このページは,2011年6月6日までhttp://www.lufimia.net/sub/nhk/0010.htmとして公開されていました。
しかし,2011年5月31日に最高裁がNHK受信料制度について違憲ではないとする判決を出したことで,端的に「その考え方は判例に反する」と言えば足りることになってしまい,大幅な書き換えが必要となりました。
そのため,本来の目標である「NHK受信料問題で法解釈の基本中の基本を学ぶ」をより徹底させた内容に現在書き換えている最中です。(その詳細はこちらをどうぞ。)
下記の内容は,最高裁判決前の情報であることに御注意ください。
また,一定の条件が揃った場合,最高裁判所の判決が予測可能であることもあわせて理解してもらえれば幸いです。


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こういう主張はいけません

……NHK受信料問題で法解釈の基本中の基本を学ぶ

 ……当然のことですが、NHK受信料に関するエトセトラはよく読んでおきましょう。

 まず最初に、法律の知識のない人でも割と間違えない見分け方から。

 リンクをたどったら他のサイトからいきなりこのページに来た場合、リンク元をもう1回見てみましょう。そこのサイトが法律論っぽいものを展開しておきながら、ここのページを、「NHK(受信料)に対し「支持」「擁護」「賛成」している」として紹介している場合、そこの法律論っぽいものはあてにならないものとして切り捨てても大丈夫です。法律解釈以前に読解力がないので(詳細はそうか、ここはNHK擁護サイトだったのか(笑)をどうぞ。)およそまともな議論は期待できないです。それは「公平を期すため」などと言ってもあまりかわりません。三角形の内角の和が180度だという意見と190度だという意見を同列に論ずる類です。(ちょっと法律っぽい例だと「あらゆる国に適用される一般法たる条約は存在するか」という質問に対する「存在する」「存在しない」という答を同列に扱う類。2つの説があるというだけでそれを同価値のものとして扱うのは、一見すると公平に見えますが、実は差のある一方を特別に扱っているのです。「両刀論法の非論理」参照

 NHK受信料に関するエトセトラで、私わざわざ自分の見解は「(佐々木将人)」って書いているし、他の本の引用にはきちんと出典をあげています。これって「正しいかどうかは自分で出典にあたって判断しましょう」っていうことなんですね。ある意味学問の基本。で、独善に走っている場合にはたいてい出典示してないんですよ。いろんな資料を反対説の立場にもたってできるだけ客観的に比較検討するって作業に欠けていて、単なる感情論なんでしょうな……と。また仮に検討していたとしても出典書くとぼろが出るから書けないとか。(出典示してぼろが出ていることに気づかない例もあったけど。)
 いずれ法律の議論しておきながら、自説を補強する資料を1つも提示できなければ、とりあえず信じなくてもいいと思いますよ。提示されていれば読めばいいし。
 特に……現時点で判決についての検討を全くしていないところの法律論は捨ててもいいと思います。だって「裁判所がこの問題にどんな判断するだろうか?」というのを検討する時に、「裁判所がかつてこんな問題にこんな判断をしてきた」というのを全く調べてなかったり、その検討をしないで、妥当な答が出る訳ないでしょう?
 ……なんていうか判決なりきちっとした文献をあげて批判してもらえると、こちらも(確かに本業じゃあないにせよさあ)その文献や判決を読んで勉強できるんだけどなあ……sigh。

 次に出典が出ている場合、それがネット上の情報に限定されていたら、やはり疑ってかかった方がいいですよ。これでもだいぶん状況は変わっては来ているのですが、法学の場合、ネット上で入手できる情報とそれ以外の情報とでは、圧倒的にネット以外の情報が多いのです。
 特に法律学の標準的な情報を得たければ、それは書籍に存在している可能性の方が非常に高いのです。
 そういう状況下で、書籍による情報が一切出てないとなると……。法学書を読んでない可能性が非常に高い上に、意見も偏っている可能性が高いです。少なくとも「何が法律学における通説」なのかを見極められていない可能性が高いと言えます。
 その一番いい例として、有斐閣の法律学全集の「交通・通信法」に対する検討が、特に「NHK受信料違憲・違法説」のサイトにおいてされていないという事実をあげることができるでしょう。有斐閣は法律書の出版では定評がありますし、特に有斐閣の法律学全集は標準的な見解で書かれることが多い本です。で、この本はNHK受信料の違憲説や違法説について一言も触れていません。それを前提に、受信料の性質について混在説ではないかと書いております。
 私自身はこの本の線が通説ではないかと踏んでいますが、それはさておき、この他にも「放送行政法概説」や「放送法を読みとく」のような本もあるのに、これらの文献に触れて検討しておらず、インターネット上の情報だけで議論している場合には、「よく調べていない」という批判が確実にできます。
 当然、何がスタンダードなのかもわからないのですから、「民法の解釈において善意というのは事情を知らないという意味だ」という主張と「人のためにしようという心のことをさすのだ」という主張を同価値としてしまう類の過ちをしていることも多々あります。(「両刀論法の非論理」参照
 ちなみに……やはり憲法の長谷部恭男先生は、最近だと有斐閣の「法学教室」2005年12月にNHK受信料について書いていますが、違憲・違法説については一切述べていません。広告料によって運営されるテレビ放送の内容が似てくる現象を説明し、放送内容の多様性の確保という観点から、NHKを見ていなくとも、民放を見聞きするだけでNHKによる利益を受けていると指摘しています。これから北陸法学1995年9月及び阪大法学2006年7月の鈴木秀美先生や北海学園大学法学研究2005年6月の韓永学先生の論文を入手してみようと思っていますが、もう既に出ている判決例やそれについて解説を加えた文献がなかなか出てきません。法学において、文献が見つからない場合、まっさきに考えなければいけないのは「探し方が悪い!」ってことなのですが、普通に探して出てこない場合、「先行研究がない」ということになります。先行研究がない場合、「今まで気がつかなかった着眼点だ!」ってこともあるのですが……。違憲違法説はおそらく新聞記者のH氏が結構古くから言い出していることに鑑みると、「今まで誰も気がつかなかった」ではなく「結論が当たり前すぎて議論にしようがない」という可能性を考えなければなりません。
 ……って書いていたら、2009年7月の「放送法を読みとく」は、違憲違法説を無視することなく、否定していました。

 また、その出典が国会答弁の類であれば、「法の解釈としては」無視してもそう変なことにはならないと思います。これは結構難しい話なので、詳細はこちらに譲りますが、大雑把に言うと、国会答弁が法解釈の基準になることはレアなんですね。国会答弁は「私はこう考えている」という話にすぎず、その人の考えが裁判になった時に採用されるって保障はまるでないでしょう?少なくとも法律学をきちんと勉強する、具体的にはスタンダードな理解はした上で、判例や学説の状況は自分で調べられる力がないと、正確には取り扱えない類の資料です。
 ……やはり難しくてわからないというのであれば、こういうチェックでもいいでしょう。
 「ところで受信料が違憲・違法だからとした国会質問はあるの?それに対し違憲・違法だとした政府答弁はあるの?」(実は憲法19条違反ではないという政府答弁はあるようです。「放送法を読みとく」によると1978年3月1日衆議院逓信委員会。)
 あと期間限定でよければ、今(2008年1月2日現在)放送法改正の議論を国会がしていますんで、そういう時期なら、
 「今、国会で放送法改正を議論しているようだけど、受信料を違憲や違法だから改正・廃止するって議論はどうなっているの?」
 も可。
 ちなみに……。国会答弁の類なら一次資料は議事録なんだから、官報で確認しないとだめだよ。本当は。

 4番目。
 「憲法違反・法律違反」と言っておきながら具体的条項をあげてない主張は論外です。おそらく法律の本は読んだことがない可能性が高いでしょう。もしくは何条と書いてしまうとぼろが出てしまうので書かないのかもしれません。
 ただし、書いてあるからと言って安心はできません。書いてある場合にそれが正しいかどうかは、さすがに法律の勉強が必要です。それは下でちょっとだけのぞいてみることにしましょう。

 ちなみに、これは精度の落ちる方法なのですが……。「こういう主張はいけません」と取り上げた中には、「法律論でこれやったら一発アウトです」という内容も含まれます。また法律論としては成立し得るけど、通説的には無理だとか、判例的に無理だとか、裁判所では通りそうにないなあという内容のも含まれています。そして「一発アウト」にならないように組み立てていくと、現段階では契約をしている場合のNHK受信料については、通説判例的には違憲無効も違法無効もだいぶ難しいところだなあというところに落ち着きます。(その一例が「交通・通信法」の記述。)なもんで、違憲違法であることに何の疑いももっていないようなところや、違憲違法をフィフティフィフティで扱って「その可能性も否定しきれない」と言っているところの法律論はあてにしない方がいいでしょう。(「両刀論法の非論理」参照

 もう1つ、これは意外に精度が高いと思うのですが……。もともと法律論はきちんとやれば誰がやっても、いいものはいい、悪いものは悪いの世界です。その意味では自分の主張を述べる際に自分の名前を書くというのは、本来は必要ないはずなんです。
 でも一方で法律の世界で何かを発表する時に、自分の名前を書かないというのは、やはりうさん臭く見られるし、さらにインターネットのような匿名が可能な世界でそれに甘んじる場合、その情報を全部捨ててしまっても、そう変なことにはならないと思いますよ。
 というのは、法律学に限定しないで、広く言論とした場合、「名前を書いて責任を明らかにする」というのは、言論の世界における当然のこととされているからです。この指摘は結構書かれていますが、今すぐ見つかったものとしては、「とはいえその匿名で件の一文を書いた人物にとやかく言っても仕方ないでしょう。匿名の文章というのは最初から責任をとる意志のない文章なのですから。」(大塚英志著「キャラクター小説の作り方」講談社現代新書p35)があります。中には「インターネットでは匿名が当たり前」などという人がいるかもしれませんが、「じゃあ、現実の世界では通りませんね。」と切ってしまってかまいません。
 この観点から「この人は自分の名前を書くことで言論の責任を果たそうとしているのか?」というのをきちんと確認しておくといいと思いますし、名前を書いてなければ「責任をとる意志がないんだな」と切ってしまっていいでしょう。ちなみに……ペンネームとかハンドルなんてえのは「名前」を書いたことにはなりません。(名前よりペンネームの方がよく知られている人もいることはいるが……たいていはペンネームによる活動は言論じゃないからなあ……その場合。)
 余談。
 「匿名の文章というのは最初から責任をとる意志のない文章である以上匿名で書いた人物にとやかく言っても仕方ないのだから、NHK受信料の研究が本業でもないんだし、こんなコンテンツ書かなくてもいいんじゃないの?」という指摘は全くもってごもっともだ。(笑)
 ……でもこんなコンテンツを書いているのはなぜかと言えば、匿名で書いた人物にとやかく言うつもりではないんですね。
 このコンテンツを書いているうちに気づいたんですよ。
「NHK受信料の法的性格を議論させれば、その人の法学学習度や言論に対する姿勢、コミュニケーション能力がまるわかりになってしまうのではないか?」正確には「だめなものを見つけ出すフィルター」としての働きがあるのではないか。
 今のところだいぶ性能のいいフィルターだとは思っていますが……。
 まず偏見を捨てるということができないです。中立の立場で検討するのがベストだけど、せめて反対説の立場で検討することは必要。これができない。
 次に、読解力がない。「その主張は誤り」というと「NHKの味方だ」というのはその典型例。背景には論理がわかってないというのがあると思います。「AならばBである」が言える場合、「BでないならAでない(対偶)」は言えるけど、「AでないならBでない(裏)」「BならばAである(逆)」は必ずしも言えない……ということがたいていわかってないです。
 さらに先行研究を全然調べない。調べる気すらない。
(「海外と日本とは文化が違うんだから、海外のことは参考にならない」と言いきった剛の者もいましたね。)
 えてして自分に反対する意見がおかしければ自分の意見が正しいと思っている。(相手が間違っていることは自分が正しいことの証明には全然なってません。)
 これって法学以前のコミュニケーション能力の問題でしょ?
 法学に入っても法学の文献は読まないし、読む気もない。法学セミナー(日本評論社)とか法学教室(有斐閣)は4月の新入学生向けに入門の入門的な特集(ちなみに2006年の法学セミナーは4月号が法学入門2006、5月号が民法学修バイブル、6月号が刑法学修バイブルでした。)をやるんだけど、そこに書いていることを全否定するところからはじまっているもんな〜。(憲法の解釈なんだから民法や刑法を読んでもしょうがない……あたりからはじまるんだろうな。きっと。)
 そうなるとどうなるか。法学の授業を受けると「それは間違いだよ」というようなことを平然と主張する。ちょうど数学でいい例があるんですね。1+2=3だというのを誰もが受け入れている。だけどなぜ1+2が3なのか、これを説明するためには数学基礎論やらないといけない。数学基礎論はちょっとかじっただけでなんとかなるもんじゃないし、やらなくたって1+2は3だって受け入れればその先に進めて何も困らないんです。法学でもなぜ解釈という作業がいるかとなればこれは数学基礎論ほどじゃないけど結構七面倒くさい話になる。法学入門や法学基礎の本を何冊も読んだり、法哲学の本まで手を出して考えなきゃいけない。だけどそこまでしなっくたって法解釈はできるんですね。一方その部分について本当に「なぜ」を考えるならそこまでやらないといけないのに、それはやらない。
 その割には(というかそれだからこそというか)NHKの見解や国会答弁を金科玉条のように奉じる。

 結構いいフィルターになっているでしょ?

 でも、それでも、反NHK受信料な方々にとやかく言うつもりはないんです。法律学の方法を採用しないで独自の見解でいろいろ思って、(ことのついでに佐々木は間違っていると思って)それで心の平安が得られるんであれば、それはそれでいいのかな……と。それをとやかく言うのはそれはさすがに野暮だろう。
 だけど……。自分で法律学をきちんと勉強したいと思っている人も一方でいる訳で、そういう人に「こういうのは法解釈としては間違いですよ」と実例を示すことは、重要なことだと思っています。
 で、本当に間違いかどうか……。それはみなさんが調べてみてね……と。

 それでは本題。
NHK受信料は人権侵害だ
 人権侵害であっても、それが憲法やそれ以外の法律で定められた人権であれば、当該条項を根拠にして、その違反を言えばいいのであって、人権侵害とぼやかすこと自体、法律論としては正確さに欠けます。そういう根拠がないのであれば、いくら人権であったとしても、憲法及び以下の法令で保護されないのは当たり前です。
 ちなみに放送に限定して言うと、NHK受信料が人権侵害と言うなら、放送に税金を投入している国は全て人権を侵害している国ということになります。(受信料がだめで税金ならいいという議論は成り立ちませんね。なにせ、人権侵害なのですから。税金なら人権侵害をしていいという主張はおかしいでしょ?)ところが公共放送が存在せず、民間会社への税金による援助もしていない国って……アメリカ合衆国くらいじゃないんですか?アメリカ以外の国はみな人権侵害をしている国である……。その主張はおかしいでしょうと気づかないとだめです。
 ちなみに、たとえばイギリス(BBC)やフランス(国営放送)は受信料制度を導入しており、いずれの国も不払に対して罰則を定めています(日本評論社「法学セミナー」2007年3月号)。それではイギリスやフランスでは人権侵害とされているのでしょうか?
 この点は「出典があるか」というチェックでもひっかかります。
 そもそも「違憲」と判断した判例がなければ、その時点で「違憲判決は出ないかもしれない」と危機感を持たなければならないのですが、その点をおくにしても、もし判例がなければ、日本でNHK受信料以外に適用可能な判例の有無を探さなければならないし、外国でも人権が保障されている以上、外国の判例がどうなっているかも調べなければなりません。そういう検討のない「人権侵害」の主張は、法律論というよりは社会運動なのです。実際日本では後で述べますが人権侵害ではない的な判決がむしろありますし、海外の方は調べてませんが、まあ日本と同じでしょう。
NHK受信料は違憲だ
 実はこの主張自体は「NHK受信料は何法に反している」という主張よりは、(ある法律の無効を憲法という上位規範との不整合性に求めるという形式においては)比較的センスがあるのですが……。それだってあくまで比較級の話でして……。センスが皆無と言っていいほどない点ではあまり差がありません。
 違憲と言いながらその根拠条文をあげてないので、「それは気のせい」と切り捨ててかまわないでしょう。
受信契約を強制することは憲法19条に反する
「控訴人らは,要するに,被控訴人の放送を嫌悪しているのに,意思に反して被控訴人との契約を強制され,放送受信料の支払を強制されることが憲法19条に違反する旨主張するものである。
 検討するに,憲法19条で保障される内心とは,特定の歴史観,世界観等の人格形成に関わる内心を指すものであって,控訴人らが主張するような被控訴人の放送に対する嫌悪感や法で定められた放送受信料の支払を回避したいという内心がこれに含まれないことは明らかである。したがって,控訴人らの法32条や放送受信規約0条が憲法19条違反のゆえに無効となる旨の主張は,その前提を欠くものであって,理由がない。」(平成22年6月29日東京高裁判決(判例集未搭載))
 「NHKがテレビジョン放送の視聴者から受信料を徴収することは,国民のテレビジョン放送を受信して視聴する自由を侵害するものではない。」(平成6年2月8日大阪地裁判決(判例集未搭載)鈴木・山田・砂川編著「放送法を読みとく」商事法務p258)
 これについては,平成22年6月29日東京高裁判決の第1審である,平成21年7月28日東京地裁判決と合わせ読むとわかりやすいと思います。
「原告の放送を受信することのできる受信機を設置した者に対して原告との放送受信契約の締結及び放送受信料の支払を求めたり,同受信機を廃止しない限り原告との放送受信契約の解約を禁止したとしても,そのこと自体は,原告の放送内容や経営活動を適切と肯認するよう強制するものではなく,上記被告らの認識自体の変更を迫ったり,その認識故に不利益を課すものではない。」
 これは,こういうことです。すなわち……。
 憲法第19条は,思想及び良心の自由を保障している。それは間違いない。しかし,それは,自分の内心に反することだというただそれだけで自分の内心に反する全てが否定されるわけではないのだ。憲法19条が保障する内心とは,人格形成に関わる内心であって,それ以外の内心まで保障されるわけではない。NHKに対する嫌悪,受信料を払いたくないということ自体は尊重しなければならないとしても,その尊重ということは,放送受信契約の締結や受信料支払の求めに対し拒絶することが憲法上保障されているということまでを意味しているものではない。そこで考えてみるに,NHKの放送を受信できる設備を設置した者に対し,受信契約の締結,受信料の支払,設備の廃棄なき限り契約の解除を禁止を強制したとしても,そのことでその者が,NHKの放送内容や契約活動を適切と認めたことにはならないし,その者のNHKに対する嫌悪を改めるよう強制したわけではないし,受信料支払を回避したいという気持ちを改めさせたわけではない。まさに「自分としては不本意だが,法律がそのように定めてそのように強制しているから仕方なく受信契約を結び,受信料を払わされているのだ」と主張することを許しているし,法で定めた受信契約の締結・受信料支払以上の不利益を課してはいないのだ。したがって放送法32条や放送受信規約9条が憲法19条違反とはならない。
 平成22年6月29日東京高裁判決に対してはおそらく上告がされているでしょうから,最高裁の判断がやがてなされるでしょう。
 ちなみに,「自己の思想信条に反して,法に基づく強制徴収を行うことは,憲法19条に反するか」という点についてはNHK受信料以外にもいくつか判例があります。国民健康保険の強制加入制度についての昭和33年2月12日最高裁判決(判例時報140号p6)は、「憲法19条に何等かかわりないのは勿論」と一刀両断に切り捨てています。防衛費部分の税金の不払に対し強制徴収をしたことの違法性を争った事案では、平成3年9月17日東京高裁判決(判例時報1407号p54、判例タイムズ771号p116)で、やはり憲法19条違反を否定しています。
 憲法の学説としてもおおむね否定的です。少なくとも私は肯定している憲法の教科書に接していません。佐藤幸治「憲法」・佐藤功「日本国憲法概説」・芦部信喜「憲法」さらに宮沢「日本国憲法」(コンメンタール)が手元にあったので再度確認しましたが、そのような主張はしていません。佐藤幸治にいたっては「「思想及び良心」に反する法義務を強制されない自由?」という項目で「これを一般的に承認するならば、おそらく政治社会は成り立たないだろう」と否定的に書いています。
 唯一使えそうな判例は南九州税理士会事件でしょうが、これは「強制加入」「会の目的の範囲外」という2つの要件がそろったことがポイントで、「会の目的の範囲内」の行為については、たとえ「強制加入の会であり」多数決の結果で自己の思想信条に反することについて金銭的負担を課せられたとしても、憲法19条違反ではないという判決が別途出ています。すなわち,強制(加入)による支出が憲法19条違反であるという論理は採用されていないのです。
 これらの論理は平成21年7月28日東京地裁判決も採用しているところと思われます。この判決では以下のように述べています。
「単に原告が嫌いだなどという感情から放送受信料を支払いたくないと主張すること,又はもっと単純に金が惜しいから放送受信料を支払いたくないと主張することも自由ではあるが,それが憲法19条の思想良心の自由の範疇に含まれ,同条違反の問題が生じ得るというのでは,あまりにも思想良心の自由の内容を空疎にするから,放送受信料を支払いたくないことそれ自体を取り上げて,思想良心の自由の問題として検討するのは相当でない。」
受信契約を強制することは憲法21条に反する
 これは,現行法を前提にすると,NHK受信料を支払いたくない,受信契約を結びたくないとすると,NHKを受信できる設備を廃棄する他はなく,これは結局TVを持つなということであり,TVを持たなければ,民放を通じて情報を入手することができなくなるから,憲法21条の表現の自由の一環として,通説判例が認めている「知る権利」を侵害することになると主張するものです。
 この主張に対し,平成22年6月29日東京高裁判決は以下のとおり述べています。
「法32条及び放送受信規約9条は,放送受信契約の締結及び被控訴人の放送を受信できる受信機を廃止しない間の放送受信料の支払を義務づけるだけであって,民放のテレビ番組を視聴することを制限するものではない。」
上で述べた線で若干補足するならば,確かにNHKとの受信契約は義務づけられるし,受信料支払も義務づけられる。しかし,民放のテレビ番組は視聴できるのであって,それを制限しているわけではないから,(知る権利に含まれるとしても)何の侵害にもなっていない……ということになります。
受信契約を強制することは憲法13条に反する
 これは,「どのような情報を取得するかについては,人格形成及びその発展にとって必要かつ不可欠のものである」「したがっていかなる番組を視聴し又は視聴しないかに関する意思決定権の自由が保障されている」ということを前提に,受信契約を義務づけた放送法32条がこの自由を侵害していると主張するものです。
 これに対し,平成22年6月29日東京高裁判決は以下のとおり述べています。
「法32条及び放送受信規約9条は,放送受信契約の締結及び被控訴人の放送を受信できる受信機を廃止しない間の放送受信料の支払を義務づけるだけであって,どのような番組を視聴するかについて強制するものでも妨害するものでもない。」
 19条違反について上で検討したことがここでもあてはまります。すなわち,そのことでその者が,NHKの放送内容や契約活動を適切と認めたことにはならないし,その者のNHKに対する嫌悪を改めるよう強制したわけではないし,受信料支払を回避したいという気持ちを改めさせたわけではない。まさに「自分としては不本意だが,法律がそのように定めてそのように強制しているから仕方なく受信契約を結び,受信料を払わされているのだ」と主張することを許しているし,法で定めた受信契約の締結・受信料支払以上の不利益を課してはいないのだ。したがっていかなる番組を視聴し又は視聴しないかに関する意思決定権の自由は何ら犯されていないとするのです。
受信契約を強制することは憲法29条に反する
 これは「素人は間違えない。きちんと勉強すればやはり間違えない。だけど勉強の仕方を間違えると間違える。」というので、(法律学の勉強の度合いがNHK受信料の法的性質を議論させることでわかってしまうと一般的に言えるのですが、特に)法律についてきちんと勉強しているか否か、また勉強する過程でセンスを失っていくかどうかがばれてしまいます。その詳細はこちらに譲りますが、結論から書くと「裁判所ではまず通らない方の主張。なぜなら目的の合理性を否定した違憲判決はたぶん0。手段の合理性を否定した違憲判決は1件のみ。あとは手段の合理性についての適用違憲が1件あるだけで、あとの事件はみな討ち死に。少なくとも「本人の意に反する徴収」を争ったパターンでは全敗。」です。
受信料を徴収することは憲法84条に反する
 これはあり得ないと思いますよ。84条はいわゆる租税法律主義の規定なんですけど、どの本見たって「租税に限らず一定のものには84条により法律でさだめるべきである」としていますんで、「受信料は租税じゃないから強制的には取れないんだ」という主張は84条が通す訳がありません。むしろ84条は違憲じゃないことの根拠になるものです。
NHK受信料を裁判等で請求しないのは違憲判決が出るのが怖いからだ
 もともとこれは法律論ではないのですが……。
 NHKは裁判等による請求を行っております。鈴木・山田・砂川編著「放送法を読みとく」商事法務p259によると「2006年11月の東京簡易裁判所への支払督促の申立てを皮切りに,逐次,支払督促の拡大を進めている。支払督促に対する異議の申立てにより裁判に移行した例もあるが,NHKが敗訴した事例はない。」
 2010年3月19日に札幌地方裁判所がNHKによる受信料請求を認めなかった判決を出しましたが,これに対しては2010年11月5日札幌高等裁判所がこの判決を破棄し,NHKの請求を認める判決を出しています。おそらく最高裁に持ち込まれて判断が示されると思いますが,この事件で争点となったのは「妻が夫名義の契約をした場合に民法761条の適用があるか否か」という点であり,札幌地裁・札幌高裁ともにNHKの受信料制度が違憲だとか違法だとかする意見に対してははっきりと否定していることに注意が必要です。詳細な検討はこちらをどうぞ。
 ちなみに,これらの事例がなかったとしても,この主張は論理自体崩壊しています。
 「債務不存在確認訴訟」としてNHK受信料の支払義務のないことの確認を求める訴訟を起こしても、支払義務のあることの主張立証ってNHKなんですね。だからNHKが自分で請求訴訟起こしても、契約者側が不存在確認訴訟起こしても、そうたいして差はありません。契約者側はさっさと不存在確認訴訟を起こして違憲であることの確認をしてもらえばいいのに、なぜそれをしないのか?それは合憲判決が出るのが怖いのだ……というのとロジックとしては変わらないです。予測としても精度が低いですし。
(余談……予測の例)

法的な理由をつけて支払拒否をしている弁護士がいる
 法律論じゃ全然ないのは明らかなんだけど、それを除くとしても突っ込みどころ満載だよなあ。
 正直に言うと、法的な問題であっても弁護士間で意見が違うことがあるというのは、「行列のてきる法律相談所」のように、複数の弁護士が意見の対立を隠さない番組の登場で、一般市民にも浸透してきたかなと思っていたんで、結構驚きました。トリビアになっちゃうかもしれないけど、裁判所で主張が通らなかった例って別に非弁護士による本人訴訟に限られる訳じゃないですよ。むしろ数的には弁護士が主張して通らなかった方が多いはず。
 支払拒否をしていない弁護士も法的にはおかしいと思っているという主張なんだろうか?
 それに有斐閣の法律学全集の「交通・通信法」で違憲・違法説をとりあげなかったのは、何かの間違いだって主張なんだろうか……。
 弁護士が主張していることと法的に正しいってことは全く別です。
 ただね、だからといって弁護士を責めちゃいけません。民事訴訟における弁護士というのはあくまで「あなたの代理人」なのですから、依頼者に有利になるよう最大限努力するのはむしろ当たり前です。弁護士によっては引き受けるにあたり、「この訴訟は勝ち目が薄いですよ」という見通しを言わない場合があるかもしれない。だけど、引き受けた以上は有利になるよう最大限努力する。その中には「たとえ無理だとわかっても主張しなければならない」場合はあるからね〜。無理な中でもなんとか裁判所が通してくれそうな法律論を構成しなければならない場合だってあるんです。客観的な第3者の立場で、無理な時には無理って私は書くけど、だからといって当該代理人である弁護士を非難するつもりはないんですね。(むしろ「当事者のためにがんばっているなあ」と思うことの方が多いか も。)
NHK受信契約にも契約の自由の原則が適用される
 これ法律論に見えて実は法律論なのかどうかよくわからない主張です。簡単に見分けるなら、根拠条文が示されないことで「一般条項は二流の解釈」で切っちゃってもいいし、「契約自由の原則が適用される要件は何か、また効果は何か、そしてその根拠条文は?その根拠条文を直接言わないのはなぜか?」というチェックでいいでしょう。知識で解くなら「契約自由の原則は例外のない原則ではない」で一発終了ですし。(契約自由の原則に反する法律はNHK受信料以外にいくらでもあります。有斐閣の法律学小辞典などや、有名どころの民法の教科書にはたいてい書いています。「附合契約」「(普通契約)約款」というのもキーワード。)
「NHK受信料は人権侵害だ」で言ったことは、ここでもあてはまります。書き換えて再掲するなら……、契約自由の原則違反であっても、それが憲法やそれ以外の法律で定められたものであれば、当該条項を根拠にして、その違反を言えばいいのであって、契約自由の原則違反とぼやかすこと自体、法律論としては正確さに欠けます。そういう根拠がないのであれば、いくら契約自由の原則違反であったとしても、憲法及び以下の法令で保護されないのは当たり前です。
※余談
 ただ、この点については、もしかしたら法律をよく知っている人(たとえば自分を依頼人としてこう主張する弁護士のように?)が主張している可能性が否定できないんですよね。契約自由の原則と憲法の関係についてはとある国家試験にも出ている。で、この問題のスタンダードな解答というのは経済的自由に属するとしても個別の自由権の定めはないので、憲法29条の財産権保障にひっかけるのが本線、経済的自由は精神的自由につながる部分もあるから憲法19条の思想信条の自由にひっかけるのが本線ではないけど正確に議論すれば加点材料というものです。しかし上で書いたとおり本線の29条は負け戦、19条はもともと遠い上に佐藤幸治が否定している、となると29条も19条も書けないんですね。「条文出さないで……の原則と言っても最高裁はまず通してくれない」ことを知っていても、それで29条も19条も書けなくても、それでも自分の思想信条としてはNHK受信料を違憲違法と「言いたい」。だから契約自由の原則を持ち出す。
 そうなると読者の中には、「法律知っている人がそういうことをしてはいけないんじゃないか」と思う人がいるかもしれません。
 私自身は「議論の誠実さには欠ける」と思います。法解釈を読んだ時に、多くの人は「裁判所で採用されるであろう見解」を期待するのが普通でしょうし、何らかの別の意図があって裁判所で採用されるとは限らない見解を示す時は、そのことを「採用された判例はないけど」とか「通説じゃないけど」とか具体的に示して読み手、聞き手に判断の余地を残しておくべきだとは思います。
 さりとて全否定するつもりもないのです。法律について一般の人が感想を持つこと自体は否定されるべきではないし、一般の人から法律を知っている人を除外するのはそれこそ差別で妥当ではない。それで読み手や聞き手が誤解したとしても、それは申し訳ないけど「法律知っているからあっているだろう」と自分で調べることを省略した結果、議論の誠実さに欠けることを見抜けなかったのだから、読み手、聞き手の側でも省略の結果による不利益を甘受しなきゃいけないと思うのです。
余談終了※
 ちなみに、それこそ一般論で言えば、次の項でも出てきますが、放送法という特別法の中で定められた話に「……の原則」とかその他「一般論」で対抗するのはセンスが悪すぎるので、一読して意味がわからなければそのまま捨ててもそう変なことにはならないと思います。なぜセンスが悪すぎるかと言えば、「……の原則」とかその他の一般論を修正する必要があるから特別に法を定める訳でして、そうして定められた法の効力を「……の原則」とかその他の一般論で否定できるのであれば、「原則や一般論を修正することは法律ではできない」ってことになってしまいます。でも「特別法は一般法に優先する」くらいですから、まして特別法で原則や一般論を修正することは可能なのです。可能なことを可能でないと主張する訳ですからセンスが悪すぎるのです。
NHK受信料は○○法に違反している
 ここの○○は「放送」以外ならなんでもおっけーです。最近多いのは消費者契約法かな?
 これは私の「国際法からはじめよう」p54以下をよく読みなさいってところです。法の規定が矛盾しているかのように見える場合の処理ですね。この原則を知らないで法解釈などするな!と言ってもいいくらいのところです。適用範囲の広い法を「一般法」適用範囲の狭い法を「特別法」と呼び、特別法は一般法に優先するとされ、その結果特別法と一般法が一見矛盾しているかのように見える場合には、特別法の規定を優先して適用しなさいというものです。これは法律のどこにも書いてませんが、一方で一般的な法解釈の技法を説明している本なら必ず載っているほど重要なルールです。
 そうするとNHK受信料というきわめて限定的な話にとどまっている以上、たいていは放送法が特別法、○○法が一般法にあたるんで、放送法が優先される以上、○○法に違反するという主張自体たいてい誤りなのです。
 ちなみに……消費者契約法に限定すると、原則としては「適用になる」結果、たとえば3条1項の事業者の義務は適用になるし、何らかの理由で契約の取消は可能かもしれないが、取り消した瞬間、放送法による契約義務が発生してしまう……という見解を内閣府国民生活局消費者企画課編「逐条解説消費者契約法(新版)」商事法務p217が採用しており、鈴木・山田・砂川編著「放送法を読みとく」商事法務p259はこれを引用した上で、契約の有無にかかわらず受信料支払請求が成立すると構成しています。
 平成22年6月29日東京高裁判決では,この点について次のとおり判断しています。
「放送受信契約の締結及び被控訴人の放送を受信できる受信機を廃止しない間の放送受信料の支払を義務づけるだけであって,どのような番組を視聴するかについて強制するものでも妨害するものでもない。したがって,控訴人らの上記の主張は理由がない。
(中略)
   民放のテレビ番組のみを視聴し,被控訴人のテレビ番組を視聴しないという意思決定が侵害される旨の主張もするが,前示のとおり,民放のテレビ番組のみを視聴し,被控訴人のテレビ番組を視聴しないことも自由であることは明らかであり,控訴人らの上記の主張は理由がない。」
 非常にアバウトに言えば,「受信契約の義務づけや受信料支払の義務づけがされていても,別にNHKを見る義務が課されたわけではないし,民放のテレビ番組のみを視聴し,NHKを視聴しないことも自由であることは明らか」なのです。
 消費者契約法に戻ると,被告が,次のようなことを言っています。
「原告との放送受信契約の解約を禁止しているのは,消費者契約法10条に定める「民法,商法その他の法律の公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し,消費者の権利を制限し,又は消費者の義務を加重する」条項であるから,無効である」
 ところが東京高裁はこの見解を採用しませんでした。
 東京高裁が採用した論理は次のとおりです。
 「消費者契約法は,事業者と消費者との情報の質及び量ないし交渉力の格差にかんがみ,事業者と消費者との間で締結された契約について,消費者の利益を不当に害することとなる条項を無効としたり,取り消すことができること等を定めたものであるところ,法32条が放送受信契約の締結を義務づけ,放送受信規約9条はこのことと同趣旨のことを定めるものであって(法32条が適用されることは,消費者契約法11条2項),法32条は,当事者間でこれと異なる合意をすることを禁止する強行規定と解されることからすれば,そもそも,法32条と異なる契約を締結することができない場合であって,消費者契約法10条が適用され得る余地はないといわなければならない。」
 要するに,この訴訟では「放送受信契約と異なる契約を締結することがNHKにとってもできない」以上,「当事者間で契約内容を自由に定められる場合に限定される」消費者契約法10条の適用はないというのが東京高裁の判断です。
余談
 消費者契約法3条2項の消費者の義務をはたすため、lufimia.netの本で勉強しました……なんて人がいたら、著者すごく嬉し泣き。
放送法何条は放送法何条に反して無効だ
 法と言えども実際無矛盾ではないですから、矛盾しているかのように見えることはありますし、実際矛盾している場合もあります。だけどだからと言って「矛盾だ」って叫んでみたところで、「そ〜れは、矛盾と思うあなたが間違い」ってたいていは言われそうです。というのは、異なる法律の間でそういうように見えた場合には、上で述べた「一般法特別法」とか、上では述べてないけど「前法後法」とか「上位法下位法」などのルールをまず適用することになっていますし、そうすればたいてい解決できます。
 同じ法律の中で矛盾するように見える場合、この場合は本当に矛盾となる解釈しかとり得ないのかをきちんと検討しなくてはいけません。そして矛盾にならない解釈があればそちらが優先します。(これも法律には書いてないけどきちんとした解説書にはたいてい書いてある。)
 はたで見ているとたいていは無矛盾の解釈がたいてい存在しているもんなあ……。(カタカナの頃の法律ならともかく最近の法律だとなあ……。法制局職員の能力を馬鹿にしちゃあいかん……。)
NHKの受信契約や放送法には強制力がない・受信契約の義務づけは訓示規定にすぎない
 ……アナーキストな主張だな……。
 まず放送法には強制力があります。だって法律ですもん。
 もしNHKが訴訟を起こすとすれば考えられるものとして、契約締結義務違反を理由とする損害賠償請求があり得ることはNHK受信料に関するエトセトラで書いたとおりです。確かに今NHKはこの訴訟を起こしていませんが、それはこの訴訟が不可能であることを意味している訳ではありません。
 受信契約は強制力がないというのは……締結しないと損害賠償義務が発生し得るのに、たまたまそれが裁判になっていないだけのことで、法律には義務があると書いてあるのですから……法解釈の主張としては失当でしょう。
 ちなみにNHK自身が「受信契約をお願いする立場」などと言っていることは、これらの法解釈の際には「NHKはそういうように言っている」というだけのことです。それは受信料の性格についていくらNHKが公用負担だと言っているからといって、そのことで公用負担になる訳ではないのと一緒です。
 ……NHKの見解を金科玉条にしている人が、公用負担説だけはNHKを無視するというのも、なかなか偏っている話です。
 また,法律には確かに「訓示規定」と解されているものがあります。
強制力を持たない,違反しても制裁を伴わない,そのように解される規定を訓示規定と言います。
ところでNHK受信料に関する放送法32条については,前述の各判例が述べているように,「契約を義務づけている」「受信料支払を義務づけている」としていますし,それを前提に,受信料の不払に対し,「受信料の支払を命ずる」という制裁を課しています。したがって,放送法32条を訓示規定と解することは,前述各判例に反しています。
NHKの受信契約や放送法には罰則がない
NHK受信料に関するエトセトラにも書きましたが、罰則がなければ(刑事法上)処罰できないだけで、民事法上の責任が問われないことは全然意味していませんよ。
不退去罪でいう正当な事由はNHKが定めたものだけだ
 最初は趣旨不明だったのですが……。確かに放送法には「正当な事由」って文字列が出てきますんで「あ〜あ」となった次第。
 あたりまえですけど、不退去罪ってNHK受信料についてだけ発生する訳じゃありませんよね。ってえか全国で裁判になった例はたいていNHK受信料とは無関係。ですから不退去罪における正当な事由は、不退去罪のものとして(=放送法とは切り離して)きちんと検討しなければなりません。
 同じ言葉が法によって別の意味になることはよくあることです。単なる文字列の一致で意味も同じだと解してはいけません。
 ちなみに、不退去罪の成否は、まず不退去罪の対象となる場所かどうかの検討が必要です。仮に場所的に不退去罪の対象となったとしても、「正当な理由」がなくてはじめて不退去罪になるのですから、正当な理由の有無を検討しなければなりませんが、NHKを受信できるTVを設置したため、NHKと受信契約をする義務があるのに受信契約をしないという、放送法という法律に違反している人を相手に、契約をするようNHKの関係者が交渉をするというのは、その行為が他の刑罰法規に触れたり、度を過ぎた場合ならともかく、こと不退去罪についてはまさに「正当な事由」なのですし、不退去罪にはなりません。厳格に言うと「正当な事由」と構成要件に書いているので構成要件阻却になるのか、それとも違法性阻却になるのかの争いはありますけど、まあ不退去罪にならないという結 論は変わりません。
 正当な事由についてもう少し勉強してみる?
総務省の人は「契約を結ばなくともよい」という見解を示した
 これは騒動記……NHK受信料問題で引用や出典明記を学ぶでも扱う、「コミュニケーション能力というかリテラシーの不足」の話みたいでして、誰か(またきっと反NHK受信料な人だと思うんですが)がそのように曲解したら、あたかもそれが事実であるかのように伝わってしまう現象のようです。
 これは、正確に検討すると長くなるんで別に書きますけど、結論から言えば「契約を結ばなくともよいという見解を示した……のはガセ」です。
 正確な検討を読みたいという方はこちらをどうぞ。
NHK受信料の不払いは企業統治(ガバナンス)に有効なのだ
 これも法律論じゃないんですね。正確に言うと、NHKへの批判を表明する手段として受信料不払というのは有効なのだということは、裏を返せば批判をすべきではない時にはきちんと支払いなさいってことなんですね。だって批判する時には支払わない、批判しない時も支払わない、それじゃあ支払わないことには何のメッセージもこめられていないでしょう?
 そしてこの主張の最大のポイントは「法律にてらして許されるかどうか」という議論とは全く独立だってことなんです。「批判すべきじゃない時には支払うべきだ」という点をとらえるならば、むしろ「法律上は払うべきだ。違憲でもなんでもない。」という発想の可能性の方が大きいでしょう。
 実はこの主張自体にあれこれ言うつもりは私はありません。下で書きましたが「「それはおかしいから払う訳にはいかない」と拒否することの方が、よほど感情に訴えるもののような気がしてなりません。」の一例だと思っているからです。
 この項を書いたのはむしろ、「違憲だ違法だと言っているサイトが企業統治を持ち出していたら、そこの法律論は眉唾物」という判断に使えるためです。
総括
 反NHK受信料のサイトにおける法解釈を見ていると、結局法解釈の基本技法は全くおさえずに、かつ自分の都合の悪い結論への道は全部ふさいで、独善的な結論を出していることがわかります。このコンテンツも珍なる解釈を見つけるたびに、「それは違う」と修正を加えていますが、正直なところ「そんなこと誰が言った?そんなことどんな本に書いてある?そしてそれを批判している本についてはどうするの?」と思うことしきりです。
 2004年に発覚したNHK内の不祥事や、それに続くNHKの報道姿勢への批判で、NHK受信料不払いが急増しているようなのですが、無理な法解釈(というよりこじつけ)をしないで、「それはおかしいから払う訳にはいかない」と拒否することの方が、よほど感情に訴えるもののような気がしてなりません。
 ……だってNHKが必要かどうかは国会で決められることでしょう?放送法を変えればいいんだから。
 実際,平成22年6月29日東京高裁判決には,こんなくだりがあります。
「控訴人らは,その他,種々憲法上の論点を主張しているが,詰まるところ,意思に反して放送受信料の支払の強制を受けたくない旨の主張に帰するものと思われる。しかしながら,法は,被控訴人の存在が公共的存在として意義を認めており,法32条には合理性があること,被控訴人の放送を受信することができる受信設備を設置せず,契約をしない自由もあるのであって,被控訴人の放送を受信することができる受信設備を設置した者が放送受信契約を締結しなければならず,放送受信料支払義務を負うとしても,公共の福祉による制約として国民の財産権に対する侵害にもならないのであって,控訴人の主張はいずれも独自の見解であって採用することができない。」
 そしてこの文の前では,NHKという制度や放送法32条の制度趣旨について,詳細に検討しているのですね。国会が現行の放送法において,NHKという制度や受信料の制度について定めていることを違憲ではないと判断している。しかし,違憲ではないからということはその制度を維持しなければならないことを全く意味していません。
 法律論に走らないで要不要を論ずればいいのに……。
 どうして法律論で正当化することにこだわるのかなあ……。
 ……それでもどうしても法律論をしたいなら
   せめて法律の本を読んでからにしてほしいです。
(2011.5.18.改訂)
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