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supererogation

岩波書店の「図書」の2011年8月号に
長谷部恭男先生が「「義務なき働き」について」というエッセイを載せている。
なかなかおもしろい話だなあと思って読んでいたんだけど……。

で,そのおもしろさの1つが
「supererogationに対応する日本語がない」
という点。
「推奨されるべきではあるが,義務ではない行為」
と訳すのが一番意味を伝えていると長谷部先生は主張している。
例としては「サンダーバード」をあげている。
主人公は大富豪の息子であるところ,
救助をしては賞賛される。
だけど救助しなくても批判はされない。
彼らは義務を果たすべくそうしているのではないのだから……と。
そしてこの場合に「なぜそうしなかったか」と問われても答える必要自体がない。
そもそもそうしなければならない義務がない。
そう問う人の方が,ものをわかってないのである……と続く。

このくだりを読んだときに思い浮かんだのは
実は「Fate/Stay Night」の1シーンだったりする。
主人公が「全ての人は助けられない。助けようと思った相手だけを助けているのだ。」と指摘されるところ。
主人公がもしsupererogationを知っていれば
「それが,何か?」と受け流してしまい
「Fate/Stay Night」が成立しないか全然別の話になってしまうか……ってことを考えたのさ。

あと
「普遍的な道徳ではなく仲間内の同胞意識に訴えかける議論は
 わかりやすくはあるけど
 それで問題が全て解決されたことになるのかという疑問が残る。」
という指摘も
朝,コンビニ近くで高校生が右翼の街宣車に乗って演説しているのを見て
重要だなあって思った次第。
……演説スタイルは右翼っぽくなくてよかったんだけどね。


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