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それってニュースを自分で作っていると思う

前にもどっかで書いた話ではあるんだけど……。
刑事裁判は傍聴可能で,たいていは傍聴席の数ほども傍聴人は来ないから
当日ふらっと法廷に入って傍聴席にいればいいんだけど……。
有名人が被告人となっている刑事裁判のように
傍聴席がうまってしまえば,それで打ち切り=その後の入廷は認めないとか
はなから抽選にすることもある。

で,有名人が被告人となっている場合
マスコミが取材対象にすることもあるんだけど
正直
「X席に対しY人が行列を作っており,世間の関心がうかがわれる」
という情報は,
あれは報道機関が事実に反するニュースを作り上げて自ら報道している類だと思うのよ。

というのは……。
マスコミが報道対象にするくらいだから,マスコミは法廷内にも入ろうとするのよ。
その裁判所の記者クラブに属していれば1社1席で傍聴席は確保されている
(それだけ一般傍聴席が減るわけだが)
でも,たいていはそれでも足りないというので
一般傍聴席の抽選に並んでさらに傍聴席を確保しようとするのね。
これ,確保を確実にしようとして,アルバイトを雇って並ばせて
アルバイトが当選すれば,傍聴券を記者に渡して……というのも当然に行われている。
しかも,報道機関はえてして文系職場だから
「定数20の抽選に20人を超えて並ばせたところで当選確率は上がらない」
ということも(直感に反するがゆえに)理解できなくて
御予算の限り大量に並べるのね。

その結果,「X席に対しY人が行列を作っており」こと自体は嘘ではなくとも
Y人のうちZ人が報道機関によるものだということを確定して
その人数を引いておかないと
「世間の関心がうかがわれる」ことにはならないよね?
だって
Y人のうちのZ人は報道機関が並ばせた人で
報道機関とは関係なく傍聴を希望しているY-Z人とならべて
あたかもY人が「報道機関とは関係なく並んでいる」かのように
報道しているわけで……。

これってある種のやらせそのものでしょ?

というので私は「傍聴券を求めて何人が並んだ。競争率何倍」って情報は
全くの誤り,事実に基づかない,フェイクニュースだとして扱っているのです。

訴状に貼る印紙がない場合

おおもとは某所で訴が第1回口頭弁論期日前に取り下げたって話から。

わざわざ訴訟を起こす=訴状を出しておいて,期日前に取り下げるのって信じられないかもしれないけど
実務の世界では,比較的よく見られる話。
というのは,訴状を受け取った被告が,原告と話をつけてしまい
原告としても訴訟が不要になるというのは,比較的よくある話で
これを受けて訴訟を取り下げれば
「最初から訴訟がなかったものとして扱われる。」
(余談だけど国際司法裁判所は「付託事件リストから削除」だけど
 日本の裁判所は「事件簿」という帳簿には訴訟があったこと自体は残しておく。
 ただどっちも「最初から……」の点は同じ。)
で,そういう事態は想定されていて
民事訴訟法261条1項は「判決が確定するまで」訴えを取り下げることができるとし
262条1項でその効果を「始めから係属していなかったものとみなす」としている。

さて,訴訟は訴状を裁判所に提出することになっているが
細かく言うと裁判所の訴訟にかかる費用は「手数料」「手数料以外の費用」の2本立てで
手数料は収入印紙を買って消印しないで訴状に貼ることで納付することに
民事訴訟費用法8条本文で決まっている。

そのとおりやった人が,事情が変わって取り下げるとした場合
民事訴訟費用法9条3項1号該当で半分返すことになる。
ただし,これは自動的に返るわけではない。
3項は「申立てによる」と明記してある以上,
原告が「訴訟費用還付請求」という手続を申し立てなければならない。
申立をしなければ永遠にもどってこないわけさ。
申立をして要件を満たしていれば,原告指定の預金口座に振り込まれる次第。

さて,某所では
「お金を集めて訴状を出して,だけど取り下げて,半額を戻してもらって……」
を狙っていると推測している話が出ている。
訴えの取下げは「初めから訴訟がなかったものとして扱われる」なので
取り下げてしまうと「裁判をやった」とはもはや言えなくなるはずなんだけど……。
「訴訟をやった(けど取り下げた)。
 訴訟をやったから印紙代のことは集めた人からはそれ以上追及されない。
 そして半額請求して口座に振り込まれてウマウマ」
と思っている人が,世の中には結構いるらしいことがわかった。

そもそも,根拠がなければ邪推の話ではあるんだけど
もともとの話として,それやるくらいなら,最初から印紙貼らなきゃ丸儲けじゃないか……と。
弁護士だったら印紙貼ってないと窓口で指導入るから
かえってあまり気付かないかもしれないけど
印紙貼ってない・付けてない訴状なんて日常茶飯事と呼べる程度にはあるからねい。
そして裁判所では印紙を貼っていないことだけを理由に訴状扱いをしないということは
できないシステムなのだ。
究極的には民事訴訟法137条1項後段で「補正命令」として印紙納付を命じなきゃいけないし
補正命令にもかかわらず印紙を納めなければ
同条2項によって訴状を却下することになる。
(これ,他の訴訟終了原因である=訴えの内容や形式が不適法な場合の「却下」と区別して
 「訴状却下」と呼ばれている。)
だけどこれって裏を返せば,
「印紙貼ってないだけでは,訴状の受取拒否はできない」
ってことなんだよね。

そしてこの仕組みを知っていて,手数料の節約をはかろうとするなら
わざわざ印紙を買って貼り付けて半額は戻ってこないってより
最初から貼らなきゃ丸儲けってところまで読みきっているんじゃないかと思うのよ。
細かく言うと
印紙貼らないで訴状出せば
まずは任意に「印紙出してください」って催促だ。
言うこと聞かないと,今度は補正命令。
それでも貼らないと訴状却下という手順。
当然訴状却下になる前に取り下げても同じ。
ポイントは,印紙を貼らないのは違法だけど
違法な訴状は訴状却下しちゃえばいいし
訴状却下してしまば,もはや印紙を貼る義務も消える=印紙出せとは言えなくなる。
訴状却下前に取り下げても一緒で
もはや印紙を貼る義務も消える=印紙出せとは言えなくなるのだ。

この話,意外に知られていない。
弁護士の発言でもこのストーリーの可能性に一切触れていなくて
「もしかして……知らない?」との疑いを持ったし
まして弁護士じゃない人はたいてい知らないよね……。
というので紹介した次第。

司法警察「官」?

司法警察職員=一般司法警察職員+特別司法警察職員
一般司法警察職員=司法警察員+司法巡査
(特別司法警察職員に司法巡査はおらず,全員司法警察員)
……というのはきちんとおさえていたんだけど
「司法警察官」という用語が実は労働基準法にまだ残っていたというのを
つい先日聞いて,すげえ驚いた。

元の話でいうと,本来警察作用というのは行政権に属するもので
行政目的を実現するための組織なわけだ。
なもんで,行政目的を実現するための組織に
刑事訴訟の手続の一翼を担わせることについては
実は議論の余地のあるところで
実際,刑事訴訟手続の中の警察の役割というのは
国によって結構違っているし
日本だって第2次世界大戦前後で大きく変わっている。
今の日本は,行政警察の構成員に
刑事訴訟の手続の一翼を担わせることにするけど
行政目的を実現するための警察作用とは区別して
「司法警察」とし,その構成員を冒頭のように定めたわけだ。

もっとも戦前の日本の刑事訴訟制度では
裁判所が捜査も全面的にコントロールする態勢だったから,
予審判事の指揮の下で警察官が捜査していたし
裁判所の検事局に属する検察官が公訴を提起していた。
警察官が捜査を担当すること自体は変わってないわけね。

で,戦前の刑事訴訟法における警察官の名称が
「司法警察官」と「司法警察吏」だったわけ。

さて,戦後,現憲法の下でいろんな法律が整備される中で
労働基準法は労働基準監督官に捜査権限を与えたんだけど
昭和22年の施行時,刑事訴訟法はまだ戦前の刑事訴訟法
(に臨時のパッチを当てたもの)だったから
労働基準法102条も,当然それにあわせて
「司法警察「官」」
とした。

ところが,パッチだけじゃもたないというので
刑事訴訟法も全面改正されることになったんだけど
昭和24年1月1日に施行されることとなった刑事訴訟法では
「司法警察官」「司法警察吏」というのをやめて
冒頭のとおりの名称に変えたんです。

そうすると……
せっかく施行した各種の法律の「司法警察官」もなんとかしなきゃいけなくなる。
本当はそれぞれの条文を変えたい。
(そして今ならたぶんそうする)
ところが忙しくてやってられない。

そこでどうしたか?

司法警察職員等指定応急措置法2条で
「他の法令中「司法警察官吏」とあるのは「司法警察職員」と,
 「司法警察官」とあるのは「司法警察員」と,
 「司法警察吏」とあるのは「司法巡査」とそれぞれ読み替えるものとする。」
とした上で,昭和24年1月1日に施行することにしたわけ。

「措置法」だから1回限りの効力だし
「応急」だから,永続的措置として,各法の改正時には一緒に改正してね……
ってメッセージが発せられているわけだけど……。

この応急措置法で読み替えることになった以上
読み替えの効力自体は廃止されるまで続くから
あわてて改正しなくてもいいや……ってなったんだろうね。きっと。

なもんで,労働基準法はその後改正を何回もしているのに
いまだにここは改正されず
結果,「司法警察官」という表記が
文言上は残っていることになっている次第。

削除の仮処分を却下した最高裁決定の守備範囲は広いと思う

googleに検索結果の削除を求めた仮処分についての最高裁決定が出て,
最初ニュースとかで見る限り,
「忘れられる権利が認められるか?」
「最高裁は特に何も言わなかった。」
って感じだったんで,最初はながしていたんだけど……。

原文見てみたら,実は別の点で影響が大きいんじゃないかと思ったので
そんなことをつらつら書いてみたいと思う。

ちなみに,これ,削除というのを仮処分として地裁に対して求め,
地裁は削除を認めたんだよね。
でも,本来は仮処分だから,あとで一般の訴訟をやらなきゃいけない。
仮処分にも不服申立はできるし
実際本件でも不服申立がされているんだけど
不服申立(抗告)を審理する高裁で判断されると,
原則はさらに不服申立はできないんだよね。
一般的に「3審制」と言っても「3回やることが保証される」わけではないんだけど
仮処分の場合は,原則は2審制なんですよ。
実際高裁は,地裁の認めた決定を覆して,認めない決定をしているんで
原則はそれで決まり。
ただ,憲法違反など一定の理由があれば例外的に最高裁に持っていける。
ということで,この判例は裁判所のwebサイトで既に公開されているんだけど
「許可抗告事件」と耳慣れない言葉が冒頭にあるのは
そういう「原則に対する例外」の話だからということだったりする。
あと,一応は,訴訟でリターンマッチすることが認められるし,
訴訟で別の結論が出る可能性自体は否定できないんだけど,
本件で訴訟を本当にやるかどうかは微妙だとは思う。
……最高裁で以下で説明する理由を示しているのに
  その理由の下で訴訟で勝てるとは到底思えないし
  最高裁がこの理由を短時間で覆すとも到底思えない……。
  そうしたら結論は見えているよね。

さて,本件は最高裁は高裁の判断を支持して「削除は認めない」としたんだけど
そもそも「google様絶対。削除なんて箸にも棒にもかかりません。」って話では
全然ないわけさ。

個人のプライバシーに触れた場合
人権が認められない権力による行為によるものを除けば
これは常に「個人のプライバシー」と「表現の自由」とが衝突するけど
表現の自由が絶対に保護されるわけでなければ
個人のプライバシーが絶対に保護するわけでもないから
「利益損失の比較衡量」という名の調整という話になるというのが
裁判所の考え方で,この点はぶれていないと言っていい。

個人のプライバシーが「犯罪」「服役」に関することであれば
いわゆるノンフィクション「逆転」事件についての
平成6年2月8日最高裁判決が有名。
この事件の中身はいたるところに転がっているだろうから
興味のある方は各自調べていただくことにして……。

まず,
「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、
 さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、
 とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、
 その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、
 その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有する」
「その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、
 一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、
 その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、
 新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有する」
として,「犯罪」「服役」に関することについては「公表されない」法的利益があるし
これは同時に
今の社会生活の平穏を害されない法的利益,
更生を妨げられない法的利益
があるんだ(なぜなら一市民として社会に復帰することが期待されている)というのが
基本線なわけだ。
一方それで公表が一切だめかというとそうではなくて
「刑事事件ないし刑事裁判という
 社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、
 事件それ自体を公表することに
 歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、
 事件の当事者についても、
 その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。」
「その者の社会的活動の性質
 あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、
 その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、
 右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もある」
「その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、
 社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、
 その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として
 右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、
 これを違法というべきものではない」
というように,公表が許される場合もあるとしているんだけど……。
「言論の自由だから」という緩い判断基準ではなく
・歴史的or社会的な意義がある
・その人に社会的な影響力が認められるときに,
 その影響力の評価・判断の資料とするためのものである
(その典型例として公職にある者及びその候補者)
のどっちかがないとだめだとしているわけね。

で,この構造は,今回の検索結果削除請求でも,裁判所は変えていないわけさ。
ちなみに逆転事件は公表対象となった事件とノンフィクション作品公表との間に
約13年が経過しているけど
本件の削除請求では事件と削除請求までは約5年。
だけど判断の枠組みは変えていない。
「プライバシー対表現の自由」という枠組みで考えるならば,
特に目新しいところはない決定なんですよ。

にもかかわらず,私が今回の判決が意外なところに影響するのでは?と読んでいるのは
「表現の自由」の問題だと判断したところなんです。
(そして,この点は私は大賛成だし,実はいろんなところで書いている。)

google的には,
「自分たちは自動的に集めてきたデータを提示しているだけだから
 内容については与かり知らぬものである」
というのを常に主張しているし,
「情報の収集,整理及び提供はプログラムにより自動的に行われるものの」
という決定文中の表現はgoogle側の主張によるものではないかと想像されるんだけど
最高裁はこの点が理由にならないと明言していて
「プログラムは検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成されたものである」
と最高裁は判断し,だから
「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する。」
としたんですね。
その上で,にもかかわらず削除を命じるとなると
「方針に沿った一貫性を有する表現行為の制約」
になるから,簡単にはいかないよって判断しているんです。
加えて,検索結果の提供という表現行為がなぜ保護されるかといえば
その価値を
「公衆が,インターネット上に情報を発信したり,
 インターネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを
 支援するものであり,
 現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている。」
点に求めており,削除はこの点で公衆への不利益だと指摘しています。

結果的には本件では削除は認めていないけど
削除が認められる抽象的な要件は示されたし
それにあたって「プログラムが~,ロボットが~,自動的に~」と言っても
全然関係ないよってされた上
「検索結果の提供は検索事業者(今回はgoogle)の表現行為」
だから,表現行為に伴うものとして責任とらないとだめだよって言われたわけで
「検索も表現で責任を伴う」は
検索事業者(例えばgoogleとかyahooとか)に対する
大きな重しになるんじゃないかと思うんですよ。
……googleからすれば日本における歴史的敗北を喫したことになるのではないか……と。

具体的に言うと
どこかのサイトが他者に損害を与えるような内容のサイト
(言い換えればそのサイトの作成者が損害賠償責任を負うような内容のサイト)
をgoogleのロボットが拾ってきて
検索結果に反映させると
最初の検索結果の提示の時点で
「googleの表現行為である」とされて
google自身もまた損害賠償責任を負うことになる
今回の削除の仮処分の却下決定が
ここまで導けることになってしまうんです。

当座,「サジェスト機能」がすごく危ない。
検索利用者側としてはネタとして笑っていられるかもしれないけど
「特定の人名,団体名」を入れた時に,
それに対する「評価の言葉」を出してくるのは
それが「googleによる表現行為」になるわけさ。
そして当然のことながら単語を並べただけでの表現だから
「fair comment」にはなりようがなく
損害賠償請求が可能になってしまう。

googleにしてみれば
「表現行為としてとらえられて責任を負わされるくらいなら
 表現行為とされないで,
 古い情報について,忘れられる権利として処理してもらった方が
 よほど楽。」
ってことになるんじゃないか……って私は思っているんですよ。

そしてこれは同時に
いわゆるキュレーションメディアという名で
他者の成果を横取りしているサイトについても
「これは私・われわれが書いたものではないから」
という言い訳を許さないことにまでつながると私は予想しています。
というのは,検索事業者が「自動で」言った背景には
「既になされている表現」を「自動で」拾って提示しただけだから
「既になされている表現」についての責任は負わないという主張のはずなんだけど
この点を今回の削除請求についての最高裁決定がはっきり否定して
「検索結果を提示する者の表現行為」と位置づけた以上
いわゆるキュレーションメディアについても
「(原稿?を誰が書こうと)それをサイトに載せるのが表現行為」となるはずで
「(原稿?を書いた者によって)既になされた表現だから」
というのが言い訳にならないという判断が導かれるとするのが自然だからです。

いわゆるまとめサイトも同じだよね。
「既に他の人が他の所で書いたものを集めてきただけ」というのも
「でもあなたがまとめて提示しているんだからあなたの表現行為です」
で,終了……と。

こう考えていくと
今回の最高裁決定は
「いわゆるインターネットにおいて
 他者による成果を利用した場合
 他者によるものであることを理由に免責はされない」
ってことを打ち出したものとして
すごく重要なものであるというのが
現時点での私の評価なのです。

どんな初心者でも安全な究極のライディングウェアを提案

https://www.youtube.com/watch?v=VCFV2PTjsRo

これ,意外にいいと思う。
ジャージではなくて寒さ対策とか雨対策になる衣類なら
あたし買っちゃうよ。

ちなみに……。
警察官の服装で公道を走ることに法令上の問題があるかなんだけど
全然思い浮かばない。
軽犯罪法1条15号の
「法令により定められた制服……に似せて作った物を用いた」
に該当しないとまでは断言できないけど
そもそも白バイ警官の服装が「法令により定められた制服」かどうか
はなはだ疑問。
そしてこれにあたるとしても
もともと軽犯罪法は,他の刑罰法規のように解釈した日には
「国民の権利を不当に侵害」するのがみえみえだから
4条で
「国民の権利を不当に侵害しないように留意し,
 その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない」
と明記されるわけで
このような用法なら軽犯罪法不成立でいいんじゃないだろうか。

旧暦2033年問題

とある方面で,
「2033年の友引が決まらないので波紋が広がっている」
そうなんだけど……。
(まあ,週刊誌が書くことだし,さらに又聞きだというから,
 まともに信じちゃいけない類ではあるんだけど……。)

「葬儀業界は困る」
←「友引が決まらないから」
という話だそうなんだけど……。

このあたり,六曜には冷淡(笑)な国立天文台がページを公開しているので
正確な記述はそちらにまかせることにして
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2014.html

なぜ葬儀業界が困るのかを考えると
「友引が決まらない」
←「旧暦が決まらない」
←「今までの計算式なら2033年の9月23日が旧暦8月1日,11月22日が旧暦11月1日,その間に旧暦の9月と10月なんて入らない」
という話のはずだよね。

じゃあ,今までの計算式じゃなきゃいいでしょ?
実際,過去の改暦って,こういう不都合が起きたor起きるから行われた訳なんだし……。
そして前回の改暦って,明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日として
以後太陽暦で行くことにしたあれじゃん!
(明治5年11月9日太政官布告第337号 改暦ノ布告
 もっとも1900年問題(笑)をむかえて
 明治31年5月11日勅令第90号 閏年ニ関スル件を出して
 グレゴリオ暦……4で割れれば閏年,100で割れれば平年,400で割れれば閏年
 に移行したわけだが。)
布告文の中でこんなことを書いている。
「旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメ……」
まあざっくり言えば
「旧暦を廃止して太陽暦を使うことにしたから,みんな守れよ」
ってことだな。

それなのに,なんで旧暦使うかね~。法令違反じゃん。(笑)
……という話は置いておいて……だ。(置くな!爆笑)
法的には廃止された旧暦がまだあるってこと自体が
本当は不思議な話だよね?
旧暦は誰がどうやって決めているの?

実は「どうやって」というのは
・計算の方法は天保暦の方法
・基準となる天体現象は東経135度の地点による
というハイブリッドというかキメラな方法論によっているわけだ。
純粋な天保暦は東経135度ではなく京都135度46分が基準。
それが東経135度になったのは,
現在の国立天文台が東経135度を基準にしてデータを公表しているためで
その点では「基準となる天体現象は東経135度の地点」によったデータ自体は
国立天文台が計算しているんだけど
別に「天保暦の方法」で計算しているわけではない。

国立天文台で計算していなければ
計算しているのはどこ?

計算している人がいればその人が決めればいいだけのことだし
計算している人がいなければ……誰が今まで計算していたの?ってことで
問題になりようがないと思うんだけどね~。

……まあ,これを機会にやめてしまえば……というのが実は筋がいい。

批判?

ネタとしておもしろかったので,まとめておこうと思う。
ワンセグ携帯についてのNHK受信料支払義務について
義務のないことの確認を求めた訴訟の1審判決が先日さいたま地裁で出て
判決内容が「義務なし」だったという1件。
ちなみにNHKは最高裁まで持っていくだろうし
原告だって最高裁まで持っていくだろうから
いずれ最高裁の判決が出るでしょう。
なもんで,現時点では,さいたま地裁の判決自体にはノーコメント。

もっとも,さいたま地裁の判決原文はまだ裁判所のサイトでも掲載されていない。
……たぶん裁判所的には掲載しないだろうな~。最高裁判決だって怪しい。

なもんで,さいたま地裁判決の内容は正直確認できていない。
とりあえず一番よさげなものとして
とりあえず三谷英弘のこの記述をベースにしたい。
「立法過程の面白さ ( と一種の「恐怖」 )。 ~ ワンセグ携帯のNHK受信料問題を巡って」
「先日、ワンセグに関するNHK受信料支払い義務に関する判決が出ました。
⇒ 「ワンセグ携帯所有者はNHK受信料不要、さいたま地裁判決」
要約すると、以下の通りです。
▲ 放送法には、協会の放送を受信することのできる受信設備を「設置」した者は、NHKと契約を締結しなければならないと定められている(第64条第1項)ところ、放送法において「設置」と「携帯」とは別の概念であり(法第2条第14号参照)、ワンセグ携帯を持つことは「携帯」に過ぎず「設置」しているわけではないから、ワンセグ携帯を持っていてもNHKと放送契約を締結する義務はなく、受信料も支払う必要がない。」

三谷英弘のこの論考のテーマは,
「「移動受信用地上放送」→「移動受信用地上基幹放送」のための整備のための放送法改正が,
 まさかワンセグ携帯の受信料支払義務に影響するとは」
という点で,
これはこれですごくおもしろい話なのでご一読を。

さて,話を元に戻すと,今回この話を私が書いているのは
この判決についてこんなやりとりがあった模様。

政府でNHK受信料とかの問題を担当するのは総務省なもんだから
総務大臣に当然取材がかかるわけで
その際,総務大臣は,このような発言をした模様。
「総務省として『受信設備を設置』するということの意味を使用できる状態にしておくことと規定した「日本放送協会放送受信規約」を、昭和37年3月30日に認可していますから、従来からワンセグ付き携帯など携帯用受信機もこの受信契約締結義務の対象であると考えています」
これはこれでありの発言だよね。
https://twitter.com/y_shida/status/772078757653864449?lang=ja

これを受けて朝日新聞がこんな記事を書いた。
「さいたま地裁が8月、ワンセグ放送を受信できる携帯電話を持っているだけではNHKの受信料を支払う「義務はない」と判断したことについて、高市早苗総務相は2日の閣議後記者会見で「携帯受信機も受信契約締結義務の対象と考えている」と述べた。
 裁判では、ワンセグ機能つき携帯電話の所有者が、放送法64条1項で受信契約の義務があると定められている「放送を受信できる受信設備を設置した者」にあたるかが争われた。高市氏は「NHKは『受信設備を設置する』ということの意味を『使用できる状況に置くこと』と規定しており、総務省もそれを認可している」と説明した。
 NHK広報部は2日、朝日新聞の取材に「現在、控訴の手続きを進めている」とした。高市氏は「訴訟の推移をしっかりと見守っていく」と述べた。」
http://www.asahi.com/articles/ASJ924GTRJ92ULFA00T.html

そうしたらどうも総務大臣が朝日新聞に厳重抗議したらしい。
「先ほど総務省広報からメール。ワンセグ付き携帯電話のNHK受信料判決をめぐり、朝日新聞や朝日新聞系ネットニュースに高市大臣が地裁判決に反論したと読者に誤解を与える記事が掲載されたとして、朝日新聞に対して厳重に抗議したとのこと。高市大臣がそのような発言をした事実は無いと。」
https://twitter.com/y_shida/status/772077795648286720?lang=ja

さすがにこれは
「あの発言なら、朝日のような記事になるのは当たり前だと思うが。」
https://twitter.com/y_shida/status/772083914571591680?lang=ja
だとは思うんだけど……。

「裁判や裁判所を批判している」と思われたくない……ってことだとすれば,
それはそれでありかな……とは思った次第。
……でもまあ,裁判所の判断に賛成はしていないよね……。

刑事の判決謄本は被告人には送りません

とある(スポーツ)新聞を見ていたら……

「判決が被告のもとに送られてから2週間以内に控訴しないと確定する」

まあ,被告人が被告になってしまうのは
前にも取り上げたとおりなんだけど……。

刑事の判決はわざわざ被告人には送らないというのが第1。
控訴できるのは「判決宣告の日」から2週間以内というのが第2。

条文を確認しておくと
刑事裁判では被告人が出廷しないと開廷しないのが原則で
(刑事訴訟法286条)
出廷した被告人に対して法廷で直接判決を宣告するもので
(342条)
宣告が終われば,直ちに控訴できるんだから
(上訴の提起機関は,裁判が告知された日から進行する……358条)
373条による控訴提起期間14日も
判決宣告の日からという次第。
(ちなみに午前0時に宣告するわけじゃないので,
 1日未満の端数はカットすることになり
 翌日が1日目としてカウントする。)

このあたり
当事者が法廷にいなくても判決の言い渡しができ(民事訴訟法251条2項)
当事者の在廷のいかんにかかわらず判決書の送達が要求され(255条)
控訴が「判決書の送達日から」2週間とされる(285条)
民事裁判とはえらい違い。
※ちなみに,かつては民事は判決言渡前に判決書を用意しておき
 それを朗読しなければならず,
 その名残は今も民事訴訟法252条に残っているのに対し
 (今は254条の例外ができたのだ)
 刑事には判決書を事前に用意する必要もなく
 実際「勧進帳」方式で,裁判官が法廷で必要事項を言っていくことでも全然かまわない
 (どころか,むしろ原則それでしょという法の構造になっている)
 という大きな違いもあった。

法廷であれだけ裁判官の説示を熱心に聞いていたんだからさ~
説示のしめくくりに言ったはずの
「なお,この判決に不服がある場合には,控訴の申立をすることができます。
 控訴の申立をするには,東京高等裁判所あての控訴状を
 この東京地方裁判所に提出してください。」
という決まり文句を言っているはずなんでね……。(刑事訴訟規則220条)
……東京って……。

ということで
相変わらずマスコミの裁判報道はひどいという話でした。

さて……
失火の責任に関する法律を研究しましょうか……。
(わからないならわからないでいい(c)by嘉穂)
……めがねっこしばり(ぼそ)……。
(わからないならわからないでいい(c)by嘉穂)

保険証だけでお金を借りられるから?

保険証記載の保険証番号,氏名,性別,生年月日,住所,電話番号がセットになったものが
10万人規模で流出したというニュースが流れていて
詐欺のネタに使われる危険があるという報道がなされているところなんだけど……。

その中で
「勝手に借金されてしまう」被害の心配が報じられていて
ちょっと違うんじゃないかな……と思った次第。

まあ裁判に巻き込まれてしまう危険があるというのを被害というなら確かにそうなんだけど
でも「借りてもいない借金を払わなきゃいけない」となると
さすがに誤解と言っていいんだよね。

これ,貸す側が普段「保険証だけで借りられる」みたいなことを言っている所が
なきにしもあらずなので
ちょっと解説を加えておきたい。

もともと借金というのは,法律的には「(金銭)消費貸借契約」と分類されている契約で
貸す側が「お金いくらをこういう条件でお貸しします」
借りる側も「その条件でお借りしてあとで同額でお返しします」
といって合意した上で
その金額を実際に貸す側から借りる側に渡して
はじめて契約が成立し,返す義務が発生するというタイプの契約だと説明されている。

余談だけど,借りたものをそのまま返すのであれば使用貸借とか賃貸借。
でも,お金って通常は借りたものをそのまま返すのではなく
借りたお金を何かに使い,後日,その金額を返すというもので
たとえば1万円を借りたとしてもその紙幣の記号番号をメモして特定して
その同じ記号番号の紙幣で返すものではないよね。
借りたもの自体は「消費」してしまっているので
「消費貸借」と命名されている次第。
あと通常の契約は双方の合意だけで成立する(=諾成契約)んだけど
金銭消費貸借契約では歴史的経過から
実際に金銭を渡さない限り契約は成立しないとした(=要物契約)。
なもんで,約束だけでは「お金を貸す義務」はないし
約束してもお金を渡さない限り「返す義務」がないどころか
契約それ自体が成立していないと判断されることになっているわけ。

さて誰かが保険証を偽造してその人になりすまして
まんまとお金を借りることに成功したとするわな。
そしてお金を返さないからと言って裁判になったとする。
この裁判を無視しちゃうと「原告の言い分どおりだね」というので
支払えって判決が出ちゃうけど
「保険証のデータ流出で勝手に借金したことにされちゃうかも」
って心配になるような人なら
まさか裁判を無視することはないだろうな……。
裁判に出れば,当然「私借りてません」って言うよね。

言った瞬間
あなたが借金の約束をしてお金を受け取ったことを
原告が証明しなきゃいけなくなるのさ。

その証明としてだ……。
「保険証のコピーがあります」
……今回のデータ流出が起きる前から
 「被告が借りたこと」の証拠にはならないよね……。
  さすがにそんな杜撰な立証する業者はもういないだろう。

普通は契約書を出す。
その契約書には上で書いたような
|貸す側が「お金いくらをこういう条件でお貸しします」
|借りる側も「その条件でお借りしてあとで同額でお返しします」
ということがきちんと書かれているわけだ。
その上で,借りた側が自分で署名・押印したかのような署名押印があるとして……。
裁判官が
「これ,あなたが自分の氏名を自分で書いたものですか?
 この押印はあなたの印鑑によるものですか?」
と必ず質問する。
それに
「私は書いていません。この押印も私の印鑑によるものではありません。」
と答えるだろう。
その瞬間
「では,原告はその署名が被告によってされたこと,押印が被告の印鑑によるものであることを
 証明してください。」
って話になる。
そこでようやく保険証のコピーを出して
「本人だと思いました」
って言うことになるんだけど
保険証には写真はまずない。(あったら本人じゃないってわかるから,さすがに貸さないだろう。)
裁判所はたいてい,保険証だけの本人確認なんて本人確認したことにはならないと考える。
正確に言えば「本人であることの証明はされていない」と評価する。
証明できなきゃ……請求棄却判決だよね。
なもんで,普通は勤務先への確認とかしてその証拠を残すなり
あとで裁判やっても勝つだけの証拠を残しておくものなのよ。
……でなきゃはなから「裁判では請求しない。逆に裁判起こされても無駄な抵抗はしない」で貸すか。
まあ住民票を実態にあわせてなければ
原告から見て行方不明にされちゃって
最悪公示送達になって
被告本人に裁判所からの書面が行かないまま判決になることもあるけど
ちょっとこの案件では想像しにくい。
というのは……保険証でしょ?住民票に基づかないで作るかえ?
……だから国民健康保険ではなく厚生年金保険で
  会社に内緒で引っ越しし,しかも住民票も動かしていない場合くらいしか
  想像しにくいのだ。

そうすると裁判所から来た郵便を無視したというならともかく
ちゃんと応対していれば
「払え」って判決にはならないし
その裁判の手間とかもしくは後で信用情報を直す手間とかは損害だけど
「借りていない金を返さなければならない」損害ではないんで
安心していいって話。

この場合,貸して損するのは貸した側さ。

時速70km/hで人が公道を走ったら

「たぶん,そういう事態を想定していなかったんだろうな~。」ってことが
刑罰法規にはたまにある。

いわゆるスピード違反の規定。
直接は道路交通法22条1項の問題。
「車両は、道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度を、その他の道路においては政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならない。 」
そして,この条項における「車両」については,2条1項8号で,
「自動車、原動機付自転車、軽車両及びトロリーバスをいう。 」とあって,
「歩行者」自体の定義規定はないものの,定義規定がないからこそ,一般的な意味での歩行者になるわけで
間違っても歩行者は車両にはなり得ない。

そうするとね……。
いわゆるスピード違反の規定は,上記のとおり「車両」にしか適用されないので
歩行者が道路交通法22条1項違反になることはあり得ないという。

でもまあ,道路交通法の趣旨からいえば
本当に時速70km/hで走る人間がいるなら,規制しないとだめなんだろうから
にもかかわらず規制していないのは
ひとえに「そんなやつはいねえよ」って見切ったってところだと思う。

ちなみに……。
「車両」というのは,上記のとおり「自動車,原動機付自転車,軽車両,トロりーバス」なんだけど
このうちトロりーバスの最高速度については22条2項で決まっている。
残りの自動車,原動機付自転車,軽車両については22条1項のとおりで,
このうち政令で定める最高速度というのは
道路交通法施行令(という名の政令)11条で
「法第二十二条第一項 の政令で定める最高速度(以下この条、次条及び第二十七条において「最高速度」という。)のうち、自動車及び原動機付自転車が高速自動車国道の本線車道(第二十七条の二に規定する本線車道を除く。次条第三項において同じ。)以外の道路を通行する場合の最高速度は、自動車にあつては六十キロメートル毎時、原動機付自転車にあつては三十キロメートル毎時とする。 」
とされていることから
・自動車 60km/h
・原動機付自転車 30km/h
とはなっている。
でも……軽車両については述べていない。
しかも……トロリーバスのような「道路交通法22条1項以外の最高速度についての規定」もない。
ということは……だ。
軽車両については,
「道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度」
というしばりはあるんだけど
その最高速度指定がなければ……いくらスピードを出しても道路交通法22条1項違反にはなり得ないことになる。
そして軽車両とは,道路交通法2条1項11号により「自転車、荷車その他人若しくは動物の力により、又は他の車両に牽引され、かつ、レールによらないで運転する車(そり及び牛馬を含む。)であつて、身体障害者用の車いす、歩行補助車等及び小児用の車以外のものをいう。 」とあるとおり
自転車も軽車両なわけだ。
……最高速度指定がない道路では……自転車は何km/h出しても道路交通法22条1項違反にはなり得ないという次第。

これも「時速60km/h以上出す自転車なんかそういね~よ」って発想じゃないかと思っている次第。

裁判所侮辱

英米法でいう裁判所侮辱(Contempt of Court)というのは,
侮辱という言葉の持つイメージからは
中村明「日本語語感の辞典」岩波書店が説明する
「人前で相手を馬鹿にして恥をかかせる」
よりも相当に広い範囲で用いられる言葉で
田中英夫編集代表「英米法辞典」東京大学出版会の
「裁判所の権威を傷つけまたは裁判所による司法の運営を害する行為」
というのが,さすがよくまとまっているな~って思うのよ。
法廷で裁判官を馬鹿にしたとか裁判制度を馬鹿にしたとかいうのが
裁判所侮辱に当たるのはまさにそのとおりなんだけど
例えば裁判所を馬鹿にしたわけではないけど,法廷内で裁判官の指示に従わなかったというのも
裁判所侮辱にあたるし
別に法廷内には限らず,法廷外の行為に対しても適用される。
なんと言っても「YはXにいくら支払え」的な民事訴訟の判決を履行しないというのでも
裁判所侮辱を構成するのだ。
さらにすごいのが,裁判所侮辱に対しては裁判官が既に存在している民事訴訟や刑事訴訟手続を経ることなく
まさに裁判官の専権で制裁金を課したり,身柄を拘束することすらできてしまい,
そこには罪刑法定主義すら適用にならないから
極論を言っちゃうと,裁判官の指示に従うまで拘禁することが可能になってしまうのだ。
(逆に言えば,この場合,裁判官の指示に従えば,即時に解放される。)
あたし,個人的には,日本を含め,他の国もどんどん採用すればいいのに……と思うんだけど
まあ実際には,あまりにも裁判官の権力大きすぎというので,ある程度のしばりはかけようよ……って方向性ではある。
で,大陸法系とはあまり相性のよくない制度ではあるんだけど
さすがに日本でも部分的には取り入れられているんじゃないかと思われる節がある。
典型的には「法廷等の秩序維持に関する法律」で
これは,英米法のContempt of Courtのうちcriminal contemptに相当する
「(裁判所が裁判手続を行う場所という意味での)法廷における妨害・不服従」
に対し,身柄拘束や過料を科すというものなんだけど
「過料」という,行政手続上の違反に対する言葉を使ったり
「監置」という通常の刑事手続には存在しない言葉を使っているところで
だいぶ毛色が違うということが想像できると思う。
なにせこれらは裁判官が職権でやれちゃうのだ。
法廷等の秩序維持に関する法律以外にも過料の制裁を科すことができたりするのは
発想としてはここに行き着く。

さてここで最近話題になった,裁判所の刑事手続において,正規の呼び出しをうけておきながら
出頭しなかった案件。
これも英米法的にはContempt of Courtに当たっちゃうんで
裁判官に身柄拘束されても制裁金を課せられても文句は言えないところ。
日本ではどうなっているかというと,某所で某元検事が
「証人と違って,本人には不出頭に対する過料の制裁がない」
ってことを書いていたんだけど
これは知らない人がここだけ見れば勘違いしそう。
過料の制裁はないかもしれないけど,実はもっとおそろしいことが待っている……。

刑事訴訟法58条には「勾引」という制度が定められている。
これは,裁判所が被告人の身柄を拘束して裁判所に連れてくることができるというもので
「勾引状」を作成し,検察官に渡されると,検察官は(通常は)警察に対し,
勾引状に基づいて被告人の身柄を拘束して裁判所に連れていくよう依頼する。
もっとも勾引は裁判所に連れてきてから24時間以内に釈放しなきゃいけないという
時間制限があるんで
この間に法廷をやってしまいなさいという仕組みなわけだ。
もっとも勾引がすぐにできるわけではない。
基本的には58条で
「住居不定」か「正当な理由がなく召喚(裁判所からの呼出)に応じないか応じないおそれがある」かの
どちらかがないといけない。
どちらもなければ通常は68条の出頭命令をかけてその違反で勾引というシステムなんだけど
実際にはそう見ない。
というのは勾引やらなきゃいけないような案件というのは
通常はまず「勾留」しているでしょう……ということ。
……そして勾引しなくてもいい=勾留しなくてもいいものまで勾留してないか……って批判の話になるんだけど。
勾留していないような案件(業界では「在宅」と言っている。)では
まあ間違いなく法廷には来るよね。

ということで,通常は見ない「勾引」なんだけど,
裁判所をなめてかかっていると,この勾引が牙をむくわけだ。
というのは59条の勾引の効力(24時間制限)のところにはこんな但書がある
「その時間内に勾留状が発せられたときは,この限りでない。」
勾留状が24時間以内に出ちゃうと,その勾留状によって,身柄拘束が続くことになるのだ。
だから仮に法廷をさぼったとする。
裁判所やる気になれば58条の勾引状をすぐに出す。
なにせ「召喚に応じな」かったんだから要件を満たしている。
勾引状に基づき警察が被告人をつかまえて裁判所に連れてくる。
勾引状による身柄拘束の時間制限は24時間だけど
裁判所はここで直ちに勾留質問を開始するわけだ。
だけど現に起訴されているくらいだから,勾留処分担当裁判官としては
検察官から手持ちの証拠を取り寄せて見るに
まあ「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある」とは判断するだろう。
(最初からこれが無理なら,さすがに検察官あきらめてくださいって話。)
そして「被告人が逃亡し」に該当しちゃうよね,だって来なかったんだもんで
勾留状が出せてしまうので
そのまま被告人は勾留されてしまうのだ。

こうして身柄を拘束できるんだから
「過料の制裁なんていらないよね」
というのが日本の法制度設計だったりするのです。

どこの国籍になるでしょうか?

事情知らない人だとそう聞きたくなるんだろうけど
法律知っている人は,真っ正面から答えたらだめだよね……と思った次第。
……だって「必ず1つ」に決まるわけじゃない,0の場合もあれば,2以上の場合もあるからね。

最近話題になったカナダ国籍の機内で生まれた子供の国籍の話。
前提としては父母は婚姻していないけど両方ともカナダ国籍ね。
まず答を書いちゃうと
まずはカナダ国籍なのは間違いなさそう。
というのはカナダ市民権法によれば
・カナダ国内で生まれればカナダ国籍
とされるところ
この「カナダ国内」には「カナダ国籍の航空機内」が含まれるので
カナダ国籍の機内で生まれたらストレートにカナダ国籍になるという話。

ここまでは割と簡単なお話。

もっとも……ネット上の情報を見ていたら
なんかいろんな条約持ち出してまわりくどい話して
結局結論が同じという弁護士の記事があったんだけど
……行数かせぎに来たな~って思っちゃった。
というのは……。
国際法の世界では「国籍を付与するか否かは国家が決められる」というルールがあって
基本的には国籍を付与するか否かは国家の判断によるし
たいていはその国家の国内法で決定することになるから
「ある国の国籍が与えられるかどうか」は
もっぱらその国の法を見れば答が出るし,そこに条約の出てくる余地はないのさ。
(まあ小難しい話をすれば国籍の付与について国内法で決めず,条約等に委ねている国家があれば
 例外にはなるんだろうけど……さすがにそんな国あるのかえ?)
少なくともカナダについては国内法がある。
となると,少なくとも試験の答案で条約うんぬんを書き出したら
むしろ減点対象だろうね。「こいつ国籍付与は国内管轄事項だってわかってねえな。」とされて。
内輪話をすれば無国籍者の発生を防止するための条約があるから
そういう条約への加入の有無から国内法をさがす時のあたりをつけることはあるんだけど
間違っても条約自体を国籍付与の根拠にあげちゃいけないわけだ。

ただね。カナダ国籍が付与されるということはわかった。
ところが……だ。
「カナダ国籍が与えられる」で話を終わらせていいかという問題は残るのよ。

国家の空間的管轄権というのは,陸地である領土(および領土扱いされる水面),海である領海
それにそれらの上空である領空に及ぶことになっているんで,
もしカナダ国籍の航空機が他国の領空を飛行中に生まれた場合
その他国の国内で生まれたことになって
その他国の法律によって国籍が与えられる可能性があるわけさ。

それを考えると
「どこの国籍になるか」という質問って
関係しそうな国について全部検討しないと
正確な答が出せないってことになるはずなんですよ。
たとえば
「機内」だけじゃ実は足りなくて,どこを飛んでいた時に……も重要になってくるのさ。
……そういう報道あったかえ?
(行数かせぐんならここでかせごうよ……とは思った。)

さて,変化球。
もしカナダ国籍の飛行機じゃなくて日本国籍の飛行機だったらどうなるか?
この場合も,カナダ国籍が与えられることは割と簡単に答が出ちゃう。
というのはカナダ市民権法は
カナダ国外で生まれたが親がカナダ国籍の場合にはカナダ国籍が与えられるって
きちんと定めてあるのさ。
一方,日本の国籍法は2条で
「子は、次の場合には、日本国民とする。
 一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
 二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
 三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。」
としているから,両親が他国の国籍を持っていることが明らかな場合には,
たとえ日本国籍の飛行機内で日本で生まれた場合とされる場合であっても
1号2号3号いずれにも該当せず,日本国籍は与えないことになっている次第。

そしてこの場合でも
他の国の国籍が与えられるかどうかはその国の法律を調べなきゃならず
カナダ法と日本法を調べて終わりというものではないのは一緒なのさ。

原データが見たい

ニュース記事としては短すぎて全文引用するしかないんで
仕方なく全文引用するのであるが……。

|10代は「リアル書店」好き 本ネット購入、40代が最多
|
| 本を買う際にインターネットの通信販売をよく使うのは40~50代で、10代は「リアル書店」好き―。日本通信販売協会が実施したアンケートで、こんな結果が出た。協会担当者は「ネットに親しんでいるイメージがある若年層のネット利用が少ないのは意外だ」と驚いている。
|
| アンケートは昨年9月、全国の10~60代の千人を対象に実施。過去1年間に本や雑誌を買ったと答えたのは715人。年代別に購入先(複数回答)を尋ねたところ、ネット通販の利用率が最も高かったのが40代で58%、次いで50代の53%だった。
|
| 逆に、書店を利用すると答えたのは10代が最も多く83%に上った。
2015年2月15日15時37分共同通信配信
http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015021501001096.html

これは原データ見たいな~。
たぶん,見出しはもはやミスリードの領域。

だって冷静に考えてごらん。
ここでいう「書店を利用する」という答の意味は,
過去1年間に本や雑誌を買った715人のうち10代が何人いるかわからないけど
その何人かの83%が「書店で買ったことがある」と答えたって話だよねい。
さて……
ネット通販における代金決済方法は
「クレジットカード利用」「銀行振込」「代金引換」ってあたりでしょう。
まあ太っ腹なところは振込用紙を入れておくから後払でよろしくということもあるだろうけど……。
でね,本や雑誌を買う10代で「クレジットカード利用が可能だけど使わずに書店に行った人」が,
その83%の中にどのくらいいるかがわからないと
彼らが「リアル書店好き」ということにはならないんじゃないの?
だってさ~。銀行振込にはたいてい手数料かかるし代金引換だってかかるよね。
本とか雑誌の購入についていうと
このあたりをクレジットカード抜きでやるなら
ほぼamazon一択で,コンビニ払でことじゃないだろうか?
……そのコンビニでその本とか雑誌買えないか?
  もしくはコンビニ行く途中に本屋があってそっちで買えるか。

なもんで,原データを見たいと思った次第。

変造手形

今日のお題は
「手形が途中で勝手に書き換えられた時,書き換えられたことを証明するのか,
 書き換えられていないことを証明するのか?」
というお話。

今,「書換」と書いたけど,
銀行実務で言うところの融通手形における返済期限の延長のための新手形の発行,
旧手形の回収(いわゆる「ジャンプ」)の意味じゃないからね。

事案としては,
AがBを受取人として100万円の約束手形を振り出したが,
Bは勝手に100万円と記載されている部分を200万円に書き換え,
Cに裏書譲渡したというもの。

もっともこの話がいわゆる教室事案なのはわかってもらえると思う。
というのは,手形については,手形法で書かなければいけないことは定まっているものの,
用紙の制限や,金額にチェックライターを使うことなんて制限は,手形法では定めていない。
だけど,手形交換を行う手形交換所を構成する銀行によって組織された全国銀行協会が統一手形用紙を定めていて,
その用紙によらない手形は取扱を拒否するし,
金額の手書きは拒否まではしないけどちょっと怪しい香りがするから,
確認するよね。
なもんで,現実にはこういうもめ方に持って行くのは相当難しい話だったりするのです。

さてこの事案がもめて訴訟になるのはどういう場合かというと,
Cは200万円の約束手形だと思って受け取ったけど,
Aに請求したら
「振りだしたのは100万円の約束手形であって,200万円の約束手形ではない」
と言われて断られたために,
Aに対して200万円の支払を求める訴訟を起こす場合なわけだ。
変造と言っても金額が小さくなる変造だったら,
Cが100万円の支払を求めてAはそれにあっさり応じるだろうから問題にはならない。
(もっともAに資力がなければ支払に応じないことはあるだろうけど,
 それはもう単純に手形不渡の問題に落ちちゃう。)
訴訟を起こすとなれば,Cの請求原因はこんな感じ。
「被告Aは200万円の約束手形を振り出した。」
「原告Cはその手形を所持している。」
「AからCへ裏書が連続している。」
で,事実関係を争ったところで,
Cが持っている手形の現物出せば,「原告のターン終了!」ってことになるし,
Aが特に反論しなければ200万円払えって判決が出る。

今日のお題は
「Aが「200万円の約束手形なんざあ振りだしていない」って争った場合の処理」
とも言えるわけだ。

まず,判例や実務の立場は割と明確。
大前提としては
「請求する側がその根拠を示して証明すること」
「その条文を持ち出した方が有利な側がその条文を持ち出して,
 その条文に書かれた要件となる事実の存在を証明する」
というのがあって,
不利な側が不存在を証明する必要はないということ。
これは民事訴訟法の大原則。
今回の話でおおざっぱに言うと,
手形の支払人は受取人に対して手形に記載されたお金を支払うと約束して手形を振り出しているんだから
その約束を守りなさいよ
というのが手形法の暗黙の大前提になっていて,
(なにせ当たり前のことは明記しなくてもいいって頃に制定された法律だから)
もし受取人が請求するなら,
約束の存在を言えばいいというのが基本姿勢。
裏書譲渡がある場合には,
その裏書によって受取人の資格が手形所持人にきちんと移転していることを手形法が要求しているので
(こっちは明文あり)
そこまで主張立証する必要があるという仕掛け。

ここまでの話で重要なのは,
支払人が約束手形を振り出したこと自体は,請求の根拠なわけだから,
手形所持人が主張立証しなければならないわけだ。
けっして支払人が振り出し当時の手形の文言を主張立証する必要はない。

そうすると
実は手形法69条の意味が地味に問題になり得るわけさ。
仮に変造があった場合,
69条では変造前の署名者は変造前の文言による責任を負うと定めているこの規定。
さっきの「条文を持ち出した方が有利な側が要件となる事実の存在を証明する」という大原則からすれば,
支払人が69条を持ち出すことで変造前の文言の責任に限定されるんだから,
支払人側が変造前の文言の主張立証をしなければならない……とも読めるわけさ。
この読み方をした場合,
原告である手形所持人の主張を全て認めた上で,
そこから発生する200万円の手形金請求権の発生を(一部)阻止するんだから
「変造前の文言がこれこれであること」が抗弁ってことになりそうなんだけど……。
なんか変だよね。
変造されたって主張をするってことは,200万円の約束手形の振り出しは否定しているわけで,
請求原因事実の否認でしょ。
抗弁じゃあない。
そして否認であれば,
請求原因事実の立証は原告である手形所持人で,
支払人が200万円の手形を振り出したことを立証しないとだめだよって話に落ちる次第。

この点を「そういう読み方しちゃだめよ」って判断したのが,昭和42年3月14日の最高裁判決で,
この事案は金額ではなく満期の変造(最初の記載より早めた=早く手形金を受け取れる)だったんだけど,
「約束手形の支払期日(満期)が変造された場合においては、
 その振出人は原文言(変造前の文言)にしたがつて責を負うに止まるのであるから(手形法七七条一項七号、六九条)、
 手形所持人は原文言を主張、立証した上、これにしたがつて手形上の請求をするほかはないのであり、
 もしこれを証明することができないときは、
 その不利益は手形所持人にこれを帰せしめなければならない。」
とあっさり書いちゃっている。

……白状すると最初「論理飛んでるんじゃないの?」って思ったさ。
原文言の主張立証責任は手形所持人ではなく支払人じゃないの?って。

でもよく考えたらちっとも飛んでいない。
それはなぜかというと,まさに今私が説明したとおりの話から。
そしてこれは大きく出れば過失責任の原則からも導かれる話で,
いくら取引の安全の保護だとか手形の流通性を持ち出したところで,
自分の全く知らないところで変造された手形の責任を負うというのはあり得ないわけでしょ。
そのことからも裏打ちされる次第。

そうすると
69条はどういう意味なんだ?
ということになる。
だってこれまで論理からすれば69条がなくても,
手形所持人が「支払人がこういう手形を振り出した」ってことを主張立証しなければならないはずなんで。

この点は,立証の段階までくると69条の存在ががぜん意味をなすわけだ。

民事訴訟法にいわゆる二段の推定というのがあって,
ある文書に押印がある場合,
「その押印がある人の印鑑による押印であることが証明できれば,
 その押印は本人の意思によって押印されたものと推定する」という判例
(ちなみにこの推定は事実上の推定と言われている)と,
「押印のある文書はそのとおりの内容のことがあったと推定する」
という民事訴訟法228条4項の規定とを組み合わせて,
結局
「押印のある文書はとりあえずそのとおり信じていいことにして,
 違うというなら違うという側が主張立証しなければならない」
ということになっている。
これは手形にも当然適用になるから,
69条がなければ,
手形の振出について手形所持人が立証せよと言ったところで,
手形所持人はその押印が支払人の印鑑によるものだけを証明すればよく,
手形金額が違うことは支払人が証明しなきゃいけなくなる。
まあ,支払人がまるで知らない人だと,
その押印が支払人の印鑑によるものであることの証明も結構大変ではあるんだけど,
仮にそこをクリアできちゃうと,
変造されたことを支払人が証明しなければならなくなるので,
「振り出してもいない手形の責任を問われちゃう」
事態になりかねない。
この事態を防ぐのが69条で,
この二段の推定を使っても
「支払人が変造後の文言について責任を負うことはありません」
と断言するのが69条の目的なのだ……と解すると一貫するでしょ。

一方,
学説は従来から,
変造が明らかな場合とそうでない場合とに分けて,
変造が明らかな場合には,
判例・実務と同様に変造されていないとする側でその旨
(=手形の記載どおり振り出されたこと)
を立証する必要があるが,
変造が明らかではない場合には,
元々の記載がこうであったということを支払人が証明しなきゃならないとしていた。
これはこれで結論の妥当性は見えるんだけど,
いざ,裁判官の立場になってごらんなさい……と。
「変造が明らかか否か」で答が変わるなんておかしくないかい?
ってえか,実は一番シビアに問題になるのは「変造が明らかか否かすら判定できない場合」なのであって,
そういう時に「立証すべき側が立証できなかった」として立証できない側を負かすテクニックである立証責任を
どっちに負担させるか迷うというのは本末転倒でしょ?

だから,これは判例・実務の方が実に役立つ話なのさ。

でもまあ,今回この話を考えていく中で,学説の気持ちもわからないではないと思ったのよ。

実は,変造が明らかではないとして支払人に証明させるとする学説の立場も,
本来の主張立証責任があくまで手形所持人にあるということは崩してないのよ。
ただ,69条に独自の意味はなく
(もしくは大審院時代に「一切責任を負わない」として判決が出ていて,
 さすがにそれはやりすぎとして振出時の文言による責任を認めたものだとする指摘?)
二段の推定が効くとすれば,
推定をやぶるために支払人が振出時の文言を立証しなければならなくなるわけで,
立証責任の転換にすぎないんだってことになるし,
判例・実務と同じように69条に二段の推定の排除の意味を読み込む立場からは,
支払人が「それ違う」と言い出さない限りは,
変造の有無を問題にしないでしょってことを言っているのだとしているわけね。
で,立証責任の転換だという立場だったら,
変造が明らかな場合って,二段の推定効かせちゃいけない場合だよねってなって,
変造が明らかかどうかで分けて妥当性を確保しようとするのは,
気持ちとしてはよくわかるよな~とは思ったのよ。

とはいえ……。
「自分が振り出した訳でもない手形について,勝手に書き換えられても,その責任は負わない。」
というのは鉄板で,
それでも責任を負わそうとすれば,何らかの故意・過失が必要なわけなんだけど,
手形を出したこと自体が故意・過失だというのはさすがに無理筋。
そして,
手形の振出を法律行為として考える以上は,
その法律行為の存在は主張立証してもらわなければならなず,
その主張立証責任はそれで利益を得る側=手形所持人なのもこれまた鉄板なわけですよ。
手形・小切手の特殊性に着目して
「支払人・裏書人の記載のある手形の存在」だけを主張立証すればいい
というところまでは踏み込んでないわけで。
そう考えると,学説よりは,判例・実務の方が役立つ上に簡明で筋もいいってことだと思うんですな。

……だいたいさ~。
民事訴訟で「抗弁」と言わないものを「手形「抗弁」」と言っちゃうあたりで,
手形小切手法業界は説得力ないと思うど(笑)

2015年9月の4連休

気がついた人がいるかもしれないけど,
来年2015年の9月には,カレンダーに赤で書かれた日が4連続する日があります。
だけどその理由を法律的に説明するのは結構面倒。
というので,今日は,その説明をやってみたいのこと。
まず確認しておきたいのは
・9月20日(日)は日曜日
・9月21日(月)は敬老の日(祝日)
・9月23日(水)は秋分の日(祝日)
だってところから。

1 休日の法律上の定義は実はない
休日というのは,まあ仕事が休みの日というくらいの意味が一般的なんだけど,
実は,それ以上に法律上もしくは判例上確固たる定義が与えられているわけではないのです。
「その定義は世間に委ねられている」というのは,実はよくある話なんだけど
「休日」というのもその中の1つだったのです。

2 日曜日が休日であるというのも一般的には言えない
まずもって,日曜日に営業している店がいくらでもある時点で,
日曜日は休日であるとはおよそ言えないわけですが……。
日曜日を(一般的な)休日とする法律の規定はありません。
もっとも個別の分野では「日曜日を休日とする」法律は存在しています。
明記している方としては,行政機関の休日に関する法律が「行政機関の休日」として
1号「日曜日及び土曜日」
2号「国民の祝日に関する法律に規定する休日」
3号「12月29日~1月3日」
をあげています。
ちなみにこの法律では休日の効果として
「行政機関の執務は、原則として行わない」
ことをあげていますし,
3号はわざわざ「(前号に掲げる日を除く。)」と書くことで
元旦=1月1日=祝日を3号ではなく2号による休日だとしています。
暗黙に示している方としては期間計算の大原則について定めた民法142条の
「日曜日、国民の祝日に関する法律に規定する休日その他の休日」
という表現が「A,Bその他のC」形式で,
この場合はA,BがCの例示にすぎず,Cだけでも文章が成立すると解されるため
日曜日は休日であると言えるとするものです。
(もっともこの条文は,休日でかつ取引をしない慣習があれば,
 期限がその直後の営業日まで延びるという規定なので
 「日曜日で取引しない慣習があれば延びる」ことを明示するために挿入されたものにすぎず
 日曜日が休日か否かの議論に答を出すものではない……という反論があり得ると思います。)
まあ,こんな次第ですから「日曜日が休日」という一般的な明文の規定はないのですが
「日曜日は基本的に休日なんでしょ」とは言えそうです。
それで9月20日日曜日は休日です。

3 敬老の日
国民の祝日の関する法律(以下「祝日法」という。)2条によって,
9月の第3月曜日が「敬老の日」として「国民の祝日」となります。
そして祝日法3条1項によって「国民の祝日」は休日とされます。
2015年の9月の第3月曜日は21日なので,
9月21日月曜日は休日です。
ちなみに……
以前の敬老の日は「9月の第3月曜日」ではなく,「9月15日」でした。
平成13年改正によって,平成15年1月1日から「9月の第3月曜日」となっています。

4 秋分の日
祝日法2条によって,秋分日が秋分の日として休みになります。
秋分日とは太陽が秋分点という地球から見た一定の位置に到達した時点を含む日で
国立天文台が天体観測によって決定(予測)し,
2月1日付けで翌年の秋分日等を「暦要項」として発表しています。
2015年の暦要項によると秋分日は9月23日とされたことから
9月23日水曜日は秋分の日として休日です。

5 9月22日
祝日法3条3項によって,
「前後が3条1項による国民の祝日であれば,休日」となるところ
今まで見てきたとおり21日が敬老の日,23日が秋分の日でいずれも国民の祝日ですから
22日が休日となるわけです。
ちなみにこれは昭和60年改正で,当時は主に「5月3日憲法記念日」と「5月5日子供の日」の間であった5月4日を休日にすることで,飛び石連休を解消しようとしたものでした。
その後,昭和時代の天皇誕生日(4月29日)が,平成になって「みどりの日」とされ
さらに平成17年改正で「昭和の日」とされた際に,
「みどりの日」を5月4日として祝日にしたために,
当初の目標だった「5月4日の飛び石の解消」は別の形で果たされることになりました。
この規定が今回発動されたということなのです。


ということで,2015年9月の4連続休日は
20日 日曜日
21日 敬老の日
22日 休日
23日 秋分の日
ということなのでした。

余談
私はいつも「年度末休暇」と称して,
「敬老の日」の3連休からスタートして2週間休みをとっているのですが
2015年については,9月19日(土)~10月4日(日)にするのか
9月12日(土)~9月27日(日)にするのか
結構悩みどころだったりします。
……悩んでいる間に原稿書こうよ……(泣)

ハンドクリーム

今日のお題は
「放射性物質からの防御にハンドクリームが有効」というお話。
重大な原発事故等により,通常よりも明らかに大量の放射性物質が飛散する状況となった場合,
(成分等にはあまりこだわらずに)ハンドクリームを普段よりは厚く塗って
1日くらいしたらそれをペーパータオルやティッシュで拭き取って塗り直すという対策が
トータルでは有効ではないかと説かれている模様。
おおもとの話としては1990年東海村JCO臨界事故後に医師向けの講習会が開かれ
その講習会で話された内容のようで
参加者から1段入った伝聞にすぎず比較的近い方ではないかと思う。
ここでのポイントは,第1に放射性物質の体内への侵入阻止対策として
どこにでもある(女性なら職場の机の中にあっても不思議じゃない)ハンドクリームが有効であること。
したがって通常であれば手に擦り込むように塗るんだけど
それよりは厚く塗る必要があると。(ただしクリームの白色が消える程度の厚さでいい模様。)
第2は水で流すのではなくペーパータオルやテイッシュなどで拭き取ること。
これは本人のためではなく,それ以上の放射性物質の拡散を防止するため。
本人のためであれば水で流すのでもいいんだけれども,放射性物質が含まれている場合には
水に流すことで拡散してしまうのでよろしくないという話なのである。

放射線医学は全くの素人なんで専門的な評価はできかねるけど
おおむね理にかなった話とは言えると思う。
……家用と職場用と2個,さっそくハンドクリーム買っちまったい。
  ……安物ではあるけど,アロエ入りを選んでしまうあたり,吹っ切れていない。(笑)

棄権することと白紙で投票することと候補者名以外を書いて投票することと

まあ,来週衆議院議員選挙が行われるわけだけど,
毎度のことながら選挙について誤った知識の下に
いかがなものかって主張が現れるんで
ここで整理しておきたいと思ったわけさ。

1 選挙のやり直しを目指せるか?
立候補者がいて,それなりにそれぞれ票を得たにもかかわらず,
選挙がやり直しになる場合もあるにはある。
公職選挙法95条1項によって,
例えば衆議院議員選挙の小選挙区については,
「有効投票」の「最多数」を得た者が当選するわけだけど
但書で「有効投票」の6分の1以上の得票がなければならないって制限がある。
そうすると誰も有効投票の6分の1以上をとれなければ
「当選人なし」となって,選挙がやり直しになる。
逆に言えば有効投票数の6分の1をとった上で1位になれば当選するわけ。
この過程で「有効投票数を増やさない」という点においては
「そもそも投票に行かない」
「投票に行って候補者の氏名以外のことを書いて無効票にする」
「投票に行って何も書かないで無効票にする」
ことの差は全くないのです。
そして……法律上は要求されていないけど,たいていの候補者は選挙区内に住所を置いて
そこで投票するでしょ?
そうするとね……。
いくら選挙をやり直しに持ち込もうとして棄権や無効票投票を呼びかけたところで
当の立候補者は自分に入れるでしょ?
候補者が2人なら最低でも有効投票数2票,3人なら3票,4人なら4票,5人なら5票,6人なら6票。
これすべて(実は候補者11人まで)有効投票数の6分の1が1票だから
各候補者がすべて有効投票数の6分の1を得ていることになって
選挙のやり直しはなくなる。
この場合,全員1票で同率1位なら,くじ引き(95条2項)だからね。
候補者が12人以上になれば有効投票数の6分の1が2票になるから
本当に候補者だけが自分自身にしか入れないとなると選挙のやり直しになるけど……。
その可能性ってどのくらいあるだろう?
よって……
「棄権や無効票(白票も含む)によって選挙のやり直しを求めるのはまず無理」
と言えるわけ。

2 当選者の決定に際し,棄権や無効票が影響を与えることができるか
上で述べたとおり,有効投票数の6分の1を得た候補者の中で
有効投票の1位が当選するわけだから
有効投票数の6分の1を得た候補者が出てしまえば
当選人の決定過程で棄権や無効票はカウントされないってところまではわかってもらえると思う。
ところが……だ。
影響を与える与えないだと棄権や無効票は間接的な影響を与えてしまうのだ。
例えば候補者が2人しかいなくて,候補者以外の有権者が他に2人いて(=有権者総数4),
そのうちの1人があなただったとしよう。
他の3人が「候補者Aが2票,候補者Bが1票」という状態だった場合,
あなたの投票行動が
「Aへの投票」ならA3票,B1票でA当選
「Bへの投票」ならA2票,B2票でくじ引き
「棄権・無効票(白票含む)」ならA2票,B1票でA当選
ということになって
「多数派への有効投票」と「棄権・無効票(白票含む)」とに差がないことになるわけ。
これをさして「棄権や無効票(白票含む)は多数派への投票と同じ」と表現するんです。

3 無効票と白票は違う?
これは各市町村の選挙管理委員会による選挙結果を見てもらえればわかるけど
公式の結果としては区別されないのです。
当日の有権者数,各候補者の得票数,無効投票数は示されるんで
棄権と無効投票が区別されるってことは言えると思います。
ところが,無効票の中身について,公式な集計はされるとは限らないんですね。
無効投票の発生原因にはいくつかあります。
1つには余事記載系のもので,候補者の氏名は正確に書かれているけど,
余計なことを書いたので無効になるもの。
もう1つには誰に入れたかわからないから無効となるもの。
まあたいていどちらかですな。
もっとも誰にいれたかわからないの中には
「A,Bどちらに入れたか判別できないが,どちらかに入れたのは明らか」というものもあって
例えば氏が同じ候補者がいるのに氏しか書かない,名が同じ候補者がいるのに名しか書かない
そういうものは,最終的には他の有効投票数に比例配分することにしているので,
無効投票にはなりません。
(たまに得票数に小数点以下がつくのはこの比例配分のせい。)
話を元に戻すと,無効投票の発生原因はいくつかあるんだけど
それは公式集計の際に「無効投票」以上に分類して集計・公表されるとは限らないのです。

4 まとめ
以上見てきたとおりなので
棄権をしたり無効投票をしたりすることについて
自分なりの理由,ポリシーで行っている人がいると思うのですけど
その理由,ポリシーが
「少数派に投票することに比べ,多数派に投票したことと同じ意味になる」
という上でみたとおりの影響(結果)と一致しているかどうかは
きちんと考えないといかんのではないか……って思った次第なのでした。

入国と上陸

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/111

家庭のたとえで国家を語る危険

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/109

たぶん全然調べてないんだろうな~

「社内メールを報道機関が報道するのは憲法21条2項後段(通信の秘密)違反」
「社内メールを報道機関が報道するのは著作権法18条1項前段(公表権)の侵害」
という言説が某所で流れていて
正直「全然調べてね~な~」ってため息が出た次第。

「社内メールを報道機関が報道するのは憲法21条2項後段(通信の秘密)違反」
なんだけど
憲法をちょっとでもかじったことのある人なら
「あれ?憲法って,権力をしばる法だから,権力以外を問題にしていいの?」
って原理原則論でひっかかって,おかしいな?って思う正解にたどりつけると思うし
ここでひっかからなかったとしても
「他人から得た情報が通信の存在と内容だからといって
 その情報を広める行為まで通信の秘密の保障の対象なの?」
というあたりで,おかしいなって思う正解にたどりつけると思うのさ。
……で,ここで,「この発言者も憲法違反ってことだよね?おかしすぎる!」ってまで気づけば
  だいぶ鋭い。
  実は上記言説は一般論ではなくどこの報道機関のどんな行為か特定しているんで,
  それを指摘している以上「通信の存在(内容も?)を広めている」んで
  その言説自体もまた憲法違反に問わないといけないことになっちゃうけど
  発言者はたぶん気づいていない。
ちなみに正解は
「社内メールについては会社がチェックしていいって判例があるから
 通信の秘密の対象にはおおむねならない。」
ってところ。
「おおむね」って書いたのは,社内メールであっても
国家権力が調査するのは通信の秘密の保護の対象にはなり得るので
それを除外する趣旨。
もし全面的に通信の秘密が保障されるなら
通信の秘密は通信の発信者と受信者以外の者が調べてはならないって話で
会社のチェックが許されるって話にはなり得ないんで
むしろたいてい認めるって判決は
前提として「通信の秘密の問題ではないでしょ」を採用しているってわかるって次第。
加えて社内メールにおける私用メールは本来アウトだからね~。
(この点があとで利いてくる。)

次に
「社内メールを報道機関が報道するのは著作権法18条1項前段(公表権)の侵害」
なんだけど……。
詳細は
演習2 電子メール公開の違法性?
 ネットニュースで見知ったにすぎない人からもらったメールの公開

のとおり。
ちなみにこのコンテンツを書いた後で私が見聞きした範囲では
手紙の著作物性の判断基準の枠組みを崩すような判例は出ていません。

そう!
著作権法の各種権利が発生するのは
「著作物」であることが大前提になるんだけど
手紙,メールはたいてい著作物性が否定されているんですよ。
|「普通の人が手紙の著作権を根拠にした裁判を起こしても0勝3敗」
|(中略)
|法律を勉強していない人がばくぜんと手紙の著作権と言ったところで
|およそ通るものではないってことは言えるのではないでしょうか。
って枠組みは変わってないんで
もう詳しい検討する気がないんであれば
「手紙・メールの著作権は原則不成立」
くらい言ってもいいかもしれないと思い始めている次第。
そして著作物性の判定基準を考えると
もっとおそろしいことになっちゃう次第。
|「著作物というためにはその表現自体に
| 何らかの著作者の独自の個性が現われていなくてはならないと解すべき」
という判例の基準からすれば
件のメールに著作物性が認められるようだと
「それって私用メールになってOUTでしょ」
ってことになりかねないのさ。
……ある種のひいきのひきたおし?

というので
詳しいことを知らなくても正解に行けそうな案件なのに
魅せられたように間違うって話でした。

法律学知らない人がよくはまるパターン

題材としてはスーパーの「商品の持ち帰りのため氷を無料で提供します」というコーナーから
商品の持ち帰りとは関係なく,
またスーパーが示した「1人1回ここまで」の量を無視して
大量に氷を持ち去った人が窃盗罪の容疑で逮捕されたという件。

そして最近は,ニュースを題材に何らかの文章を書かせるサイトがあって
これをまあ,報道機関における「記事」と呼べるかどうかが微妙だけど
その文章がこんな趣旨のことを書いていたわけ。

・ネットでは驚きをもって迎えられている
・条件付き無料という微妙な問題をかかえている

……う~ん,はまっているね~。見事に。

私からみれば窃盗罪であること自体は疑う余地がないんで。

要はこの文章の作者の最大の勘違いは
「無料」という言葉にとらわれすぎだったところなのさ。

窃盗罪の要件は,難しい言葉を使わないで,ざっくり言えば
「他の人が持っている物を,その人の意に反して奪う。」
ってところだ。
その物の値段なんて関係ない。
要は「持っていってもいいよor持っていってくれ」と言われてない物を持っていけば
それは窃盗罪なのさ。

「無料って書いてあるってことは持っていってもいいよ」ってことじゃないのか?
って思うかもしれないけど(で,実際そう思ったんだろうけど。)
少なくても本件に関する報道を見る限り,およそそう理解してはいけない案件。
というのは
もともとが,持っていく回数や量に制限があるわけだから
「持っていってもいいよ」ではなく
「こちらの提示する範囲内でお代はいただきません。」
って言っているにすぎない上に
今回の被疑者に対しては見かねた店側が「一切お断り」をしたにもかかわらず
あえて持っていったという話なんで
「他の人が持っている物を,その人の意に反して奪う。」
の典型例でしょ?って話なのさ。

これが
「御自由にお持ちください」
とある無料カタログを
箱ごと全部持ち去ったというのだと
窃盗罪は難しいとは思うんだけどね。
「無料」とだけ書かれている場合ですら
もはや「窃盗罪不成立」とは自信持って言えないくらい怪しい話。
……これ,法律勉強した人なら「贈与がいつ成立する」って問題だと思えばいい。

ところがこの問題にはまってしまうというのは……。
法律学やった人ならきちんと基本に戻って
要件確認して
その要件にあてはまるかどうかを判断するって思考をとるんだけど
法律学をよく知らない人は
要件確認しないで,たいていは勝手に要件を作り出して
(今回は「無料」)
その結果,変な方向に進んでも全然気づかないということになっちゃうのさ。

というよくある落とし穴の具体例として紹介した次第。

自称・不定・不詳

逮捕状には「この人を逮捕していいよ」ということで
その人を特定する事項を書くんだけど
これが通常では
「住所」「氏名」「年齢・生年月日」「職業」
となっている。
このうち住所・氏名・年齢・生年月日については
市町村役場から戸籍附票を取り寄せたり
電話で照会してその回答を書面化したものを用意して
逮捕状を請求する際に添付することになっている。
ちなみにこれらを用意することもできないけど
逮捕の必要がある場合にどうなるのかという問題があるんだけど
今回の話ではとりあえず本題ではないのでとりあえず棚上げ。

ところがだ。
職業……ってどうする?
これが勤め人なら勤務先に確認をとって
それを書面化すればいいとは言えそう。
(もっとも急ぎの時にどうするかって問題は残るけど,とりあえず棚上げ。)
経営者だって社員がいるような場合ならまだなんとかなる余地がある。

だけどだ。
自営業で社員がいないような場合
どうやって確認します?

とりあえず何か書かないといかんとなれば
「不詳」と書いてしのぐか
「自称(本人の申し出た職業)」と書くしかないわな。
裏付けがとれてないということを書かなきゃいけない。
言い換えれば裏付けがすでにとれている場合の書き方と区別しなければいけない。
「自分で言っていることをとりあえず使いましたよ」
という意味の言葉として「自称」という語を使うのは
それほど悪い選択ではないような気がするにゃあ。

と,ここまで書けば,あの話かな?って気づいた人もいるだろう。
そう,あの話だ。

マスコミはたぶん警察発表のとおりに書く。
警察はたぶん令状請求と同じように発表する。
そうすると警察が職業を「自称○○」と言っているってことは
「職業○○について被疑者はそう言っているけど警察ではまだ裏付けがとれていない。」
ことを示している以上のものでも以下のものでもないわけだ。

マスコミが職業について「自称○○」とすること自体が
ある種の偏見に基づくもので暴力的であるという主張を
否定するつもりは全くない。
でも……
「自称」とつけなければ「職業」を報道してもいい
(もしくは報道するべきだ)
とする意見には
もともと賛成できないんだよな~。

だって……無罪推定の原則が刑事訴訟の大原則だよ。
有罪判決が確定するまでは「有罪ではない」として扱わなきゃいけないわけだ。
そういう人を有罪判決確定前である逮捕時点で
氏名・住所はおろか職業まで報道しちゃうってことに
そもそも疑問を持たないのかえ?
……逮捕で一件落着だと思っている人が特に多そうな日本においては,なおのこと。
「自称をつけるのがよくない」
という主張は,
判決前の犯罪報道に実名等を出してしまうという問題点から見れば
実に些末のものにすぎないと思うのよ。
……なんかバランス悪いな~って思う次第。

基礎から学ぶ憲法訴訟

永田秀樹・松井幸夫編著 法律文化社
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784589032997

この前,なかやん見に札幌行った時に
ジュンクで見つけて
憲法訴訟の現代的転回―憲法的論証を求めて
とどっち買おうか迷って
「薄い→読み切れる」と踏んで買った本なんだけど……。

実はまだ後半の問題集の方は手つけてないんだけど
前半は2回読んだという。

おもしろい!
ロースクール学生のパターン化された答案と
それを助長している司法試験受験予備校の指導に
本当に頭に来ているというのが
よく伝わってくる!

部分部分では
「どうして日本の法学者って憲法と言えども大陸法的思考から抜け切れないのかな~」
と思うなど,賛成しがたいところもあるんだけど
(それはおいおい取り上げると思う。)
「憲法(学)っておもしろいやん。」
って思わせてくれる本でした。

憲法訴訟論って今おもしろいのかもしれない。
そうすると上記駒村先生のも期待できるかも。

,と、

別に松本清張の有名な作品のパロディでもなんでもない。
某所で
「文部省では横書きは「,。」が使用されていたが,
 文部科学省への省庁再編時に科学技術庁の職員から不便であるとの苦情が寄せられたこともあり,
 公文書でも文書中で統一が取れているならば横書きでも「、。」でよいという内規にされた。」
という記述があったんだけど
これが実は都市伝説ではないかって疑っている話を書きたい次第。

まず官公庁の横書き公文書では読点に「,」句点に「。」を使うという
冷静に考えれば変則的な扱いになっていることについては
これは全くそのとおりで間違いはない。

でね,
注目してほしいのは
文部省と科学技術庁の統合は,いわゆる省庁再編の2001年なのさ。
この時点ではほとんどの省庁はA4横書き化に踏み切っていて
「残るは法務局の登記申請と裁判所の判決」って状況になっていたこと。
(ちなみにB5横書きの時代はあったけどA4縦書きはないはず。)
……統合時に「,。は不便」って今更のことを言ってそれが通るかえ?

それともう1つ。
私の使うVJEははなから句読点を「、。」「,。」「,.」(さらには他の組み合わせ)から選べるけど
昔のかな漢字変換プログラムだと「,。」が選べなくて
日本語用の「、。」,英語用の「,.」のどちらかしか使えない状況にあったのは確か。
でもこのことを前提にするなら
英文を混ぜなきゃいけなかったり,英文の文書を作らなきゃいけないとなるのは
文部省にも言えるとは思うけど
科学技術庁側により言えることでしょ?
そうすると英文で「,.」和文で「,。」を使うとされた時に
「「、。」がないと困る」と科学技術庁が言い出す理由が薄いと思いません?
これが「都市伝説じゃないの?」って思った理由。

そして実際に起こったのは
「、。」ではなく「,.」を認めよって話ではなかったか……と想像している。

ちなみに……
正式の文書でないというならともかく
外部にあてた正式の文書で「、。」でいいよというのは
ちょっと考えられないのも確か。

余談
たぶん想像つくと思うけど私のVJEの設定は「,。」
でも「国際法からはじめよう」では
出版社の「たとえ横書きでも日本語で「,」はおかしい」という意見が通り
「、。」になっています。
……原稿はコンピューターで書いたから
  この手は「置き換え」で1発だったので
  なんの問題もなし。
  ……実際には他の表現の統一のためにperlでスクリプト書いたのはみんなには内緒だ。

保釈取消

なんか例の件は
「自分でやったと認めたから
 保釈取消になって収監されたんだ」
って思っている人が多そうな気がしてならない……。

とはいえあたしだって取消決定見てないんであれだけど
まあおそらくは広く言えば
「保釈条件違反」
具体的には(個別の条件がもしあってもそれはいよいよ知りようがなくて)
刑事訴訟法95条1項の
2号「被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき」
3号「被告人がを隠滅し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」
あたりではないかと思っているんだけど……。

少なくとも「自分でやったと認めたこと」は
保釈取消事由にならないどころか
むしろそれまで保釈が認められなかったのに
保釈を認めることになる理由と業界では考えられている。
(これはこれで人質司法と批判されるゆえんのものであるが。)

まあ,重い犯罪を行ったと疑われることや
実刑必至だという状況自体が
逃亡のおそれを定型的に生じさせるというのも
わからないではないんだけど……。
(でもこれまた人質司法じゃないかとか
 「無実の人間を疑えば逃亡のおそれありで保釈不許可っておかしくないか」
 という批判もうなづけるところ。)

あと自殺するということが
最大の罪証隠滅行為であり,かつ,裁判を妨害する行為であることは
なかなか気付かない点だとは思うのよ。

ということで本件の保釈取消決定自体をどうこう論評するつもりは全くないんだけど……だ。

「真犯人は別にいる」的メールを送ることが
本件において罪証隠滅行為にあたるというのは
通説的見解だとわかっていても
個人的にはなかなか違和感が拭えないところだったりする。

というのは……だ。
まず通説的見解から先に書くと
嘘の内容を捜査機関に知らせること自体に
捜査を撹乱させる要因があるのは否定できず
「犯罪事実につながる真の証拠を見えにくくする」
という意味で罪証隠滅行為の一種だと考えるわけさ。
であれば,裁判進行中でもその性質は変わらない……と。

ところがね……。
あたしどうしても違和感がある。
というのは……だ。
裁判がはじまって証拠も出ている段階で
「真犯人が別にいる」
というメールが出たくらいで
裁判の過程が動揺したり,裁判の結果が変わるというのであれば
それはもともと「有罪と判断するには合理的な疑いが残る」状況で
無罪判決を書かなきゃいけない状況だったのではないか,
逆に言えばそんなメールでは今更結論が変わらないというのであれば
それって罪証隠滅行為なの?って疑問なわけさ。

とはいえ……
上述のとおり
結局ゴールが一緒なんだけどね。

メールのFromは偽装できます

一般の人にも有名な話じゃないかと思っていた
かつての私が甘かった……。
今は意外に知られていないという認識なんだけど
最近話題になっているので書いてみる。

前置き
三菱東京UFJ銀行をかたるメールによるフィッシング詐欺が多発していて
先日は珍しく私の所にも来たので
ひっかかったふりして指示どおりやってみて
いろいろ勉強になったのだが……。
この件について
「三菱東京UFJ銀行はなんとかしろ」
とかって怒っている人がいる。
私は1人見かけたけど,
たぶん結構な数いると思う。
そういう人は
「Fromが三菱東京UFJ銀行のメールは同行の関与なしには出せない」
と思い込んでいるはず。
……そうでなきゃ,単なる無理難題を言うたぐい。
  その人のメールアドレスを偽装する迷惑メールを出してから
 「おまえがなんとかしろ」
  って迫ればようやくわかるんじゃないかというたぐい。
だけど……
Fromなんていくらでも偽装可能だわな。
メールクライアントの設定を単に三菱東京UFJ銀行のアドレスにすればいいだけ。
まあ中にはFromアドレスが契約者のアカウントと異なる場合に
メールを送信しない設定のプロバイダもあるけど
人を騙そうって手合いはそんなプロバイダは使わない。
……てえか日本のプロバイダは使わないのが基本でしょ。そういう手合いは。
なもんで,三菱東京UFJ銀行になんとかしろって言っている人は
仕組みわからない上に他人まかせにしようとしているんで
ある意味だまされやすい人だと思う。

本題
とある政党の党首がらみで話題になっている件
「メールが残っている」というその画面が報道されたけど
その党首をかばうつもりはこれっぽっちもないが(※)
あの画面で「そのとおりのメールが実際に存在したんだ」と思い込むのは
もし国会議員なら辞職ものだということは覚えておくべきだと思う。
というのは大元の話としてFromは偽装できるわけだけど
携帯電話(たぶんスマホも)の場合には,受け取り側でも偽装できるのだ。
だって携帯電話(たぶんスマホも)の場合
住所録としてメールアドレスと名前を登録しておくと
そのメールアドレスをFromに書いたメールについては
表示する時に登録してある名前に置き換えて表示するという
大変便利な機能がデフォルトでしょ?
……ここまで書いたらわかると思うけど
  住所録に全く別人のアドレスをある人の名前とともに登録しておいて
  そのアドレスからメールを出してもらえば
  その人のあずかりしらぬメールが受信でき
  その人から来たかのように見えるのは容易だ。
もし裁判で証拠に使いたければ
当該携帯電話(及びスマホ)の使用者を証人尋問することはもとより
電話会社からメールの通信記録に相当するものやメールサーバーのアクセスログを取り寄せて
確かにその時刻に何らかのメールが行っていることを示さないと
使い物にならない。
(示したところでそれはメールの内容までは少しも証明していないのだが……。)
携帯電話(及びスマホ)の使用者がそういう技術を持っていないという方向の立証も
理論的には考えられるが
実際には難しいと思う。

携帯電話からメールを知った人って
こういう置き換えがデフォルトだと思っているので
メールの本文中に自分が誰かを一切書かないという特徴があって
一方こちらはメールはもっぱらコンピューターだから
Fromでは誰だかよくわからない上に本文にも名前がないので
読まずに捨てたことがよくあった。
あたしと親しい人はあたしがそうしているってよく知っているから
本文中にも名前を書くので
この方式で一向困らないというのもあるのだが……これはまあ余談。

という次第なので
携帯電話のメールの画面は単独では決定的な証拠とは到底言えないということは
覚えておいていいと思う。


時事問題そのものに直接コメントしたくはないスタンスなのだが
この件についてはどうしても1点だけ書いておきたいことがある。
やはり今まで他人を批判してきたとおりの基準で
その批判を自分にあてはめて
今まで言ってきた身の処し方を実現できなければ
およそ信用してはいけないたぐいの人だということになる。
……父親は失言は多かったけど(以下略)

最高裁より偉い国際司法裁判所

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/107

再開札

例の東京地裁の不動産執行係の大型物件の抵当権実行の話なのだが……。

「再開札」という表現をしきりに使っていたTV局があった。
……「再開発」って言っているのだと思いたいんだけど
  これはこれで意味が通らないんで
  たぶん「再開札」って言っているんだろうな~。

まず「開札」という言葉はたぶん法律用語じゃない。
世間で使う言葉だ。
裁判所の競売手続だからきちんと定義付けはしているとは言え
世間の用法から特に離れた用法とは思えない。

前提としては「入札」だ。
これは「値段(を書いた札)を申し出る(入れる)」行為だ。
参加者が一同に集まってその場で公開で入札し直ちに開札して
さらにより高い入札をつのる「競り上げ」
逆に「これはねえだろう」という高い所からはじまって順に下げていき
がまんしきれず入札した人に決まる「競り下げ」
というのも広い意味では入札って言えるんだろうけど
たぶん一般的には,他の人には見えないようにして入れて
一斉に開封して一番高い人に決めるというやり方をする時に
「入札」って使うと思う。
そして一斉に開封するのが「開札」
……字面のとおりでしょ?

正直,東京地裁の決定文を見ていないから
その意味を解説するのは難しい。
裁判所の競売手続で「何月何日から何月何日までの間に入札してください」
という形をとる場合は,裁判所では「期間入札」と言っているけど
この標準形にした場合,
不正がないことを証明するために
入札に際しては入札書を封筒に入れて封をしてもらって入札箱に入れてもらい
(この手続をするのは執行官(室)だけど
 入札箱には鍵がかかっていて
 その鍵は執行官は持っていない。)
開札期日に公開で入札箱を開け
そして公開で封筒の封を切って読み上げるって作業をする。
この「封筒の封を切って中を開けて読み上げる」のが「開札」
これもまあ法律用語というより普通の言葉だよね。

ここまで書けば気付いた人がいるかもしれない。
いったん「開札」してしまえば
それを「再開札」することなど不可能なのだ。
……法律用語でないものに,なんでこんな珍奇な言葉を編み出して使うかえ?

とはいえ……
繰り返しになるけど
東京地裁の決定を読んでないから
何が起こっているかを正確に把握することはできない。
……東京地裁の決定はたぶん一定期間貼り出していると思うので
  それを正確にメモっていて私に教えてくれるというなら
  それに基づく解説もやぶさかではないのだが……。

ただ,ひとつおさえておきたいのは,
開札期日で一番高かった人に自動的に決まるというわけではないのだ!
なにせ「入札できない人」というのが法律で定まっている。
それに該当しないかどうかを裁判所が審査した上で
ようやく
「あなたが一番高かったし,法律上問題もなさそうだから,とりあえずあなたに売る方向で進めるね」
という内容の決定を出すわけだ。
正式名称は「売却許可決定」

本件ではどうも今話題になっている2回目の入札で一番高い値段をつけた外国企業に
何らかの事情で「適法な入札とは認められない」という判断をして
売却許可決定をその外国企業には出さなかったというところまではほぼ間違いないと思うね。
ただ今度買うことになったとされる国内企業に対してどういう決定をするのかが
現段階ではちょっと把握できていない。
スタンダードに考えれば
「次順位買受」って制度の発動で,これは
「1番目の人に売るって決めて保証金と代金の差額(残代金)を払えと言ったけど
 期限までに払ってくれなかった。」
という場合に,一定の条件を満たしていれば
再度入札することなく2番目の人が買えるというもの。
ただこれは今回はちょっと考えにくい。
次順位買受って制度は,一定の条件を満たすことが必要であることもさることながら
そもそも「1番目の人に売るって決めて……」という話なのさ。
……でもどうもそうではないらしい。
  1番目の人に売るとは決めてないらしい。
そうすると何らかの理由で1番目の入札が有効な入札ではなかったとして
有効な入札の中で1番高かった国内企業に売ることにして
これから売却許可決定をするってことって考えるのが自然だろうな……と思っているけど
推測の域を出ないのさ。

ちなみに……。
売却許可決定が出てもそれで決まりじゃない。
売却許可決定も「決定」という名が示すとおり,裁判所の裁判の一種だから
不服のある利害関係人で法律上許されている者は
抗告を出して上級の裁判所の判断に持ち込むという手段が許されており
それができなくなってはじめて
「よし,代金納める手続はこうなりますよ。期限までにおさめてね。」
という話になる次第。
当然,期限までに入金されなければアウト。
入札の時におさめて保証金も没収というのが原則。

共犯

なんつうか法律用語発で一般に広まって
でも一般の使用法は法律用語とは違うというのは
結構大変だ。

例の音楽のゴーストライターの件
件の某氏の聴覚障害の件は
仮に偽だったとしてかつての札幌地裁案件の聴覚障害偽装事件と同じだし
これの共犯なんて論じるまでもなく不成立なんで
はなから外すことにする。

よくよく考えると詐欺罪というのも意外に誤解されている犯罪で
世間では結構「だましたら成立」と思い込んでいる人が多い。
正確には
「だます行為をした」
「だまされた」
「だまされた結果として何か財産を処分したor財産的利益を与えた」
がそろわないとだめ。
そしてだます行為というのは
「真実は違うのに,あたかも真実であるかのように思わせる」
ことで
だまされた結果として何かをしたというのは
「もし真実を知っていればしなかったことを
 真実を知らなかったがゆえにしてしまった。」
ことでないといかんわけだ。

そうすると一般のユーザーがCDを買ったりコンサートに行く行為に出た結果を
詐欺罪に問うには意外に問題点があったりするわけだ。
というのはCDを買ったりコンサート会場に入場するためにお金を払うのは
財産を処分したとは言える。
ところが……だ。
これで利益を得ているのは直接的には
レコード会社であったり,主催者であったりするわけだ。
「その利益はいわば一定の割合で某氏にも行く」
という前提で
「CD会社や主催者と1つの共同体を形成して行った」

「CD会社や主催者はまるで何も知らなかった……あたかも道具であるかのように使われた」
かでないと某氏に詐欺罪は成立しない。

むしろ直接問いやすいのはこれらレコード会社なり主催者で
レコード会社がその計算でCDを発売すること
主催者がその計算でコンサートを実施すること
が経済的利益を与えたことになるのであれば
詐欺罪成立の余地が出てくる。

でもね……
ここで詐欺罪成立って言っちゃうと
ある意味レコード会社なり主催者の恥を天下にさらすことになると思うのよ。
先のチェックポイントをもう1回おさらいしてみる。
「もし真実を知っていればしなかったことを
 真実を知らなかったがゆえにしてしまった。」
いい?
「真実は新垣隆が作曲したものです」
という真実を知っていれば
CDを出版しなかったものを
その真実を知らずあたかも某氏が作曲したと思い込んで
CDを出版しました……ってことでないと
レコード会社に対する詐欺罪は不成立さ。
……いいの?

当然レコード会社は営利目的の企業だから
「当社にとっては売れるかどうかが大問題であって
 いい音楽かどうかは二の次です。」
というスタンスはありだと思うけど
これは本件にひきなおすと同時に
「消費者は某氏という名前だけで買っているんです」
という発言だからなあ……。
(ということは詐欺罪だとか騒ぎ立てる消費者は
 自分は名前だけで買っているんですって白状していることにもなる。)

だまされたということより
その後の対応が実はより大きな問題を起こしそうな気がしてならない……。
……この点ではいわゆるAKB商法の方が割り切りやすい。
  ある意味「CDはおまけです。」なわけで。
  ……さらに「売れればいい」という商業主義は
   「どんな流通手段でも聞ければいい」という消費者の行動原理には対抗できないわな。

さてさて本題に戻る。
そんな某氏に音楽を提供したのが「法律上」詐欺罪の共犯に問われるためには
(実際に立件されるかどうかは別にして)
某氏に犯罪が成立しないといけない。
正犯なき共犯はだめだというのが刑法の大原則だからね~。

まあ漠然と「共犯」と言ってきたけど
「共犯」には「共同正犯」と「従犯……教唆犯と幇助犯」がある。
共同正犯は文字どおり「共同」の正犯。
詐欺罪に該当する行為を一緒に,もしくは手助けして行うもの。
ところがだ……今まで報道されているだけでは
消費者かレコード会社等かを問わず
共同正犯は無理目だと思うのです。
というのは,詐欺罪にあたる行為そのものは
新垣氏は行っていないし
作品の買いきりという形態で
「互いの行為をあたかも自分の行為とするような」集団は形成されたとは評価できない。
……そして教唆はいよいよ無理でしょ。
あるとすれば「幇助犯」
某氏が詐欺を行うことを「知っていながら」それを手助けするつもりで音楽を提供すれば
これは幇助犯は否定できない。
この場合はゴーストライターであることは何の免罪符にもならないから。
これは殺人犯に包丁を売った商店主と同様の話。
普通は「これで人殺すんだ」と言って包丁を買う犯罪者はいないから
商店主には幇助犯の問いようがない。
だけどもし商店主が話をすべて聞いていて
その上で包丁売ったのであれば
これは幇助犯が成立する。
普段,包丁などを売ることが商売であることなど何の免罪符にもならない。

……と,刑法の答案なら書かなきゃいけないところだ……。ふう。

ただ,今回,あたしは,これに詐欺罪の幇助犯成立させる気になれないのよ……。

仮に新垣氏の心情が
某氏に提供した曲は
・別に経済的な見返りはいらないから聴き手にいいなあと思ってもらえればそれでいい。
・自分の本業は別のところにあるからある意味どうでもいい
ってあたりだとすれば
これはよくわかる(つもり)なのよ。
たとえばあたしに「民事執行関係の話を書かないか」ってお誘いがあったとする。
あたしとしては専門は国際法だからまあお断りしたわけだけど
(そしてお断りしたからこそ「国際法からはじめよう」があるんだと思うんだけど)
仮にそのお誘いが,匿名もしくは他人名義で出るというもので,
結果それが評判になったとしても
それでどうこうって気にはあまりならないんじゃないかと思う。
当該他人がそれで悪さしていたらさすがに問い詰めはするだろうし
あたしはもしかしたらその後は断っちゃうかもしれないけど
相手に「いや,おれがやっていることじゃないんだ。」って言われた時に
真実を確かめないと幇助犯だとか手をひかないと幇助犯だというのは
何か違うと思うんだよね。
おそらく「手助けするつもり」の範囲の問題だと思うんだけど……。

んで,いよいよがまんできなくなったら公表するだろうし……。
でもそれが「分け前でもめて」って報道されちゃうとか……。

なんてことを
http://yoshim.cocolog-nifty.com/

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905
を読んで思いましたとさ。

自動失職

大阪市長が辞職して直後の市長選挙に立候補する件
前提として辞職は,通常,議会が同意するもんだけど
今回はどうも同意しなかった模様。
で,とあるマスコミが「自動失職」なんて書いていたんだけど
これは「原則と例外を入れ違える」誤りなわけだ。
地方自治法145条本文によれば
「普通地方公共団体の長は、退職しようとするときは、その退職しようとする日前、(中略)、
 市町村長にあつては20日までに、当該普通地方公共団体の議会の議長に申し出なければならない。」
であって,本来の形は
「辞める日まで20日の余裕をもって議長に言わないとだめよ」
ってことになっているのさ。
だから基本形は2月28日にやめたければ,遅くとも2月8日までに
「2月28日限り辞めます」
と議長に言わないといけないわけ。
確かに実際にはこの条項でいくことは珍しい。
通常は20日もおきたくないことが多い。
そうすると145条但書の
「但し、議会の同意を得たときは、その期日前に退職することができる。 」
を発動して,例えば「2月17日限り辞めたいので同意してください」って議長に言って
議会で同意してもらうって段取りで行くわけさ。

そうするとどうも今回は議会が同意しなかったらしいというので
これが本当だとすると,
市長はあらためて20日おいた日を設定して
「(その日)限り辞めます」
と言い直さないといけないはずなのさ(※)。
20日あけるともはや同意は不要。
……けっして自動失職の規定ではないのでした。


この時の言い方ってもしかしたら両方に対応できるようななんか慣行があるのかもしれないけど……。

鉄道系電子マネーのおさらい

まあ長崎スマートカードの話さ
(またローカルな話を……。)
もしくはSuica

Suicaについていうと
秋葉原駅の総武線・中央線の御茶の水方面行きホームの中ほどに
ミルクスタンドって店がある。
(いや,千葉方面行きホームにもあったはずだ。
 神保町じゃないからよく覚えちゃいないが。)
最初に秋葉原駅に行った時にもあったはずなので
(人によると昭和25年くらいかららしい。)
まあ相当長い店なわけだ。
……売店じゃなくてミルクスタンドという名称なんだと驚いた記憶がある。
  函館にはなかったし。

で,そこはSuicaが使えないらしい。
「へえ,昔ながらの商売スタイルが今も残っているんだ~。」
って,タウン誌だとか旅行雑誌的にはとりあげそうな話なんだけど
「「現金のみです」だって。速やかに撤去し業者入れ替えよ。それとも何かの利権か?」
とtwitterに書いた人がいたという。
……炎上希望しているとしか思えないよな~。
  ニコニコ動画を運営しているニワンゴって会社を筆頭に
  suica使えないところなんていくらでもあるんだけど……。

まあ,炎上希望者に突っ込むのも野暮だとは思うし
さりとて炎上に参加するほどの元気もないので
炎上に対しては放置なんだけど
(とはいえ「それとも何かの利権か?」は
 結構笑いがとれるフレーズなので使わせてもらうことにするけど。)
これを機会に電子マネーの法的性質を確認してみるのが
図書館でお茶会的な発想。

お金の根拠についての詳細は「地域通貨」をご覧いただくこととして
ポイントとしては
・紙幣については日本銀行法46条2項により「無制限に法貨として通用」
・硬貨については通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律7条により「額面価格の20倍までを限り、法貨として通用」
というところ。
で強制通用力の正体は「お金を払ったことになる(=代金債務を弁済したことになる)」なわけだ。

次に電子マネー。
Suicaの場合だとこれはあくまで「ICカード乗車券」で
マニアは「硬券」「軟券」なんていうけどまあ切符だよね。
その切符が紙ではなくICカードでできているだとか
もしくは携帯電話に同居しているとかという話。
お金を事前にチャージしておかなきゃいけないから
資金決済に関する法律にいう前払式支払手段には該当するんでしょうけど
基本「切符」なのだよ。
だけどこれに重ねて東日本旅客鉄道株式会社Suica電子マネー取扱規則で
加盟店では「お金を払ったことになる」という定めを置いたという話。

そして例のミルクスタンドは加盟店ではなかったわけさ。

そうすると先のtwitterの発言は
「切符で買えますかときいたら買えないと言われた」
というのが本質になっちゃう次第。
……だから炎上目的なんだろうな~という話。

接見

接見というのは刑事手続で身柄を拘束されている者と面会すること。

で,刑事訴訟法39条1項は,被告人・被疑者に対して
「弁護人(候補者含む)」と
「立会人なし」で
接見・物の授受(なぜか「交通」と業界では言っている)ができることが
権利として定めている。
まずこれが基本形。

「え,警察官とかの看守がつかないと逃げられない?」
って思うでしょ。
それはごもっとも。
というので,接見のための専用の部屋を用意して
そこで接見してもらうのが定石。
どんな作りかというと……。
これはドラマなんかでも割と正確に再現されていることが多いんだけど
出入口としては両サイドに扉がついているだけで
他には窓も何もない部屋ね。
しかも真ん中には相当丈夫でちょっとやそっとでは壊れない透明の板が固定されていて
お互い,反対側の扉の方には行けないようになっている。
透明の板は音が聞こえるように細かい穴はあいているけど……という感じ。

この部屋だと,たとえ部屋の中に入らなくとも
扉の所に1人配置しておけばまあ大丈夫だわな。

で,ここまで読んで,報道と照らしあわせて
「あれ?弁護人との接見に捜査関係者が2人もいるのおかしくない?」
と思った人は大正解。
今回の報道だけで「じゃあもっとたくさん捜査側の人がいればよかったんじゃないの?」
というのは
若干あさっての方向に行きかねないと思ったのが
今回の話をしようと思ったきっかけなのさ。

刑事訴訟法39条3項は「例外として」
接見の日時・場所を捜査側が指定することができる旨定めている。
これは捜査側にはもともと身柄拘束についての時間制限があるため
被疑者側が接見を繰り返すことで
捜査を事実上妨害することを防ぐという意味があるんだけど
あくまでこれは「例外」
そのことを条文は「捜査のため必要があるときは」で示している。
……ちなみに「公訴の提起前に限り」という制限もあるけど
  これは「捜査を終えてから起訴しなさいよ。起訴後の捜査は許しませんよ。」という前提で
  「捜査が終わっているはずだから,捜査のため必要なときはあり得ないよね。」という話。
でも,かつては捜査側が原則と例外を逆にして運用して
(いわゆる面会切符。
 「いつでも捜査の必要がある」として制限かけて
 検察官のOKがある時だけ面会できるってことをやっていたという。)
さすがに裁判所もだめ出ししたという。
(……このことが実は今回の背景にあるのさ。)

だめ出しの結果どうなったかというと
「逃亡のおそれがあるからこそ身柄を拘束しているのであって
 その時に,立会人なしで接見されると,逃げられかねない」
場合には,3項を発動して接見を断ってもいいし
それは「接見に適した部屋がない」という理由でも許されるけど
それでも弁護人側が「逃げられないよう立会人がいてもいいから」と言った場合には
「接見に適した部屋がない」は理由にならないって判断を最高裁が示したわけ。

今回はその話で
「接見に適した部屋がない」にもかかわらず「立会人付きでいいから接見したい」というものなわけさ。
だから捜査側が2人「も」部屋の中にいたのさ。

さて……。
あんまり知られていない話だけど
特捜部案件のように検察が自ら捜査を行う場合は話は別だけど
圧倒的多数の案件は警察が捜査して検察は補充の捜査をするだけ。
だから検察庁に被疑者がいる時間というのは
逮捕・勾留の中ではきわめて限られた時間にすぎない。
そして刑事訴訟法39条3項があったせいで
「(設備の整っている)警察に戻ってから接見してよね。」
がしばらく許されていた点は
多少検察にも同情の余地がなくもない。
だけど……
原理原則から言えば
39条3項は例外なんだし
しかも最高裁が「立会人ありでもいいからと言ったら接見させないといけない」と言った時点で
接見室作るのが正解なんだと思う。
この点,谷垣法務大臣が「川崎はすぐ作る。他も順次。」とコメントしたのは
きわめてまともなコメントだったのでした。

……つうか,管内人口が函館の3倍もあって,庁舎が6階建ての川崎支部に
  接見室がなかったという方が驚いた。

ちなみに,
検察事務官が座っていた席って
あれは普段の彼の席ではないと読んでいる。
検察事務官の机は検察官の横でしょ,基本的に。
それをあそこに座ったのは,逃走防止対策だったわけよ。

横領の被害総額

例によって金曜日は隗で餃子食って茶を飲むわけだけど……。
隗のマスターと話をしていて……。
横領事件におけるマスコミの流す被害総額って
その計算方法が意外に知られていないな~と思って
ここでご紹介。

たとえば金庫の中に1000万円入っていたとする。
本当はこれには一切手をつけちゃいけない状態だったとするわな。
=適正な扱いだと出入りが一切ないと仮定する。

この金庫の中の現金について出し入れの権限のあった犯人が
ある時ちょっと手持ちのお金が足りなくなって100万円を持ち出したとする。
さすがに悪いと思うから数日後にはきちんと100万円を埋め合わせしておく。
これを12回繰り返したとしよう。

金庫の中には相変わらず1000万円が入っている。
だけどこの場合の被害総額は100万円×12回の1200万円だからね!
要は被害総額というのは,被害者の実損額ではないからなのだ。

そうしてこんなことになるかといえば……。
おそらくは報道機関はこの時点では警察発表によって報道していると思っていい。
被害者も実は原因がはっきりつかめていないことが多いからだ。
で,警察や検察という捜査機関は
横領事件をどのように考えるかというと(実は諸説あるんだけど,まあざっくり言えば)
「他人の財産をあたかも自分の財産であるかのように使う行為」
が横領罪と考えて
かつ,実際に使った時点で犯罪は成立していると考えるわけさ。
たとえば最初の1回目
100万円に手をつけた時点で横領罪は成立だ。
ここで横領罪が成立するってことは
あとで100万円を埋め合わせようと被害弁償しようと
犯罪が不成立になるって訳ではないのさ。
(細かいことを言うと多少の例外はあるけど
 まあ素人は無視していいレベルの話。)
そうすると後で返したとしても「100万円の横領罪は既に成立」なのさ。
それを単純に犯行回数重ねたのが被害総額という話。

もっとも捜査機関は
あとで裁判になった時に立証ができるものだけを発表することもあるので
立証できなくて起訴にいたらないものについてはカウントされていない可能性は当然ある。

だけれどもそうなるといよいよ
「報道されている被害総額が,被害者の実損額とは一致しない」
可能性が高まるし
「1回横領してそれで逃げる人」
より
「繰り返し横領した点では悪質なんだけど
 悪いと思って返してまた手をつけて……という人」
の方が
マスコミ報道の被害総額が大きくなる傾向にあることは
知っていても損はないと思った次第。

窮地?

あんまりタイムリーすぎるネタは扱いたくないんだけど……。

某所の損害賠償請求訴訟で
(とはいえねっこは契約不履行。)
裁判官が被告側に主張立証を求めたことが
某所では「被告側の作戦ミスか」なんてセンセーショナルに報じられているところなんだけど……。

この構造で被告側の主張立証を求めない方がある意味驚きの展開だったよね。
だって契約があるってえのがスタートの訴訟で
契約があるって主張した側に初手からいろいろ主張立証求めるようでは……
それって訴状がぼろぼろってことやん。

民事訴訟の主張・立証責任の分配についての
基本的な話のところなんだけど
これってそんなことわからなくても
「約束があったって点について争いがなければ
 それでもその約束を守らなくてもいいという側がまず説明しないとだめだよね。」
って点は割とわかってもらえるんじゃないだろうか……と。

訴状を見ていないのでコメントできません

民事訴訟が起こされた時によく出るコメントだけど……

まず
「実際は訴状見ているのにね~」
って思っている人は大間違い。

裁判所は訴状を受け付けて
その後で相手方(=被告)に訴状を送る。

そして訴訟を起こしたとアナウンスする側はたいてい
裁判所に提出した時点でアナウンスする。
……まあたいてい訴状は届いていない。
  ……ゆえに訴状なんて見ていない。

こうなるとこういうコメントしか取れないマスコミが取材不足なだけ。
提訴で相手方の所に即座に行って
「訴訟起こされたようなんですが,コメントしてください」
なんて言ったら
「訴訟案件になった→うかつなことは言えない」
ってまともに考えれば考えるほど
「訴状を見ていないのでコメントできません」
って答しか実はあり得ないことがまるわかり。

トラブルの経緯をきちんと取材して,それについての反論を求めるならまだしも
こんなコメントしか取れないのなら
いっそコメント載せなきゃいいのに……とは思う。

条約に反する国内裁判が行われた場合

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/105

「すべての法律に関する何らかの法律」は制定できるか

話の発端は結城浩さん
(最近だと「数学ガール」の著者で有名だけど
 私個人的にはperl本の著者として知ったし
 某所でメッセージのやりとりをしたこともある。)のtwitterでの
「「すべての法律に関する何らかの法律」は制定できるか。もしできるならパラドックスの匂いが。」
というところから。

抽象度を一段落とすとこんな感じ
「A1,A2,A3……Anという国会制定法が既に存在して効力を有している時に
 それら全部に適用されて,かつ,X自身にも適用される国会制定法Xは制定できるか?
 制定できた場合,そこにパラドックスは発生しないか?」
ちなみに今回は
結城さんのフィールド(の1つ)が数学であることに鑑みて
数学に寄せて考えてほしいわけだ。
……だからこの時点で「国会制定法はえてして相互に矛盾かかえているから」という現実を語るのはアウトよ。
  むしろ「X制定前の国会制定法は相互に無矛盾」という前提でいい。

言い換えれば「自己言及によってパラドックスが発生する場合」なわけだ。

これ,「制定できるか?」と言われれば「制定できる」と答えざるを得ないし
「そこにパラドックスが発生しないか」と言われれば
「法の矛盾が発生した場合の3つの不文法によってパラドックスは解消される」と
答えることになると思うんですよ。
3つの不文法とは
・上位法は下位法に優先する
・特別法は一般法に優先する
・後法は前法に優先する
(よし,自著の宣伝だ!持っている人は「国際法からはじめよう」p54をよく読め!
 持ってない人は本屋に注文だ!!
 あそことあそこの本屋では店頭にまだあるはずだ!!!(笑))
その結果,国会制定法Xもしくはその中のある特定の条項が
その他の既存の国会制定法(及びXのそれ以外の条項)との関係で
この3つのどれかにあたってしまい
効力関係が決まってパラドックス自体は解消されるんです。

ただし!
この説明よく読むと
「自己言及して矛盾するなら自己言及しないことで読み取ろう」
という解釈(技法)が使われているのに気付くはず。
言い換えると
「X自身にも適用される国会制定法X」であったはずなのに
実はXなり当該条項について除外することで
「X自身にも適用される国会制定法X」ではなくなっているんだよね。
そうすると問題を変型して
「「すべての法律に関する何らかの法律」で,
 解釈によってはパラドックスの発生を阻止できない法律を制定することはできるか?」
にしないといけないだろうし
解釈の目標が矛盾の阻止にある以上
「たいていは解釈でなんとかなっちゃう。」
「それをなんとかするのが法解釈学の仕事だよね。」
って現実の世界に引き戻されちゃうわけさ。
……解釈ってこれは法の世界だもんなあ。

で,ここまでは,どちらかというと結城さんの領域。
それにとどまっていたんではおもしろさ半減。
「おまえ,国際法が専門で,しかも最近は,大陸法と英米法と国際法の比較が主戦場じゃねえか。
 実例の1つも出せねえのか。」
言われたらまさにごもっともなので
今度は法解釈学に寄せた話をしてみたい。

実は私の記憶の及ぶ限り
「自己言及もしていて全ての法律に影響する法律」というのは日本法では思いつかない。
「全て」を「相当広範囲」とするとなくもない。
その最たるものはまず日本国憲法98条1項。
日本国憲法が施行されたことでその時点(1947年5月3日)現在で有効だった法令のうち
憲法に違反するものは無効とされたわけ。
そうすると,一応形式的には
「日本国憲法98条1項は1947年5月3日現在有効でしょ。」
ってなりそうだけど……。
98条1項は自己言及を当然のように避けているのよ。
「法律,命令,詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部」
に憲法は入ってないっしょ?
実際憲法は入らないって字面通り読めばいいことになっている。

第2次世界大戦敗戦→日本国憲法制定の関連では
結構広範囲に適用される法律が作られていて
これはえてして
「ポツダム宣言受諾によって矛盾が生ずる法令を一括して改廃する」
「日本国憲法施行によって矛盾が生ずる法律を一括して改廃する」
(あたし個人的には「概括的失効」って呼んではいるんだけど。)
パターンなんですよ。
「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」
は,日本国憲法の人権規定に合わない民法その他の法律の規定を
一括して改正,廃止しました。
「日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令」
は,勅令について政令として扱うことにし,
命令の文言中の「勅令」は「法律または政令」に読み替えることにしました。
概括的なものは他にもあるんだけど
やはり注意深く自己言及を避けているんですよ。
(さすが法制局!)
あと一時期は刑罰規定の罰金の条項が
制定時の経済状況を反映してとんでもない安い金額になっていたのに
個別の法令を改廃するのは面倒だというので
「罰金等臨時措置法」で一括して読み替えていたんだよね。
「金額を100倍しろ」とか。
この時も罰金等臨時措置法自体では刑罰規定を設けなかったから
自己言及はしないでいる。
だから実例はないのさ。

で,おそらくその必要性もない。
罰金等臨時措置法の適用範囲が今は大分縮小されたんだけど
それはなぜかというと
最近の日本の国会制定法は,基本的に
「改廃の関係,効力関係を,先の3つの不文法によらず処理できるようにするため
 できるだけ条文に明記しよう。」
って姿勢だからなんですよ。
だから刑法の大改正があった時に
罰金等臨時措置法の対象から外して刑法中に明記することにした次第。
そうすると「全ての法律」を対象にする法律の必要性がない。
仮に必要だったとしても,自己言及しなきゃいい……という話になるのさ。

それともう1つには「そもそも改正法の効果は?」って話がからんでくる。
たとえば……
平成25年法律第1号で
第1条 AについてはBとする。
第2条 CはAとみなす。
なんて法律を定めたとしようか。
その後平成26年法律第3号で
第1条 平成25年法律第1号を次のとおり改める。
 第2条「CはAとみなす」とあるのを「CはAと推定する」に。
という改正法を定めたとしよう。
※ちなみに日本の場合,法律の改正は,このように
「従前の法律をこのように変える」という内容の法律を新たに制定する約束です。

そうするとね……。
それ以後,実務家は,平成25年法律第1号を
「第1条 AについてはBとする。
 第2条 CはAと推定する。」
と書き換えられたとして扱うんですよ。
実際六法にもそのように記載されるわけ。
平成26年法律第3号は必要がなければもはや記載しない。

これの究極の形は「ある法律を廃止する法律」
平成27年法律第13号で
「第1条 平成25年法律第1号は,廃止する。」
なんて定めちゃった場合ね。
実務家はまず平成25年法律第1号は廃止されたと認識する。
次に平成26年法律第3号も当然に失効したと認識する。
そして……平成27年法律第13号についても,
平成25年法律第1号の廃止の効力が発生した後は
平成27年法律第13号自身の効力を議論しないという約束なんだよね。
だから六法には,どの法律も記載されないことになる次第。

さあここで問題。
純粋にパズル。
……だって実際に制定されたら違憲無効が出ちゃうもん。間違いなく。
平成30年法律第1号
「第1条 この法が施行された時に効力を有する全ての法律は,廃止する。」
が施行されたとしよう。
平成30年法律第1号の効力は?

これは数学寄りの立場から見ればパラドックスって言えそうだけど
法解釈学の立場では矛盾なく素直に解釈できちゃうのです。
(自身の効力は議論しないという約束だから。)

まあこんなもんで……。

余談。
結城さんは「不文法も法なんですか」って書いていたけど
不文法も法なんです。
そこで宣伝。(笑)
「書かれたものが法だとは限らない」が気になるあなた。
国際法からはじめよう」p190を読みましょう。
持ってない人は……(以下略)

余談2
成文法の国にしか通用しない議論には
個人的に興味がない……。
(参照 「それは「法の支配」じゃないと思う」)
……わからないならわからないでいい。(by嘉穂)

理論的にはきれいじゃないんだけど

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/103

領事と名誉領事との違い

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/101

モバイル1日乗車券を偽造?したら?

長崎電気軌道がモバイル1日乗車券を売り出した。
http://www.naga-den.com/kikaku/1day/mobile1day
長崎の場合,1日乗車券の車内販売はなく
(ちなみに長崎スマートカードは買える……知らなかった。)
事前に販売所で買わないといけない。
とはいえ私が以前泊まったところでいうと
ビジネスホテルニューポートでもリッチモンドホテルでも買えるんで
そう困ったことにはならないんだけど……。
まあ買いやすくしたのとあと宣伝効果なんだろうけど……。

これ偽造対策どうしているんだろう?
毎日新聞の記事によると画面が動くとかあるんで,それかしらん?

そして偽造した場合,紙じゃないけど,有価証券偽造罪でいいのかしらん。

考え込んでしまうようでは甘い

渡辺雅昭「司法改革とメディアの責任」朝日新聞の社説余滴
少々長いけど冒頭部分をまんま引用する。

 新聞やテレビでしばしばこんな決まり文句を見かける。
 警察や検察が捜査にのりだすと「真相を徹底解明せよ」と背中をおす。
 犯行に至る動機やいきさつがはっきりしないときは,「闇が残った」ともどかしさをぶつける。
 だが,自白の強要などゆきすぎた捜査は「絶対に許されない」。
 無罪判決がでたら当局に「猛省を促す」一方で,
 有罪立99%の日本の刑事裁判は「異常だ」と批判する。
 そして,判決が誤ることは「あってはならない」—–。
 その一角に,私もいる。
 局面,局面ではもっともな指摘にみえる。
 しかしこう並べてみると,さて自分は,社会は,捜査や裁判に何を求めているのか,
 求めるべきなのか,
 考え込んでしまう。

問題意識をもってもらえるのは遅すぎる感もあるけど評価はしたい。
実際この後でこの状態が続くことは司法と市民(及びマスコミ)にとって不幸だとしているんで
問題意識は正しいと思うのだ。
……マスコミが市民にとって不信と批判の連鎖におちいることについて明言していないのは
  もう諦めちゃっているのかしらん?とは思ったけど……。

ただ……。
正直これで考え込む時点で勉強不足だと思うのだ。

その最大の誤りは
「真相を徹底解明せよ」と司法や捜査当局に迫ることであり
たいていはできないんだけどそのことで「闇が残った」と評価する点なのです。
裁判手続や裁判で有罪を得るために証拠を集めるの手続で
「真相を徹底解明」できるわけがないしする必要もない。
すごく刺激的な言い方をすれば
「裁判で真実などわかるわけがない」
のです。

だってさ~。
スポーツの世界を見れば一目瞭然でしょう?
その場にいる審判ですら何が起こったか判断できない場合があるやん。
裁判官はたいていは犯行現場にいない。
……この時点で真実なんかわかるわけないやん。

「そうはいっても証拠があれば過去に何かあったかわかるでしょう」
って反論はあると思う。
でも……それ本当にわかったの?
「私が実体験したんです。その実体験を否定するんですか?」
っていうならまだわからないでもないけど
(もっともその実体験が実は幻覚だってこともあるし,嘘を言っている場合もあるんだが,それは別論。)
結局は「AならBだ,そしてBでなければAではない」という法則の存在を信じて
Bの存在からAの存在を推測するという話のはずだよね。
そうするとその法則がどのくらい正しいのかという点を切り離して考えちゃいけないはずだし
現実に使われる法則には
「AならBだとは言えるけどBでなければAではないとは言い難い」
類の法則が相当あるのだし
加えて「AならBだと言える」のも確率的に高低があるよね。

なもんで
「裁判官が犯行現場にタイムマシンか何かで行って,自ら見聞きした。」
というのでもない限り
裁判で真実なんかわかるわけがない。原理的に無理。

※先進国における刑事訴訟にはこのことに加えて
 「無実の者を処罰することは絶対にあってはならない」という思想の下で
 いろんな制度をもうけているから
 いよいよ真実などわからない。

原理的に無理なものを求めること
それが得られないこと
この時点で「誤り」なんです。
……考え込む余地ないやん。

無罪判決自体に当局に「猛省を促」しておきながら
有罪率99%を「異常だ」というのは完全に矛盾なわけだから
これまた考え込んでいる場合ではない。
……ちなみに「真実がわかることなど原理的に無理」ならば
  有罪率99%というのが異常なのは自明で
  無罪判決を得た当局に猛省を促すのが誤り。

「判決が誤ることはあってはならない」というけど
何をもって判決が誤ったとしているの?
実はこれが全く整理できていない。
裁判手続中に法令違反の行為があってそれを見逃したというのであればそれは確かに誤りだし
あってはならないことだ。
また一定の資質があれば誰でもが同じ判断をする時に
独自の見解にたって独自の判断をするようであれば
これまた「判決の誤り」と言っていい。
(ちなみにこれは程度によって弾劾裁判だったり心身の故障を理由とする職務停止の裁判の問題だな。)
……この調子で「判決の誤り」を定義してみそ。
  たぶん定義できないから。

となると,上記引用部分って
実は考え込む話じゃないんだよね。
何が間違いかはっきりしている話。
そして考え込むべきは
「にもかかわらず裁判で真実がわかる」と思い込んで記事を書いているマスコミに対し
どうすればその思い込みを解くことができるのか
その具体的な方策なのです。
……自分たちの思い込みを解くこともできずに
  市民に情報を提供できると思うのは,
  さすがにそれはどうかと思うど……。

国会議員定数不均衡の続き

小林良彰 「民主主義を機能不全に陥らせた「一票の格差」がもたらす3つの弊害」
1票の格差が国会における決定にどのように影響したかをシミュレーションしたもので
2005年選挙(いわゆる郵政選挙の自民圧勝)と2009年選挙(民主圧勝)とで比べた場合
発言において傾向の差はなく
おおむね
「防衛問題については,定数不均衡によってより声が大きくなっている」
「教育・労働や社会福祉、保健衛生について,定数不均衡によってより声が小さくなっている」
と言え
また定数不均衡で1票の価値が重い地域ほど
「特別交付税の交付額及び農林水産費と普通建設事業費の支出」が多いという傾向があったという。
前者も相当問題なんだけど
後者ははかりしれない問題じゃないだろうか……。

とはいえ後者の問題の本質は
実は定数不均衡の問題ではなく
国の守備範囲の問題なわけなんだけど……。
(人口が少ない地域ほど1人あたりの受益額は大きくなるし
 これを平等にすることは結局「地方には人は住むな」という問題になってしまう。
 これは定数不均衡を解消したから解決するという問題ではない。)

前者の問題はもっと研究・公表されるべきだよなあ。
……あたしも「全国1区比例代表制の下による議席配分」を発表しているのではあるが……。

ちなみに……
小林教授が定数不均衡の解決策としてあげている選挙制度は
あえて全国1区にせず選挙区を設け
議席配分を人口や有権者数によらず実際の投票数によって決定することにより
全体としては比例代表制にしつつ
個々の当選者の決定に際しては「投票数が少ないことで議席そのものが配分されない」というプレッシャーをかけて
もって投票率の向上=棄権の防止につとめたという点でおもしろい着眼点だと思うけど……。
そこまで地域代表的性格にこだわりつつ
比例代表という政党を単位として制度にすることに
どれだけのメリットがあるのか私には疑問。
「政党名か個人名を書いて投票し
 政党別の議席数は比例配分して
 その中の順位は個人名の投票順」
という方が簡明でなおかつ思想として一貫していると思うんだけど……。
……参議院の全国区の頃だって
  大政党は地域割していたもん。
  議席が複数とれるところは頼まなくたって地域代表の性格の候補者を用意してくれる。
  地域に分けた結果1人も出せないような少数政党にも一定の議席を与えるべきだというのが
  少数代表法や比例代表法の主張なんで
  それでいながら選挙区導入するってえのがな~。

国会議員定数不均衡

そういえば,大学時代,憲法ゼミで担当したのが
定数不均衡だったりする。

1 国会議員の性格は?
日本に限らずこの性格づけで実は統一された合意がないし
法で決めれば決まるって話でもないもんで
ここで議論が実は既に混乱しているというのはあります。
例えば「国会議員はその選挙区の代表だ」という考え方。
割と日本では支持を受けている考え方なんだけど
本当にそれでいいだろうか……と。
日本国憲法43条1項は
両議院は,「全国民を代表する」選挙された議員でこれを組織する
としているんだけど
全国民を代表するはずの国会議員に「その選挙区の代表」という考え方持たせていいの?とか。
また政党本位の選挙を目指すとした小選挙区制導入でありながら
=候補者自身ではなく候補者の所属する政党こそが最大の関心事であるはずなのに
選挙区を変えることを「国替え」と称してみたり
地縁のない選挙区から立候補することを「落下傘」と称してみたり……。
※たとえばUKは極論を言うと選挙ごとに選挙区変わるからなあ。
 政党本位の極端な形はアメリカ大統領選挙における選挙人だよね。
 その選挙人の個性はどうでもいい。選挙人がどの大統領候補に投票するかが唯一のポイント。
そして選挙区の意向に拘束されるのか?
この点も実は煮詰まってないしコンセンサスも得られていない。

また安易に「国民の意見をよりよく反映させるように」というけど
国民の意見が多種多様で(あるべきだし)ある以上
それをよりよく反映させると
ある意味国民の縮図が国会になってしまう。
そういうので本当にいいのか?
多少はフィルタリングした方がいいんじゃないかという話もある。

国会議員の性格付けで実は議論の混乱の要因があるわけで
整理した議論をしたければまずここで整理する必要があるわけさ。

2 そもそも定数不均衡は人権侵害になるのか
実はこれ,絶対ではなかったりします。
歴史的に見てもUKの議会の小選挙区というのは19世紀まで
(イギリスらしいといえばそれまでだけど)歴史的経緯が重視されて
有権者が1人しかいないとか0だとかという選挙区が存在していたり
「大学選挙区」という大学を単位として選挙区が存在していたりで
1票の格差がとんでもなく存在していたんだけど
それが格差で問題なんだと認識されること自体が20世紀に近くなってからの話。
フランス革命のあたりでも
「身分によって1人に与えられる票数が異なること」は
平等原則に反するとされたけど
言い換えれば選挙区内で格差があることは平等原則の問題とはされたけど
選挙区間の格差が平等原則の問題だとは直ちにはされなかったのです。
選挙区間の格差が平等原則の問題だと認識されたのは20世紀になってからと言っても
あながち間違いじゃないかもしれません。
現代では「人口比で決定する限り」平等原則の問題と解されていますが
あくまで「人口比で決定する限り」という留保がつきます。
例えばアメリカの上院は「各州2人」の上院議員で構成されますが
2000年現在人口の一番少ないワイオミング州で49万人
多いカリフォルニア州で3387万人と70倍近い差があるのに
上院についてはどっちも2人です。
これはアメリカがその建前として
「それぞれが等しい国家=statesが集まって連邦として対外的には1つの国家となるのだから
 それぞれのstatesは平等である」
から,その州の代表も平等であり,上院は州の代表によって構成されるという思想を徹底しています。
これを人口比にすることは上院の性格付けを変えることになるのですね。
従来はこのような発想は日本には向かないとされていました。
江戸時代の幕藩体制ならまだしも
明治以降の中央集権国家で,都道府県の配置がもっぱら中央政府によるものであるのに
「都道府県が集まって日本国を作った。
 →都道府県は対等である」
というのは無理があるとされてきたのです。
しかし,衆議院と参議院の選出方法を変えるというのはありの話ですし
第2次世界大戦後の参議院の全国区制度は
「職業別の代表を選出させよう(=職能代表制)」という思想があったとされていますから
参議院の選挙区を一気に「各都道府県2名の同数」とするのも
そのこと自体で直ちに違憲とはならないのです。
そもそも選挙区を設ける時点で格差は必ず発生するのですから
(端的に言えば端数処理で既に不平等にはなる。)
人口比を厳格に守らなければならないとなると
選挙区に分けるということが憲法上許されないってことになるはずなのですが
そういう議論をする憲法の先生はさすがに極端少数説だと思います。

3 1票の格差の計算法
日本では最大と最小の格差を比率で表すのが当たり前になっていますし
「1人に2票与える結果となる格差2倍以上は違憲」
というのはわかりやすい計算法だとは思います。
しかしこれも絶対ではありません。
最大と最小だけに着目するから
そこだけなんとか2倍以下にしようというごまかしかたが出てくるとも言えます。
例えばアメリカの違憲基準は
選挙区制をとらない場合の議員1人あたりの人口or有権者数を求めて
各選挙区の議員1人あたりの人口or有権者数が
その基準のプラスマイナス33.33%を超えると違憲となるという考え方です。
もともと厳格に1倍は無理でも
できる限りそれに近づけるべきだという発想であれば
あるべき数字からどれだけ離れたかで違憲になるという基準の方が確かに素直です。
(ちなみにプラス33.33%とマイナス33.33%で日本流に計算すると2倍です。
 アメリカでは最大と最小で2倍にならなくても,
 基準から離れすぎるとそれだけで違憲にするのです。)

4 ここで一休みして選挙方法の整理(抜粋)
選挙方法自体あまり整理されていないのでここで整理しておきましょう。
学説では「大選挙区制vs小選挙区制」としてその区別を
「その選挙区から1人だけを選ぶのか複数選ぶのか」という点におくのですが
定数不均衡違憲判決の効果を正確に議論するためには
「選挙区制を採用するか否か」という場合分けをまずした上で
採用した上で「大選挙区制vs小選挙区制」と区分した方がわかりやすいと思います。
……学説は「選挙区制の採否の有無」に議論の利益を認めてこなかったのです。
  そうすると全国1区と大選挙区の本質的違いはないですわな。
それから
「多数代表法」「少数代表法」「比例代表法」という軸も整理しておきましょう。
(比例代表「制」……じゃないからね。)
「多数代表法」というのは,多数派に議員を独占させるやり方
アメリカの大統領選挙で多くの州が「勝った側の総取り」としているけど
これは多数代表法です。
あと小選挙区制は当然に多数代表法。
(=勝った側が1人を総取り)
「少数代表法」というのは,少数派にも議員を選出させるやり方
昔の日本の「中選挙区制」は定数が複数あっても投票用紙には1人しか書けず
その多い順に決定するんで,多数派でなくても議員になり得たのです。
これが少数代表法。
「比例代表法」というのは「少数代表法」の一種で
定数を得票数に応じて比例配分するのが特色。
この軸に
「全国1区制(=選挙区なし)」「大選挙区制」「小選挙区制」
の軸を組み合わせて議論するのが原則なのです。
……これにさらに「1人だけ書くのか何人書けるのか」という
 「単記制(1人だけ)」「制限連記制(定数未満で複数)」「完全連記制(定数分複数)」が組み合わさる。
たとえば大選挙区制でも完全連記制で行くと多数代表法になっちゃう。

5 日本の公職選挙法の選挙無効制度の大穴
で,これは意外に知られていないんだけど
日本の公職選挙法の選挙無効→選挙のやり直しというのは
無効原因がその選挙区内に止まるものしか想定していないんですよ。
定数不均衡による違法は想定していない。
おそらくは法改正がなくともやり直しの選挙が可能な場合しか想定していないんですね。
でも……定数不均衡って法改正がなくともうやり直しの選挙が「憲法適合的」に可能なんだろうか?
……正直私が今回のマスコミの報道で不満なのが
  この点について触れているマスコミが一切ないって点なんですよね。
  ある意味その不満のためにこの文章書いていると言ってもいい。
具体例で見てみましょう。
1区の人口が10万人で定数1
2区の人口が5万人で定数1
……議員1人あたりの人口は1区で10万人,2区で5万人だから2倍だね。
そこで1区の有権者が選挙の無効を求める。
1区の選挙が無効になったとする。(実はここが大穴なわけだけど。)
1区の選挙をそのままやり直して問題解決?
……しないよね。
全体の定数がどうなってもいいなら
一番簡単な解決は1区を人口5万人ずつの新1区と3区に分割してしまうことだ。
新1区 人口5万人 定数1
2区  人口5万人 定数1
3区  人口5万人 定数1
でもね……この場合,従前の1区の当選者の議席を失わせる必要あるのん?
だって新1区と3区で2人選ぶ必要があるのに1人しか選ばなかった点が問題だと考えれば
1人追加で選べばいいってことで解決可能でしょう?
これは実は以前の中選挙区制の時の方がわかりやすい。
1区 人口12万人 定数3
2区 人口6万人 定数3
この時に全体の定数がどうなってもいいなら
1区の定数を3から6に増やせば問題は解決やん。
(定数を4とか5に増やすことで「2倍以下だ」って逃げ方はしないことにする。)
この場合,1区の選挙を無効にしてやり直す必要本当にあるのん?
3足りないだけなんだから追加で3選べばいいでしょってえのは一理あるでしょ?

で,ここまで書くと勘のいい人は気付いたかもしれない。
まず第1に「全体の定数がどうなってもいい……というのは無理筋でしょ。」ってこと。
確かにそう。無理筋。
そこで第2の……いよいよ本当の問題提起がくる。
今の中選挙区の例
1区と2区の人口合計18人で定数が6なら
本当は区割りを変えない限りこうするべきだよね。
1区 人口12万人 定数4
2区 人口6万人 定数2
ちなみに中選挙区制は恣意的な区割りを防ぐため定数は3~5とされていたが
後に違憲状態解消のために2人区と6人区を現に作っています。
このことで「2人区を3つ作るか6人区を作るか」のような
恣意的な区割りが可能になってしまったのですが
それを避けるのなら
人口が9万人ずつの定数が各3になるよう区割りをやり直すべきです。
で,どちらをとるにしても
2区の選挙を手つかずにして1区だけ議論していいの?って思いません?
区割りを変えないのであれば2区をそのままにするのは全体の定数をいじらない限り無理。
全体の定数をいじれないのであれば
区割り変更が必須だし,
区割り変更がなければ
1区を増やすだけではなく
2区を減らすことも必要になる。
にもかかわらず
「1区だけ選挙無効」で本当にいいんだろうか……と。
全体の定数をいじらないのであれば
全国1区であれば問題がなかったのを
選挙区制を導入しつつ適正な区割りをしなかったので問題になったという以上
区割りが全体として違憲って考えるのが自然な考え方だし
格差2倍以内になっている選挙区間は無効でもなんでもないと限定したとしても
2倍以上になっている選挙区は大小の両方が無効にならないとおかしいのではないか。
さらに選挙が無効としても「足りないのが問題」であれば
「追加して選べばいい」という解決策があるのではないか……
そういう議論が……まず流れてないでしょ?

それともう1つ。
こっちは触れているマスコミもなくはないんだけど
選挙後国会は開かれいくつもの法律が成立しているんだよね。実は。
そうすると……
その法律に無効な選挙によって選ばれた議員が関与していたとした場合
その法律は有効なの?
本来であれば無効でしょ?
そこをまあ会社法でもあるように
採決結果を詳細に検討し,無効な選挙によって選ばれた議員を採決から除いても
同じ結果になったのであれば無効にはしない……という解決策は可能だわな。
でもそれ式で,「無効ではない法改正は可能なの?」
って疑問にちゃんと答を準備できるだろうか……。

このように考えていくと
法理論的に簡明なのは
実は
「区割り自体が全体として違憲無効である」
 ↓
「だけど区割り規定以外は違憲無効とはならない。」
 ↓
「法改正がされない状況下でも全国1区で選挙ができる」
って線だったりするのです。
……確か学界通説と言っていいと思う。
  これに対し,「裁判所が適切な区割りをした上で選挙を命じられる」という有力説もあるけど
  裁判所が直接法を作るのはさすがに立法権の侵害として許されないだろうというのが通説からの批判。

6 ちなみに日本の判例の読み解き方
最高裁は実は一貫して基準を示していない……というのは
判例を検討している人たちにとって割と有名な話。
違憲基準は2倍だ3倍だというのは
実は最高裁が言ったのではなく
いろんな判決つきあわせてみるとどうもこうではないかという線にすぎないんです。
で,それをふまえると
日本の最高裁判例の読み方は
憲法違反かどうかを1本の線で判断しているのではなく
2本の線で判断していたのではないかというのが私の分析です。
(これもこういう分析をしている先生がいないのが難点だけど。)
すなわち衆議院で説明すると
計算方法は日本の伝統的な「最大と最小の比率」でいって
2倍になると本当は平等原則違反なんだけど
そのことでは直ちに「違憲判決」は書かない。
だけど2倍を放置して3倍になったら「違憲判決」を書く。
2本の線とは言い換えれば
「平等原則違反という憲法違反か否かの判断基準」と
「判決で違憲と明言してしまうか否かの判断基準」とのことである
そう説明すると後の事象が説明しやすいんですね。
端的に言えば,司法消極主義を背景にした
「いきなり違憲」と宣言してしまうことを避ける発想ですな。
そしてこれは実は国会の側も
「違憲を言われる前に改正して解消しようとしていた」
ことによって正当化されていたのです。
なもんで私が学生の頃は
「学説2倍,最高裁3倍」ということだけおさえておけば足りた。
ところが……
その後,解消ができなくなったり
「3倍以内にとどめれば違憲とは言わない」と短絡的に考えて
3倍をきればいいや程度の改正にとどまることが見られた。
裁判所の側は本当は2倍で違憲出したいけど
ある意味猶予の意味で3倍までは黙っていたのが
3倍以内ならいいって誤ってとられたのではないかってことになって
裁判所が新たに言い出したのが
「2倍で違憲だけど,改正のための合理的な期間を経過していないから
 まだ違憲だとは言わない。」
っていういわゆる合理的期間論なのです。
※これ割と個人的にも鮮明な記憶があって
 ある時OBでありながら現役のゼミに参加したことがあって
 しかもその時のネタがやはり定数不均衡で
 で,予想通り,振られたわけだけど
 現役生が合理的期間論をきちんと分析していて
 「え,そんな基準あるの?」「佐々木さんの頃は無かったよね」
 って話が出たんですわ。
それともう1つは事情判決の法理だよね。

そうなると今の判例としては
「2倍で違憲→合理的期間の経過でいよいよ違憲を書く」
という,昔とは微妙に違う2本の線を設けていると読むべきだというのが
私の分析です。
そして違憲を書いてもさらに踏み込んで(直ちに)無効を言っちゃうのか
将来のある時点以降無効にするのか
事情判決で無効までを言わないのかが
今回高裁判決が分かれたところなのだと思います。
(1つだけ例外あったけど。)

7 余談
某ニュースサイトによると「司法テロだ」と言った国会議員がいたとかいないとか……。
テロの意味が全然違うんでまあガセネタだとは思うけど
この文章読めば
「むしろ国会が大さぼりじゃん」
ってわかってもらえるんじゃないだろうか?

ネット上で本人であることを証明するのはブートストラップ?

もともとのきっかけは仲谷明香の新しいblog( http://nakaya1015.exblog.jp/ )に
「本人です( ´ ▽ ` )ノ」って書かれていたけど
本人でなくてもこう書けるよね……って話から。
……その話と「土地所有権の証明で権利自白が成立しないと結局地券制度まで遡らざるを得ない」って話が
  私の頭の中でリンクしてしまったことにある。(笑)

で,仲谷明香の上の例だと
google+で上記URIが自分のblogだと記述されていて
google+自体は運営当局で本人だと証明しているから
そこに遡ることができるんだけど……。

そう考えると
「信頼性の高い所(たとえば認証局)に証明してもらう」
「そこを起点に推論を重ねる」
って構造にならざるを得ず……。

それって
本当の最初には何か小さいプログラムを最初に入れて
そこから徐々に読み込んで本体にたどり着くのと
構造的に似ているなあ……
って思ったのよ。

そうしてみると……
日大三島の学生たちが私の書き込みだけで私本人だとよくわかったよね~。
(まあ後で聞いたら半信半疑な部分もあったそうだけどね。
 そりゃあそうだ。その方が健全。)

エレガントな解を求む?

いや,大学への数学の話じゃなくてね……。

とりあえず仮に民法709条をとりあげる。
民法709条については,私の知る限り,最高裁で違憲だとか合憲だとか直接言及した判決はなされていない。
しかし,不法行為のど基本中の基本の条文だから
民法709条を根拠にする金銭支払請求を認める内容の判決はばんばん出ているし
要件を満たしていないとして請求を否定する内容の判決もまたばんばん出ている。
そんな状況でだ……。
私が「民法709条については違憲ではないって判断が最高裁でされている。」と言ったとしよう。
これに
「最高裁で違憲だとか合憲だとか直接言及した判決はなされていない」
ことに着目して
「違憲か合憲かわからない」だとか「違憲か合憲かは五分五分だ」とか反論する人がいたら
どうする?

いや,どうするかというのは実は本論ではない。
もし私の教え子なら「ちょっとそこに座りなさい」から小一時間説教のフルコースだし
私の知らない人でその面前でなければ
「あんた,馬鹿ぁ~?」くらいは言っている。
ちなみに上記反論が全く的外れだということは
ちょっと法解釈学をやった人なら当然わかってなければならない話だし
おそらくはもう直感で判断できるレベルの基本の話なわけだ。

でもまあ直感で終わらせるのも芸がないんで
普通に説明することにする。
で,数ある理由付けの中でどの理由付けが一番「エレガント」かな……というのを考えてみたのさ。

やはり……
憲法98条1項の「その条規に反する法律……は,その効力を有しない」から
仮に民法709条が憲法に違反するならば,
民法709条は効力を有しない以上
民法709条を根拠とする金銭支払請求は最高裁においてことごとく否定されるはずである。
しかし,実際には,民法709条に基づく金銭支払請求が
同条の要件を満たすものについて最高裁において認められている以上
最高裁は民法709条が憲法に違反していないと判断していると言える。
……というのが一番エレガントかなあと思うのさ。

事後法による処罰の禁止は絶対ではない

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/99

それは「法の支配」じゃないと思う

http://www.lufimia.net/dynamic2/tpl/97

従来の形式に比べて情報処理量が無限大に近い?

某所での話。
おおもとのきっかけは中日新聞のこの記事。
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20130115/CK2013011502000018.html
「XML形式は従来の形式に比べて情報処理量が無限大に近く」
……この表現おかしくない?

正直に白状すると
たぶん言われないとあたし気付かない。
新聞記事だと基本的には概略で意味がとれれば細かいところ気にしないからなあ。
(どうせ正確な理解なんかしてねえだろうから,
 細かいところでうだうだしてもしょうがない。
 むしろ,「この記事からはこのあたりまではあったんだろう?」ってあたりの推理をした方が早い。)
……とはいえ,ここでネタにするのは
 「マスコミしか使わない法律用語っぽい言葉」のカテゴリーのとおりなわけだが……。
で,あらためて読んでみると……
「量が」「比べて」「無限大に近い」……これは日本語か?
まあおそらくは
・これで読者は理解できる?
・(最低限)書き手であるあなた(自身)はこの文章で理解できると言える?
・そもそもあなたは取材対象者から得た情報そのものを理解できているの?
ってチェックのどれか(複数?)でひっかかり
その点で批判されてもしょうがないと思うのね。
「XML形式は従来の形式に比べて扱える情報の量が多く,自由度も高いことから」
くらいでいいんでねえの?とは思う。

この話は,これから展開するジャーナリズム論以前の話で
=ある意味「あんた,馬鹿ぁ?」って言われておしまいって話なんで
そういうレベルに対する対策ぐらいで
あたしの言うことなんざあそりゃあ杞憂だよって言われちゃうかもしんまい。
んで,実際杞憂なら杞憂でもいいのさ。
ただね。
「だから取材対象者に確認してもらいましょう
 ……なんで確認しないの?」
ってえのは
問題意識自体持てないかもしれないけど
ジャーナリストサイドでも,また憲法学サイド(特に表現の自由論あたり)でも
まず容認できない,容認しちゃいけないとされているレベルの話なんで
(少なくとも山本武信「大学教授になれる本の書き方」早稲田出版(2003)p162以下だと
 山本武信は私と同じ感覚であることはわかるんで
 私が独走しているわけでもないのだよ。)
それを今日は展開してみたい。

まず下ごしらえから。
下ごしらえその1は「言論の(自由)市場論」。
近代市民社会が表現の自由に最優先の価値を認めるのは
表現の自由のないところに真の民主主義社会は成立し得ないから
(だってまともな議論のないところにまともな投票なんかできるわけないでしょ。)
だってされる。
そして検閲が絶対に禁止され,事前規制を許さないのが原則だとされるゆえんのものは
「ある言論の是非は
 その言論に対する自由な検討と批判によって
 決定すべきだ。
 質の悪い言論はこの過程で駆逐されていくはずだ。」
という世界観の採用なわけだ。
この世界観であるがゆえに
「だから言論自体が言論の市場に提示されないのでは
 自由な検討と批判ができず
 質の悪い言論を淘汰させることもできない。」
として検閲の絶対禁止などを導き出す次第。

そして「言論の是非」から「言論の正確性」だけを特別扱いすることはできないのです。(←ここ重要)
正確とは何か,正確さの判定基準は何か,
それもまた言論によって決すべきであり
正確さを判定するのは,あえて言えば言論の市場そのものなのです。

もしかしたらある閉じた世界では
「正確」も「正確さの判定基準」も「正確さの判定者」も明らかであり
その閉じた世界の内部では共通認識があるのかもしれない。
しかし……(ちょっと議論を先取りしちゃうけど)ジャーナリストはたいていその閉じた世界の外部の人だし
ジャーナリストが伝える相手もまたその閉じた世界の外部の人なんで
共通認識は共通ではないし,明らかなものも明らかではないんです。

で,話を戻すと
検閲の絶対禁止も事前抑制の原則禁止も
権力に対する抑制であるので
一般私人間では適用されないのではあるんだけど
その世界観については一般私人間では異なるんだってことにはならないことに注意が必要。
……権力との関係では悪い言論が駆逐されるけど私人間では駆逐されないなんてことはあり得ないわな。

下ごしらえその2はジャーナリズム論。
とはいえジャーナリズム論は特に日本では
「とりあえずジャーナリストと名乗ったもん勝ち」的な様相を呈しており
それこそ確固としたものがあるわけじゃあない。
その限りで「それは個人的見解にすぎず裏付けねえだろ?」って言われると
全くもって否定はできねえわな。
ただ,
「私と同じ見解の人が少なくとも一定数いるからこそ
 こんなことが問題とされているんじゃないの?」
って話はできるんで……
まあお楽しみに。

ジャーナリストとは何をする人かという定義自体から
実は議論がはじまっちゃうところではあるんだけど
その定義がどうであれ,次の点にはほぼ一致してもらえると思う。
「ジャーナリスト自身が見聞きし経験し(知覚)たことについて
 ジャーナリスト自身が記憶し
 ジャーナリスト自身が取捨選択の上,表現についても選択して記述(叙述)する」
だから政府の公式見解を発表する報道官(スポークスマン)や
会社として広報活動を行う広報担当者は
ジャーナリストとは呼べないこととなる。
……当たり前と思うかもしれないけど,割と重要なポイント。

ジャーナリストに限らず言論における責任とは
「自らが行った言論について,
 実在の人格とのひもづけまでされた上で
 他者から評価されること(たとえば信頼度が下がること)を
 拒否できない」
というものです。
……署名というのは本来は実在の人格とのひもづけだよね。
このことで「無責任な言論」というのも導き出せる。
「他者からの評価を拒否する・できる言論」がこれです。
「他者からの評価」が抑止力となってまずフィルターがかかるという仕掛け。
そして報道官や広報担当の場合にはその人個人ではなく
政府とか会社とかそういう団体・組織として行うわけです。

そうするとだ……。(下ごしらえ終了)
ここで具体的な例で考えてほしい。
「取材対象者Yから情報I1及びI2を得たジャーナリストXは
 情報I1を記事化することとしてE1と表現した。
 それを公表前にYに見せたところ
 YはI2も必須だとした上でE2という表現になおすよう求めた。」
仮にYの言うとおり直したのであれば
情報の取捨選択や表現の選択がXによってなされなかったのである以上
この記事はYによるものであってXは報道官だとか広報担当とかと同じ立場です。
……とてもXが責任とれる話じゃないし
  そもそもXに責任とらせちゃだめでしょ。
※ちなみにXは自身の判断を優先させていい……というなら
 Yにチェックさせる必要は最初からないよね。

実際「公表前に取材対象者や利害関係者に見せてしまう」ことは
実は結構定期的に起きていて
マスコミでは問題になっていたりする。
……だいたいはあるマスコミがやらかして他社やマスコミ業界団体にがっつり怒られるパターンなのだが
  訴訟化してしまうことだってある。
TBSのオウム報道についてのビデオ視聴事件は
直接は「取材対象者ではなく利害関係者に見せた」ことで
「取材源の秘匿」に反し
結果「取材源に危害を加えた」ことを引き起こしたんだけど
当時のTBSはさすがにこういう言い訳はしていないんだけど
「正確さを担保するため」という意識でやっていたら……。

特にジャーナリストは
「ジャーナリスト自身が見聞きし経験し(知覚)たことについて
 ジャーナリスト自身が記憶し
 ジャーナリスト自身が取捨選択の上,表現についても選択して記述(叙述)する」
ことを徹底しないと
最悪人命が失われることだって現に起きたわけだし
責任の所在をあいまいにするのは間違いないんで
質の悪い記事への抑止力とならなくなってしまうのだ。

中日新聞の件はXのとったE1という表現が
X自身最適なものとして信念のもとにやったとは言えそうにないから
シリアスな問題にならないけど
(また人命には関係なさそうやね。)
でも記者の内心なんてわからないからねい。
もしかしたら当該記者が確固たる根拠と信念の下に書いたものかもしれない。
そうだとしたら以上の問題が浮上しちゃうんで
看過するわけにいかなかったのよ。

以下余談。
ちょっと調べてみたらどうも中日新聞の記事は
系列の日刊県民福井の本社の記者が署名入りで書いたもの。
でも日本の場合,署名入りでもデスクや整理部(中日新聞本社?)が手を入れているだろうから
仮にチェックを依頼するにしても「誰が依頼するのか」で
実務的には意外にはまりそう。
また取材先は明らかに2つあるけど(鯖江市役所の担当課長と経済産業省の担当課長)
どちらも日本国憲法の検閲の絶対禁止規定の対象となる検閲主体である公権力であることが明らかなんで
「公表前の記事をチェックする」こと自体が
「検閲の絶対禁止規定違反→違憲」とされちゃう。
(これは「当事者間の任意」だという形式を整えても全然だめ。)
そうだとすると,ちょっと危機管理ができているところなら
「チェックして」って言われても丁重にお断りするはず。
仮にここがクリアになるくらいなら
もともと
「担当課長の言ったことをそのまま文字化したんじゃないの?
 担当課長だってよくわからないからといって
 システム開発業者の説明をそのまま繰り返しただけじゃねえの?」
って線も否定できない。
いずれ取材対象者に見てもらおうとしても
少なくとも今回の中日新聞の1件は意味なしな感じがするねい。

司法試験&予備試験 刑法・刑事訴訟法・刑事実務 論文虎の巻

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/9784864660488.html
もともと司法試験(どちらかというと予備試験)の受験参考書で
司法試験予備校における講演を書籍化したもんなんだけど
これは刑事系の法解釈学の試験の答案を書く人は
全員持っててもいいんじゃないかと思うくらいの本だと思うのね。

話は実は昔にさかのぼる……。

旧司法試験の末期から受験指導で一世を風靡しているSさんって方がいる。
何せ自身が早期に受かっているし
奥さんも司法書士試験に早期に受からせているし
特に「知識量の勝負ではない→捨てるのも大事」という点において
私も相当参考にしている。
……てえか,ぶっちゃけあの試験で筆記は連勝できたのはSさんのおかげとさえ言える。

ただ……一方で拭い難い違和感があったのも事実。
その最大の理由は何かと言えば……。

法解釈学の試験の答案で初心者がやりがちなミスというのは
「結論があっていれば途中の理由はどうでもいい」
って考えちゃいがちなこと。
これが大間違い。
たいていの試験では
「途中の理由が法学的であれば結論がどうであっても正解」
「途中の理由が法学的でなければ結論があっていても不正解」
ということになっている。
言い換えれば法解釈学の試験の答案で要求されるのは
「法律知識を得ていることを示す」のではなく
「法的思考ができていることを示す」こと。
……これがわかっていれば,六法の丸暗記は意味がないことがわかってもらえるはず。
  ちょっとした試験なら六法は持ち込み可か試験機関から貸与される。
  ……ちなみに予備試験では貸与だけど試験終了時に持ち帰れる。

で,Sさんの本では
この理由が「え?それのどこが理由になるの?」というものだったから。

でもSさんは司法試験合格の実績のある人だしなあ……なんてもやもやしつつ
別のとある試験で自分が指導する側にたった時には
理由をSさん的に書いても許さなかった……。
「理由になってないよ」
ってよく指摘していた。
……指導の結果である筆記試験の合格者1名,別のとある試験の合格者1名出しているから
  外しちゃいないと思うのだが……。

そのもやもやがこの本ではれたのだよ。
司法研修所の教官の経験のあるこの本の著者が
まさに私と同じ立場で
「それは理由にはなっていない」
と指摘していたからなのさ。
そして著者が理由として書かなきゃいけないと例示していた内容は
私も書かなきゃいけないと思っていた内容だったのさ。

加えて,著者がこんなことも指摘している。
実際の旧司法試験の答案ではほとんどの答案が「理由になっていない」答案で
それから外れているのは極端にいいか極端に悪い答案で
「理由になっていない」答案でも合格にせざるを得なかったという。
……これでSさんの方式でも通ったことが説明できるわけさ。

というので
自分自身が自信を回復できた本であると同時に
およそ「答案に何を書かなきゃいけないのか」に迷っている人におすすめだと思った次第。

技術者がやっちゃう法解釈の誤りの例

シャープの往年の名機の前身MZ-80KをHTML5でソフトウェア的に再現した人のサイトを
つらつらと見ていたら
去年の情報処理高度化等に対処するための刑法等改正の話が出ていて
フリーウェアの公開を止める止めないの話をしているんだけど
おもしろいことに
その作者の法解釈は割と正解なのに対し
「それでいいのか?危ないんじゃないか?」ってコメントしている人の法解釈が
技術者がよくやりがちなあさっての方向に行っているのは
やはし法解釈学も技術で
きちんとやれば誰にでも修得できるんだろうな……と思った次第。

議事録をきちんと引用するあたりからまず正しいんだけど
そこでの江田法務大臣の説明って全くぶれちゃいないし間違ってもいない。
(さすが元裁判官。)
じゃあなんではまりの議論が出てくるかというと
この局面だと
「バグが何かはみんな自明でしょ。」

「バグは全部同じ扱いでしょ。」
というのを当然の前提にしちゃう人とそうでない人の違いで
作者は「そうでない」ことがきちんとわかっているけど
コメントしている人の何人か
(と,その人が引用している人……ってあの人じゃん。)
は,そこが全然わかってない……。
ちなみに法律は「バグか否か」で議論しちゃいないし
ゆえにバグだと全て同じ扱いになるわけでもない。
だから「バグだとこうなりますよ(こうなりませんよ)」って話は永久に出てこないんだけど
その永久に出てこないはずの話が出てこないからって
「法務省は問題をわかってない」ってなっちゃうのはね……。

今回の場合は
「言葉の定義付けをきちんと行うこと」
「法律の概念を基準にとらえること」
をきちんとやっていれば防げる「バグ(笑)」だったりする。


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