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削除の仮処分を却下した最高裁決定の守備範囲は広いと思う

googleに検索結果の削除を求めた仮処分についての最高裁決定が出て,
最初ニュースとかで見る限り,
「忘れられる権利が認められるか?」
「最高裁は特に何も言わなかった。」
って感じだったんで,最初はながしていたんだけど……。

原文見てみたら,実は別の点で影響が大きいんじゃないかと思ったので
そんなことをつらつら書いてみたいと思う。

ちなみに,これ,削除というのを仮処分として地裁に対して求め,
地裁は削除を認めたんだよね。
でも,本来は仮処分だから,あとで一般の訴訟をやらなきゃいけない。
仮処分にも不服申立はできるし
実際本件でも不服申立がされているんだけど
不服申立(抗告)を審理する高裁で判断されると,
原則はさらに不服申立はできないんだよね。
一般的に「3審制」と言っても「3回やることが保証される」わけではないんだけど
仮処分の場合は,原則は2審制なんですよ。
実際高裁は,地裁の認めた決定を覆して,認めない決定をしているんで
原則はそれで決まり。
ただ,憲法違反など一定の理由があれば例外的に最高裁に持っていける。
ということで,この判例は裁判所のwebサイトで既に公開されているんだけど
「許可抗告事件」と耳慣れない言葉が冒頭にあるのは
そういう「原則に対する例外」の話だからということだったりする。
あと,一応は,訴訟でリターンマッチすることが認められるし,
訴訟で別の結論が出る可能性自体は否定できないんだけど,
本件で訴訟を本当にやるかどうかは微妙だとは思う。
……最高裁で以下で説明する理由を示しているのに
  その理由の下で訴訟で勝てるとは到底思えないし
  最高裁がこの理由を短時間で覆すとも到底思えない……。
  そうしたら結論は見えているよね。

さて,本件は最高裁は高裁の判断を支持して「削除は認めない」としたんだけど
そもそも「google様絶対。削除なんて箸にも棒にもかかりません。」って話では
全然ないわけさ。

個人のプライバシーに触れた場合
人権が認められない権力による行為によるものを除けば
これは常に「個人のプライバシー」と「表現の自由」とが衝突するけど
表現の自由が絶対に保護されるわけでなければ
個人のプライバシーが絶対に保護するわけでもないから
「利益損失の比較衡量」という名の調整という話になるというのが
裁判所の考え方で,この点はぶれていないと言っていい。

個人のプライバシーが「犯罪」「服役」に関することであれば
いわゆるノンフィクション「逆転」事件についての
平成6年2月8日最高裁判決が有名。
この事件の中身はいたるところに転がっているだろうから
興味のある方は各自調べていただくことにして……。

まず,
「ある者が刑事事件につき被疑者とされ、
 さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け、
 とりわけ有罪判決を受け、服役したという事実は、
 その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから、
 その者は、みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき、法的保護に値する利益を有する」
「その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、
 一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、
 その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、
 新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有する」
として,「犯罪」「服役」に関することについては「公表されない」法的利益があるし
これは同時に
今の社会生活の平穏を害されない法的利益,
更生を妨げられない法的利益
があるんだ(なぜなら一市民として社会に復帰することが期待されている)というのが
基本線なわけだ。
一方それで公表が一切だめかというとそうではなくて
「刑事事件ないし刑事裁判という
 社会一般の関心あるいは批判の対象となるべき事項にかかわるものであるから、
 事件それ自体を公表することに
 歴史的又は社会的な意義が認められるような場合には、
 事件の当事者についても、
 その実名を明らかにすることが許されないとはいえない。」
「その者の社会的活動の性質
 あるいはこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、
 その社会的活動に対する批判あるいは評価の一資料として、
 右の前科等にかかわる事実が公表されることを受忍しなければならない場合もある」
「その者が選挙によって選出される公職にある者あるいはその候補者など、
 社会一般の正当な関心の対象となる公的立場にある人物である場合には、
 その者が公職にあることの適否などの判断の一資料として
 右の前科等にかかわる事実が公表されたときは、
 これを違法というべきものではない」
というように,公表が許される場合もあるとしているんだけど……。
「言論の自由だから」という緩い判断基準ではなく
・歴史的or社会的な意義がある
・その人に社会的な影響力が認められるときに,
 その影響力の評価・判断の資料とするためのものである
(その典型例として公職にある者及びその候補者)
のどっちかがないとだめだとしているわけね。

で,この構造は,今回の検索結果削除請求でも,裁判所は変えていないわけさ。
ちなみに逆転事件は公表対象となった事件とノンフィクション作品公表との間に
約13年が経過しているけど
本件の削除請求では事件と削除請求までは約5年。
だけど判断の枠組みは変えていない。
「プライバシー対表現の自由」という枠組みで考えるならば,
特に目新しいところはない決定なんですよ。

にもかかわらず,私が今回の判決が意外なところに影響するのでは?と読んでいるのは
「表現の自由」の問題だと判断したところなんです。
(そして,この点は私は大賛成だし,実はいろんなところで書いている。)

google的には,
「自分たちは自動的に集めてきたデータを提示しているだけだから
 内容については与かり知らぬものである」
というのを常に主張しているし,
「情報の収集,整理及び提供はプログラムにより自動的に行われるものの」
という決定文中の表現はgoogle側の主張によるものではないかと想像されるんだけど
最高裁はこの点が理由にならないと明言していて
「プログラムは検索結果の提供に関する検索事業者の方針に沿った結果を得ることができるように作成されたものである」
と最高裁は判断し,だから
「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する。」
としたんですね。
その上で,にもかかわらず削除を命じるとなると
「方針に沿った一貫性を有する表現行為の制約」
になるから,簡単にはいかないよって判断しているんです。
加えて,検索結果の提供という表現行為がなぜ保護されるかといえば
その価値を
「公衆が,インターネット上に情報を発信したり,
 インターネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを
 支援するものであり,
 現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている。」
点に求めており,削除はこの点で公衆への不利益だと指摘しています。

結果的には本件では削除は認めていないけど
削除が認められる抽象的な要件は示されたし
それにあたって「プログラムが~,ロボットが~,自動的に~」と言っても
全然関係ないよってされた上
「検索結果の提供は検索事業者(今回はgoogle)の表現行為」
だから,表現行為に伴うものとして責任とらないとだめだよって言われたわけで
「検索も表現で責任を伴う」は
検索事業者(例えばgoogleとかyahooとか)に対する
大きな重しになるんじゃないかと思うんですよ。
……googleからすれば日本における歴史的敗北を喫したことになるのではないか……と。

具体的に言うと
どこかのサイトが他者に損害を与えるような内容のサイト
(言い換えればそのサイトの作成者が損害賠償責任を負うような内容のサイト)
をgoogleのロボットが拾ってきて
検索結果に反映させると
最初の検索結果の提示の時点で
「googleの表現行為である」とされて
google自身もまた損害賠償責任を負うことになる
今回の削除の仮処分の却下決定が
ここまで導けることになってしまうんです。

当座,「サジェスト機能」がすごく危ない。
検索利用者側としてはネタとして笑っていられるかもしれないけど
「特定の人名,団体名」を入れた時に,
それに対する「評価の言葉」を出してくるのは
それが「googleによる表現行為」になるわけさ。
そして当然のことながら単語を並べただけでの表現だから
「fair comment」にはなりようがなく
損害賠償請求が可能になってしまう。

googleにしてみれば
「表現行為としてとらえられて責任を負わされるくらいなら
 表現行為とされないで,
 古い情報について,忘れられる権利として処理してもらった方が
 よほど楽。」
ってことになるんじゃないか……って私は思っているんですよ。

そしてこれは同時に
いわゆるキュレーションメディアという名で
他者の成果を横取りしているサイトについても
「これは私・われわれが書いたものではないから」
という言い訳を許さないことにまでつながると私は予想しています。
というのは,検索事業者が「自動で」言った背景には
「既になされている表現」を「自動で」拾って提示しただけだから
「既になされている表現」についての責任は負わないという主張のはずなんだけど
この点を今回の削除請求についての最高裁決定がはっきり否定して
「検索結果を提示する者の表現行為」と位置づけた以上
いわゆるキュレーションメディアについても
「(原稿?を誰が書こうと)それをサイトに載せるのが表現行為」となるはずで
「(原稿?を書いた者によって)既になされた表現だから」
というのが言い訳にならないという判断が導かれるとするのが自然だからです。

いわゆるまとめサイトも同じだよね。
「既に他の人が他の所で書いたものを集めてきただけ」というのも
「でもあなたがまとめて提示しているんだからあなたの表現行為です」
で,終了……と。

こう考えていくと
今回の最高裁決定は
「いわゆるインターネットにおいて
 他者による成果を利用した場合
 他者によるものであることを理由に免責はされない」
ってことを打ち出したものとして
すごく重要なものであるというのが
現時点での私の評価なのです。


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