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7 錯誤

 世の中が本人の思うとおりに動いているのであれば、錯誤ということはあり得ないわけですが、実際には自分自身ですら思うとおりになるとは限らないわけでして……。そういう本人の思いと現実とに違いがあった場合にどうなるかという話です。

(1)故意または過失による行為という点に錯誤がある場合
 実際には過失については錯誤はあまり考えなくていいでしょう。なぜなら過失というものがそもそも「そうしたい」と思ってやったことではないからですし、本人に課せられた注意義務にうかつにも反してしまった場合には、そこで本人がどう考えていようとも、「注意義務違反」という点で一緒であればその具体的な違いは問題にならないからです。
 そうなると話は故意の内容と行為とが異なる場合に限定されます。
 故意の内容については既に述べたとおり、構成要件が基準になっていました。たとえば他人の物を損壊する気持ちが故意なのだと。構成要件が基準になるのはここでも一緒です。故意の内容と行為とが食い違っていても、該当する構成要件が全く一緒であれば何も問題はありませんし、もし違う構成要件であっても構成要件が一部分重なっていることはある訳で、その重なり合う範囲内で一緒であればこれまた問題にはなりません。もっとも刑罰がそれで変わるということになるとさすがに問題なしという訳にはいかず、刑法38条2項によって、いくら重なりあっても、重い方の構成要件に対応する刑罰をあてはめる訳にはいかなくなります。そして重なり合わないのであればさすがにそこに故意を認める訳にはいきません。

(2)結果に錯誤がある場合
 これは正確に分類すると2種類あります。
 1種類目は「Aさんだと思って危害を加えたらAさんだと思っていたのは実はBさんだった。」というもの、もう1種類は「Aさんに対し危害を加えるべく行為をしたら、それがそれてAさんではなくBさんに結果が発生した。」というものです。
 しかしこれもとりあえずは構成要件を基準に考えることでよいと思います。今あげた2つの例を殺人罪の場合として考えると前者の例は「人だと思って人を殺す行為に出たら人だと思っていたのは実は人だった。」で、なんのことはない「人を殺す意思でそのとおりにし人が死んだ」のですから殺人罪でなんの問題もありません。後者の例も「人に対し人を殺す行為に出たら(別の)人が死んだ」ということなので殺人罪が成立するのは間違いないところです。「(別の)」という部分をどう解するかで、(Bさんに対する)殺人罪の他に(Aさんに対する)殺人未遂罪(なぜなら人を殺す行為には出ているから。)が成立するという考え方と、(Bさんに対する)殺人罪だけが成立するという考え方(人1人を殺す故意しかないからBさんに対する殺人罪が成立する以上Aさんに対する行為は問わないとする。)とする考え方があり得るのですが、このあたりの議論は各自が刑法の教科書を読んでおくこととしてください。

(3)因果関係に錯誤がある場合
 因果関係に錯誤がある場合というのは、実はあまり問題にならないのです。というのは、因果関係の判断基準は「もしその行為がなければ結果は発生しなかっただろう」と「その行為をすれば普通そういう結果になるだろう」でした。で、これらには「本人がどう考えていたか」の違いは全く関係しないので、仮に錯誤があったとしても答が変わらない以上、問題にならないということになります。
 実際に議論されるのは本人の別の行為や第3者の行為が加わった場合なのですが、おそらくは以上の理由から因果関係はあると判断されているケースがほとんどです。中には因果関係を否定したケースもあるのですが、それは「車の運転中に人をはねたが、その人が自分の車の上にのっていたのに気づかず、先にきづいた助手席の人が走行中にひきずりおろした」というもので、これは「普通そういう結果になる」とは到底言えないものでしたので、因果関係が否定されるのが当然と言えるでしょう。

(4)違法性の判断に錯誤がある場合
 これまた問題はかなり絞られます。もともと違法性の判断は違法性阻却事由の有無の判断に転化することは既に述べました。ですから違法性阻却事由の有無以外の点で違法性がないと考えたとしても、それはそもそも犯罪成立の要件として要求されていないのですから、錯誤があっても無関係ということになります。そうなると違法性の判断に錯誤がある場合というのは、端的に違法性阻却事由の有無の判断についての錯誤ということになります。そして違法性阻却事由の有無というのも、これまた概念的には定まっているものについて誤解をしたというので、結局構成要件該当性の問題に戻ると言っていいでしょう。

(5)責任の判断に錯誤がある場合
 定型的な判断に属する「刑事未成年」「心神喪失」については錯誤自体考えにくいでしょう。自分は心神喪失だと思っていましたが客観的には違いました……なんてえのはたいてい心神喪失じゃないでしょう。また20歳未満については少年法が適用される結果、14歳であるか否かで犯罪の成否が変わったところで、多少少年法の根拠条文が変わるだけで、たいていは同じような扱いになるからです。
 一方「期待可能性」の部分については錯誤があり得るでしょう。しかしその多くは責任そのものについての錯誤があったというよりは、責任についての自分の判断が他の人、特に裁判になった際の裁判官の判断と異なったということになるでしょう。

(6)特に事実ではなく評価の違いによる錯誤について
 以上述べてきた錯誤の形態は、基本的には自分の認識、予定していた事実と現実におこったこととの違いに起因するものでした。これに対して、認識・予定していた事実と現実におこったこととは一致しているものの、それに法律をあてはめて評価した際に裁判官による判断と異なってしまうって類の錯誤があります。これをどう処理するか。
 これは「評価の問題だから」と一律に論じる訳にはいきません。
 もともとこういう類の錯誤を特別に論じてきたのには理由がありました。「構成要件に書かれたことにあてはまらないように行動することができたのに、あえてそれをしなかった」ことが処罰の根拠であることを説明してきましたが、もしなんらかの理由で評価を誤ったがゆえに「構成要件に書かれたことにあてはまらないように行動することができなかった」のであれば、処罰の根拠がなくなってしまうという理屈になるからです。法律を知らなければ「構成要件に書かれたことにあてはまらないように行動することができなかった」という理屈もなりたち得るので、わざわざ刑法38条1項本文で、法律を知らないからといって故意がないということにはならない、と書いたのと同じ筋の話です。
 実際ある種のものは故意にならないと考えざるを得ません。例えばその評価が構成要件の中に含まれているものがこれにあたります。器物損壊罪における「他人の物」というのは民法をあてはめて判断しなければならない訳で、その判断に錯誤は発生し得ます。で、ある物が他人の物か自分の物かということは、確かに民事訴訟が起きるくらいなのですから誰の目にも一目瞭然という訳ではないのですが、概念的には法律によって評価した結果誰の物か(誰の物でもないという答も含めて)が確定している訳で、この場合の錯誤はその確定していたことを間違えてしまったことにあり、実は評価の問題とは言い難いものなのです。この場合には故意はなかったとせざるを得ません。一方純粋に評価の問題と言えるものもあります。昔たばこを小売りするためには免許が必要だったのですが、免許をもっている個人が役員をしている会社が個人の名前を流用して小売りをしていいかどうかは、これは法律によってどう評価されるかが直接問題となる事案です。こういう場合に「大丈夫だと思った」としても、これの本質は「法律をよくしらなかった」ということにつきますので、故意がなかったということにはなりません。
 評価の違いによる錯誤については、それだけで1冊の本になりますので、この程度で。


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