、懲りない彼女は「修正第1条? 修正第1条に『政教分離』って表現があるっていうんですか?」と。

このやりとりがアメリカで大ニュースになりました。確かに、合衆国憲法の修正第1条に「政教分離(separation of church and state)」というそのものズバリの表現はありません。しかしだからといって「憲法のどこにそう書いてあるんですか?」と言い募るのは、「いつどこで何時何分何秒」的な小学生なみの屁理屈です。確かにその屁理屈解釈が、少数の憲法原典主義者のあいだではまかり通っているのですが、オドネル氏の場合はそれですらなさそう。彼女はただ単に、「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律(中略)を制定してはならない」という修正第1条の規定を知らなかった様子です。
(中略)
英語には、「悪魔でさえ自らの目的のために、聖書を引用できる(The devil can cite Scripture for his purpose.)」という表現があります。ペイリン氏やフォックス・ニュースのグレン・ベック氏らアメリカの超保守論客たちが何かと「神」や「聖書」を持ち出すときに、私はいつもこの言葉を思い浮かべます。
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これ,何かに似てませんか?

 このエッセイでは,その原因の1つを「反知性主義」に求めています。
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無知を善しとするこの一部のアメリカ保守派の価値観はどこから来るのだろうとずっと考えています。たとえば、彼らが強烈に信仰する、アメリカ的キリスト教の影響ではないだろうかと。アメリカに渡ったキリスト教は、欧州の大神学校や修道院と切り離されて、西部開拓と組み合わさり、独自の発展をしました。大雑把に言うと、聖書さえ読めばいい、あとは個人の霊験を重視するという新興宗派が多いと言えます。そういうキリスト教宗派では、学問や思索を軽視する風潮がセットになっている気がしてなりません。キリスト教を離れても、アメリカでは学問や思索で得る知識や洞察ではなく、体験的な直感をなにより重視する風潮が(主にキリスト教右派の間に)ある。1964年にピュリツァー賞を得た『Anti-intellectualism in American Life(アメリカの反知性主義)』の論考は、いまだに有効なのだと思います。

この点を深く考察していくにはとても行数がたりませんが、アメリカのキリスト教保守には「anti-intellectualism(反・知性主義)」の風潮が確かにある。「anti-intellectualism」は、ナチスにもあり、スターリン時代のソ連にもあり、カンボジアのクメール・ルージュにもあり、中国の文化大革命にもあった。けれどもそんなことを、今のアメリカの茶会運動の人たちに言おうものなら、また「エラそうなエリートがエラそうに」と言われてしまう。
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……NHK受信料について法解釈学のスタンダードな理解に基づいて説明しただけで「エラそうなエリートがエラそうに」と言われてしまう……とか。
 もっとも私は「市民全員が法解釈学をマスターすべき」だとは必ずしも思っていません。それは「時間は有限であり,法解釈学を学ばない時間で別の何かを得ることも可能である」という単純な原理から,法解釈学をマスターしない自由というのもまた尊重されるべきであると考えるからです。実際には法解釈学は「いくつかの最低条件を満たした者がきちんと学べば誰にでもできる」ものであるにせよです。
 しかし,学ばない自由は,学ぶ自由を妨害するものであってはならないとも思います。法解釈学でもこれは同様で,法解釈学という学問で得る知識や洞察が法の解釈に求められる以上,それを軽視し,体感的な直感で法を解釈することは厳に慎まなければならない。
 にもかかわらず,体感的な直感にすぎないものが「法の解釈」であるとして流通することに,私は反対したいのでした。
……裏を返せば「法の解釈ではないもの」が「法の解釈ではない」として流通することには,私は全く反対しないのだな。賛成するかどうかはまた別論だけど。

(2010.11.6.最終改訂)

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