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学問としての法律学と法律についての問題が出る資格試験対策の違い

法律が試験科目になっている資格試験で
しかもその試験の形式が正誤を尋ねる「○×式」もしくはその変形となっている場合があります。
これって実は「法律学」という学問から見れば
結構「その○×を答えさせるのはナンセンスだよなあ」って問題があったりします。

抽象的に言うと
「この場合にはAとBをしなければならない」
という条文の知識を前提に
「この場合にはAをしなければならない」
という記述の正誤を問う問題。

この記述の正誤って構造的に両方あり得ちゃうから困っちゃう。

まず学問的にはこの記述の正誤は「○」にしなければならない。
すごくラフな言い方をすれば
Aをしなければならないこと自体には間違いはないわけで。
でも実務的にはこれの正誤を議論するのは意味がないのも事実。
というのは
「AをしましたけどBはしていません」なんて相談者に対し
「Aをしたのであればそれでいいよ」って答えてもしょうがないわけでしょ?
「AとBの両方が必要だ」という条文どおりの正確な知識をもとに
「それならBもやってくださいね」ってアドバイスをしなきゃいけない。
「Aをしなければならない」ことの正誤はどうでもいいでしょ?
……でも冷静に考えればこの場合でも「Aをしなければならない」のが誤りなら
 「Aはやらなくてもよかったんだけどね~。」って言えるけど
  この場合はそうは絶対に言えないんでやはり「正しい」としなきゃいけないのだが……。

ところがね……。
法律が試験科目になっている資格試験だとこうは単純には行かなかったりするのさ。
というのは,私,海事代理士試験対策のページで問題の分析をした時に書いたんだけど
法律の試験と言っても実は2種類あって
「なんのことはない,条文そのものだったり,条文に対する標準的な解釈を丸暗記して,それとの文字列の一致を聞く」
知識量を尋ねる問題と
「条文に操作をくわえて解釈を行い意味を導き出す」
法解釈作業の能力を尋ねる問題があるのさ。
そして法律の形式を借りた知識量を聞く,言い換えれば暗記勝負の問題の場合は
上の問題について「AとBの両方をやらなければならない」場合には
「Aをやらなければならない」という記述を
「Bについてもやらなければならない」という理由で「×」にしなきゃいけないんですね。
(ちなみにこれが学問的ではないと私が思う理由は
 もっぱら法律学の前提となる論理操作の点からで
「Aである」という記述は「Bについては何も述べていない」から「BかもしれないしBでないかもしれないと読まなければならない」のに反し,
 Aであるという記述かでBではないと読み取っているんで,
 それはそういう反対解釈が許される状況であることが明示されない限り,アウトです。)
この時に,学問的にどうのこうのというのは
「法律が出題される資格試験対策としては」「野暮」なのです。

この場合必要なのは,出題者が示す正解・模範解答から
その試験で求められているのが「単なる知識量・文字列一致の判定能力」なのか
「法解釈能力」なのかをみきわめて
それにあわせる作業なのですね。

ちなみにきっかけとなった問題を紹介します。
平成23年度の宅建試験の第42問で
私のサイトのアクセスログ見ていたら刑法の構成要件のところをリンクしていて
試しにリンク元見てみたら宅建試験=宅建業法に刑法の構成要件の話を持ち出していて
「おいおい」と思って流れを追ってみたら……。
ネタ的におもしろかったという話。

問題は,今の私の説明に沿う形で改変しています。
原文はネット上に転がってますので必要でしたら御自身でどうぞ。

宅地建物取引業者A社(甲県知事免許)がマンション(100戸)の分譲のために案内所を乙県に設置する場合には、業務を開始する日の10日前までに、乙県知事に法第50条第2項の規定に基づく業務を行う場所の届出を行わなければならない。正しいか誤りか。

ちなみに
宅地建物取引業法
50条2項
 宅地建物取引業者は、国土交通省令の定めるところにより、あらかじめ、第15条第1項の国土交通省令で定める場所について所在地、業務内容、業務を行う期間及び専任の取引主任者の氏名を免許を受けた国土交通大臣又は都道府県知事及びその所在地を管轄する都道府県知事に届け出なければならない。
15条1項
 宅地建物取引業者は、その事務所その他国土交通省令で定める場所(以下この条及び第50条第1項において「事務所等」という。)ごとに、事務所等の規模、業務内容等を考慮して国土交通省令で定める数の成年者である専任の取引主任者(第22条の2第1項の宅地建物取引主任者証の交付を受けた者をいう。以下同じ。)を置かなければならない。
宅地建物取引業法施行規則
6条の2  
 法第15条第1項 の国土交通省令で定める場所は、次に掲げるもので、宅地若しくは建物の売買若しくは交換の契約(予約を含む。以下この項において同じ。)若しくは宅地若しくは建物の売買、交換若しくは貸借の代理若しくは媒介の契約を締結し、又はこれらの契約の申込みを受けるものとする。
一  (省略)
二  宅地建物取引業者が十区画以上の一団の宅地又は十戸以上の一団の建物の分譲(以下この条、第16条の5及び第19条第1項において「一団の宅地建物の分譲」という。)を案内所を設置して行う場合にあつては、その案内所
(以下略)

ちなみに……
この問題で単純に知識量を聞く問題にするなら
「乙県知事に法第50条第2項の規定に基づく業務を行う場所の届出を行わなければならない。」
の部分を
「乙県知事に法第50条第2項の規定に基づく業務を行う場所の届出を行えば足りる。」
「甲県知事に法第50条第2項の規定に基づく業務を行う場所の届出を行えば足りる。」
「乙県知事にのみ法第50条第2項の規定に基づく業務を行う場所の届出を行わなければならない。」
とするのがベターなんだけど
ある種の受験テクニック(限定は×が多い)で難易度が下がってしまう難点がある。
……でも正直法律の試験で解釈不要な丸暗記問題出す時点で難易度どうこう言うのが間違っているとは思う。

家主が破産したマンションの敷金

「賃貸マンションに住んでいて所有者である賃貸人に敷金を差し入れていましたが
 1年前にその所有者が破産しました。
 この度,競売によって新しい所有者が決まり
 新しい所有者と賃貸借契約を結び直しました。
 前の家主から敷金を取り返したいのですが
 どうしたらいいですか?」
……だめじゃん。

ちょっとこの案件,同時廃止には思えない。
おそらく管財人がついているんじゃないか。
管財人がついているのであれば,
第1にこの相談者が破産通知に同封された債権届出書を出していない可能性が高い。
もっとも破産法改正で債権届出をしなくていい場合ができたけど
そうであれば,そもそも配当が出せない「異時廃止」事案だ。
そして……競売になったということは
破産管財人が財団放棄したってことでしょ。
破産管財人が任意売却試みて
「抵当権者にも(おそらくは競売するよりも有利な)お金を渡して抵当権を消す。
 その際破産財団にも幾分か入れてもらう。」
ってことで破産財団を増やすことを考えるから
競売に行ったってことは前提は財団放棄したってことで
任意売却が失敗したってことなわけだ。

競売の性質は基本は「承継取得」ではなく「原始取得」と考えられている。
一般に賃借人のいる物件の売買は
単純な物件の所有権のみの売買ではなく
物件に付随した契約関係も込みでの売買だと解されるから
敷金返還義務についても新所有者に承継されるって理屈なんで
競売には適用されない。
競売の場合,新所有者に敷金返還義務は全くないわけだ。

そうなると旧所有者に請求するのであるが……。
破産しているんでしょ?
敷金返還請求権ってどう考えても破産債権だよね。
破産債権を破産手続進行中に破産手続外で回収しようとしたってそりゃあ無理じゃん。
破産者である旧所有権者には
「一部の債権者に有利・不利となる弁済を行った場合,免責不許可事由となる」って制裁があるから
絶対に弁済しないよね。
裁判で回収しようと思っても裁判は自動的に止まるし
強制執行だってできなくなる。
(まあ敷金に抵当権はつけないだろう……。)
破産手続が終わっていれば免責許可決定が早晩出るだろうし,
免責許可決定が出ればもう裁判で請求されることはあり得ないんだから
そんなのは払わないよね。
……てえかそんなのを払わなくてもいいようにするために免責を求めるんだし
  免責を求めるためには破産が要件だから仕方なく破産するんで。
しかも任意に払えば弁済自体は有効なんで非債弁済にならず債務がその分消滅するけど
下手打てば免責取消事由になるからなあ……。

だいたい責任のない債務の弁済を求めることが訴訟ではもはやできない以上
法的にできない請求をそれでも……ってえのがいかがなものか……なんだよなあ。

それ根本的に間違ってます

ほぼ全文引用になってしまうけど
そうでもしないと伝わらないので,やむなく引用する。
「学校の勉強で刑法を行っているのですが、
 以下の判例の意味がよくわかりません…
 教えていただけたら嬉しいです。

 刑法における財物取得罪の規定をもつて、人の財物に対する事実上の所持を保護しようとするものであつて、その所持者が法律上正当にこれを所持する権限を有するかどうかを問わず物の所持という事実上の状態それ自体が独立の法益として保護され、みだりに不正の手段によつて侵害することを許さないとする法意であると判示した趣旨。」

……これ判例じゃないやん。判例を手短に要約して紹介したもんじゃん。
  それを「判例」と言っている時点で勉強が足りない。

こういう書き方をしているってことはおそらく判例を特定する事項
「判決年月日・裁判所名・「判決・決定・命令」の別」は書かれているはずなんだから
そこから当該判決の原文にあたらないと。

そしてその原文を見れば
たいていは事実関係や当事者(刑事だから検察官・弁護人)の主張もわかって
それと照らし合わせて裁判所の判断読めば
下手な要約読むよりよほどわかりやすいと思いますよ。
……それでもわからなければその判例を書いて質問するだろうし。

それやってないでQ&Aサイトに投げる時点で勉強が足りないの2。

ちなみにおそらくこれは昭和26年8月9日最高裁判決,最高裁判所判例集刑事51号p363で
法で所持を禁止されている物に対する窃盗罪の可否が問題となった事案で
それでも窃盗罪は成立するよって趣旨。

地域通貨

Q「被災地復興のため被災地だけで通用する地域通貨を発行したらどうだろうか」
……何人か答えているけどおおむね否定的で,質問者若干いらだち気味。
ただ……お金というものが当たり前すぎているけど実は当たり前じゃないんだよということを考えるには
とてもいいネタだと思ったので取り上げてみる。
……「当たり前のことが当たり前でないことを学ぶ」のは国際法の真骨頂だな。

さて……
いわゆるお金の根拠は「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」。
ところがこの法律ではいわゆる通貨の強制通用力についての明文の規定はない。
とはいえ7条で「貨幣は、額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する。」という規定があり,
いわゆる硬貨(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律4条による貨幣)は
同一額面20枚まで強制通用力があると言えるし,
いわゆる紙幣(同法2条3項,日本銀行法46条1項による日本銀行券)については
日本銀行法46条2項で無制限に法貨として通用するという規定で強制通用力があることとなる。

強制通用力についてもう少し突っ込んで考えると
例えば物を売り買いして代金を支払う義務が発生したとするわな。
例えば「国際法からはじめよう」を2100円で買うことに本屋とある消費者が合意したとしよう。
その消費者には本と引き換えに2100円を支払う義務が発生する。
その消費者が2100円を支払う義務をはたすためには
2100円分の法貨を本屋に渡せばよいわけだ。
例えば1000円の日本銀行券2枚と100円の貨幣1枚を差し出す。
普通は強制通用力なんて意識しないから(偽札偽金と疑いでもしない限りは)普通受け取るだろうけど
そこで「これでは受け取れない」と断ることができるだろうかって議論をする。
答から書いちゃうと
「これでは受け取れない」と断ると
これは民法でいう受領遅滞となって
本屋の側にいろんな民法上もしくは商法上の責任が発生しちゃうのさ。
一方例えばおもちゃ屋で売っている「子供銀行」的なおもちゃのお金を差し出したって
これは当然貨幣でも日本銀行券でもないんだから法貨としては通用しない,
2100円を支払おうとしたとも評価されない(=弁済の提供がない)ことになる。
また100円の貨幣21枚を出した場合も同様。
法貨として通用するのは20倍までだから「2000円を支払おうとした」にすぎず
「100円不足しているから受け取れません」と断ってよい。
これが強制通用力の正体。
気をつけなければいけないのは,違反に対し刑罰を科すことで抑止しようってことではない点。
また当事者がいいと言えば20倍を超える貨幣を受け取ってもいいし
子供銀行的おもちゃのお金でもいいわけさ。
そのことだけで国家が介入するつもりはさらさらない……と。

ただし国家が介入してくる場合はいくつかある。
1つはいわゆる偽札偽金の類。
これは刑法148条の通貨偽造(変造)罪・偽造(変造)通貨行使罪で
無期懲役または3年以上20年以下の懲役という刑法の中では重い方の罪に問われるわけだ。
2つ目は偽札偽金とまでは言わないし,通貨として行使する目的のないもの
これは通貨及び証券模造取締法によって1か月以上3年以下の懲役もしくは1万円以上2万円以下の罰金となる。

そこで地域通貨だ。
地域通貨を「特定の地域でだけ使えるお金」くらいだという理解がある。
「特定の地域でしか使えないお金」ということ自体は間違いないんだけど
それだけでは地域通貨とは言わないんだよね。
地域通貨というのは常にいわゆる「街つくり」運動と直結している。
昔は人や物やお金の動きが今ほど広範囲じゃなかった。
その地域で働きその地域で収入を得てその地域で消費する。
お金のほとんどがその地域内で循環していたわけだ。
ところが経済の発展や広域移動が可能になったことにともない
その循環が行われなくなった。
働く場所と消費する場所が分離するようになると同時に
事業を行う側も地域とは切り離されて大都市に本拠をもつ会社が
収益だけあげて地域に還元しないなんてことが起こるようになる。
そのことで地域でお金が循環しなくなり
地方においてはお金が地方から流出する一方で
地方が疲弊していく……。
これを断ち切るために
その地域でしか使えない「何か」を発行し
それを循環させることで
その地域の経済を再生しようという試みの下に発行される「何か」が
「地域通貨」なわけだ。

ここまで書くと単純な「商品券」の類では語れないこともよくわかると思う。
商品券とは基本的には物やサービスの対価として支払に代えて使用されるもので
その部分だけ見ると地域通貨と変わらないんだけど
商品券を受け取った人は基本的には商品券発行者にその商品券を交付して通貨を受け取るんです。
その商品券を同じ地域内の別の人にお金として使うことは想定していないんです。
当然地域内での循環なんて考えてない。
地域振興券だとか定額給付金をあてこんだ商品券だとか
もしくは50円で1枚くれるスタンプだとかポイントサービスというのもこの類だね。
実を言うとシステムが崩壊した地域通貨の多くは
商品券と実質変わらないという共通点があるというのが私の認識。

さてこの地域通貨の法的性質を考えてみよう。
まず,たとえ特定地域に限定されるとしても,日本国内で通貨だとするためには
その根拠条文が必要になるから
現行法による限り通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律5条2項による記念貨幣
(いわゆる記念コインだ)だとして発行するか
日本銀行法47条1項によって新規の日本銀行券だとして発行しないといけないことになる。
(ちなみに記念紙幣に相当する規定はない。2000円札は記念紙幣ではない。)
そして特定地域に限定される法貨なんて概念は従前は存在しない以上
その概念を表す規定を別途作らなければならず……。
まあ大変だわな。

そうすると「地域通貨は法的には通貨ではない」という線で行くしかない。
仮に失敗承知で商品券だとしてとらえれば
資金決済に関する法律3条1項の「前払式支払手段」に該当しちゃうんで
まあいろんな法規制がかかってしまうわけだ。
なにせ法整備ができる前は
「とりあえず資金集めて結局破綻して痛い目見るのは消費者」ってことが結構あったから
やはりうるさいことは言わざるを得ない。
特に大事なのは「発行残高の何%かは担保として積んでおけ」という点。
ちなみに余談だけど最近多くの商品券が一定期間の後無効になっているんだけど
これは発行会社の方で担保として積んでおかなければならず
仮に死蔵されてしまうと資金がその分固定されてしまって
身動きがとれなくなってしまっていたため
発行会社を清算してしまう代わりに無効にすることを許そうってことにしたことから。
「券を発行して使われなかったらまる得じゃん」
なんて簡単な話ではないことに要注意。

で,商品券ではなく,本来の地域通貨だとすれば……
これは結構危ない線だったりする。
というのは「紙幣類似証券取締法」という法律があって
通貨的な作用をする紙については財務大臣が発行と流通を禁止でき
その後の違反については1か月以上1年以下の懲役か1万円以上2万円以下の罰金となる。
アメリカあたりだと
「何かに価値をつけること,その価値を表現することは,憲法の保障した自由であり,
 地域通貨を処罰の対象にすることは表現の自由の侵害になる」
なんて理論が対抗的に主張されているんだけど
さすがに日本ではそこまでラジカルなことを言うのは少数派で
「この地域通貨はこういう規定にはこの点で該当しないものですよ」
というあたりを狙ってやっている次第。
たいていは一種の会員組織的に合意を得た人・組織だけでやることにしている。

地域通貨をめぐる法律的な状況ってざっとこんな話なんだよね。

で,以下は余談。
私個人はもともと質問者が言っているものを「地域通貨」と称することには
すごい疑問をもっているのさ。
というのは上で述べたとおり地域通貨は
「地域経済のために地域内で循環する」ことが大前提となっているし
この大前提が崩れたものはたいてい制度自体崩壊していると言っていい。
ところが質問者はむしろその地域通貨を
地域外の人が持つことを想定しているし
しかも使われなければいわゆる発行差益を被災地のために使えるとしているわけ。
これは地域通貨と言ってはいけないし
地域通貨のために奔走している人が「誤解だ!」って声あげるレベルだと思うなあ。
……怒る人がいても不思議じゃない。

あと,これは他の回答者が指摘しているとおり
コストパーフォーマンスが悪すぎ。
地域通貨を作成するコストがかかるわけだけど
このコストには偽造防止技術が必要なわけで
これはコストアップ要因。
ことに通貨や流通性の高い証券について言うと
額面との発行差額が大きいことで
偽造物の作成コストに万が一処罰された時のコストを加えてもなお
リターンが大きいって場合が出てくるし
これに「流通性が高いほどリターンも大きい」ってことを加えると
「額面が少額だから大丈夫」なんてことはとても言えないわけ。
(アメリカドルは偽札が多いけど,もし1ドル札の偽造が一番多ければ,
 流通性が高いほどリターンも大きいことの傍証になる。)
偽造されないのは額面より素材の価値の方が大きい
地金型金貨(たとえばメイプルリーフ金貨とかウィーン金貨。額面より金としての価値の方が格段に大きい。)くらいなもの。
いったいに硬貨はコストが大きい一方で額面が小さいから偽造されにくい方だけど
それでも韓国の硬貨に細工して自動販売機に500円玉と思わせる手法が行われ
結局500円硬貨の材質変更にいたったという事件があったくらい。

事件といえば天皇在位60年記念金貨(金20g)も事件
発行前は人気が高くて抽選にしたんだけど
いざ発行してみるとうってかわって大量の引き換え残が発生してしまい
あわてて発行枚数を大幅に絞ったんだけど
コイン商が売れる見込みがないと買い取りを拒否したなんてことも起き
「発行差益(おおざっぱに言えば金価格が1g5000円でとんとん,それより安ければその分利益)
 あわよくば死蔵されることで10万円まるごど臨時収入を」
なんて目論んだ大蔵省のあてが外れた上に
大量の偽造コインが発生してしまったってこともありました。
……四半世紀たった今でも相場としては買取価格は額面どおり。

それに強制通用力を実効ならしめるために
紙幣や硬貨のデザイン変更や新規発行に際しては
「これはお金ですよ」
って大々的な宣伝活動が行われ
周知徹底が図られる。
これもコスト。

そして怖いのがやはりインフレ。
通貨の発行量が増大するわけだから慎重にならざるを得ない。
政府紙幣の発行や国債の日本銀行引受による通貨流通量の増大・財源の確保を主張する向きもあるけど
それを主張する人だって
インフレになんてならないから安心してなんて言う人はまずいない。
きちんと管理しなければ大変なことになるという点では異論はまずないのです。
これは過去の歴史から経済学を通じて学んだことだよね。
単純に考えたって「物」に対して「通貨」が増加すれば,当然通貨の価値は下がるわけで,
同じ物を入手するより多い通貨を用意しなければならなくなるのは理の当然。
でも今にしてみれば小学生・中学生でもわかることを
過去の人は実行して
そしてある意味必然的に貨幣価値の低下→インフレを引き起こしている。
日本だと江戸時代の小判の改鋳(金含有量を少なくし発行枚数を増やした)がそうだし
迷惑をかけた側としては占領地における軍票の発行もそう。
世界に目を向けると……(以下略)
だからこそ「金本位制」→金との交換を無条件に認めることで保有する金以上の通貨の発行を抑止する制度が生まれるわけで……。

なんてつらつら考えると
「利益が全部被災地のために使われる商品を開発して売る」ってことじゃなぜだめなんだろう……って思うのさ。
どうして「地域通貨」みたいな属性をつけるかな?って。
「あれもこれも」と欲張ると結局どちらも得られないって
なんか教訓めいた話になってしまうのでした。

破産管財人

Q 先物取引で多額の損失を出してしまいました。破産管財人の質問はかなりきびしいと聞いたことがあるのですが、どんなことを主に聞かれるのでしょうか?不安でたまりません。
A 破産管財人はあなたの弁護士です。厳しくありません。

……こういう答が「ベストアンサー」になるんだからなあ……。
  レフェリーがいないととんでもないことになるよなあ……。
  というか,わからないから質問しているのに,その人に答のよしあしを判断させる点で終わっている……。

ちなみに……
破産管財人は裁判所が選任するのであって
破産者の代理人(弁護士)ではありません。
……てえか普通は申立代理人には破産管財人やらせないぞ……。
  東京地裁のいわゆる少額管財でもそこまで踏み込んではいないんじゃないかなあ。

そもそも破産者(破産申立人)に財産がなければ「破産開始決定・同時廃止決定」のパターンだから
破産管財人は選任されません。

そして本当に先物取引による借金かどうかは裁判官にも破産管財人にもしっかり聞かれるとは思うけど
本当だとわかればそれ以上は追及されないと思う。
だって破産法252条1項4号の
「浪費又は賭博その他の射幸行為をしたことによって著しく財産を減少させ,又は過大な債務を負担したこと」
には先物取引は該当すると言われているんで
(この条項は投機ではない株式の現実売買に該当があるかどうかで争いはあるところだけど。)
うだうだ問い詰めるくらいなら免責を不許可にすれば足りるから。

法的な会社再建手続の株への影響

Q 会社更生法,民事再生法など法的整理が行われた会社の株券はどうなりますか
A 紙くず同然になります。

イメージとしてはそれほど間違っているわけじゃないんだけど,
なぜ紙くず同然になるかをきちんと説明していくと
実は「紙くず同然」と言いきるのも問題があるなあと思ったのでした。

ここでいう「株」というのは
株式会社に対して出資をしたことによって得られる出資者としての地位のことです。
(だから会社法的には「株式」というのが正解。)
その地位によって何が得られるかは結構多岐にわたるのですが
お金に関することだと
「継続中の会社において,利益が出た場合に,その利益の分配を受ける権利」
「会社を清算する場合において,財産が残った場合に,その財産の分配を受ける権利」
と言っていいと思います。

この時点で
「あれ?市場で売ってお金になるんじゃないの?」
って思う人が結構いると思うんだけど
(というか,そう思うからこそ,この質問になるわけで)
このことは株式の本質とは全く関係ないんです。
歴史的に言うと会社に対する出資を回収したい人と
その会社に対して新たに出資したい人が出てくるのは自然の話で
でも,会社の方としては,「出資を回収したいので返してくれ」と言われても困るわけですし
新たに出資してくれるのは会社自体は歓迎だけど
他の出資者にしてみれば上で書いた2つの分配の権利が減るわけで
簡単に認めるわけにはいかない。
というので何らかの手段が必要になる。
そこで生まれたのが株式の売買であり
さらには株式市場なのです。

だから,会社に出資したい人や出資を回収したい人がいないような場合には
売買とか市場とかは成立しません。
さらには会社がなんらかの理由で売買を禁止することだって日本ではできます。
(というか数だけ数えたら株式の売買を禁止している会社の方が圧倒的多数。
これはこれで問題なのだが……。)
そしてその最初は「会社の利益の分配」を目標にしようとして株式を買うわけです。

ところが,市場が成立するようになり
そこで需要と供給で価格が決まるようになると
もはや会社の利益の分配が主目的ではなくなります。
市場価格が安い時に買って高い時に売ればそれだけで利益が出るわけで
じゃあその価格はと言えば
まさに「この価格が妥当だと思うから売買する」とみんなが考える価格で決まるのです。

でも,これはあくまで会社に対する権利義務とは関係のない話。
会社に対する金銭的な権利としては
「継続中の会社において,利益が出た場合に,その利益の分配を受ける権利」
「会社を清算する場合において,財産が残った場合に,その財産の分配を受ける権利」
の2つと考えてよし。

そこで会社更生とか民事再生の手続が行われたとしましょう。
この手続の本質は
「会社が負った借金等の債務を
最初の条件どおりに返すことができなくなったが
さりとて破産して会社を清算するより
何らかの手だてを講じて会社を継続させた方が
債権者にとってより多く回収できるために
何らかの手だてを裁判所の介入の下で強制的に実現させよう」
というところにあります。
そしてその何らかの手だての基本は
「債務のカット」「弁済期限の延長」です。
債務をカットすれば元本が減ると同時にそれにかかる利息も安くなる。
弁済期限を延長すればとりあえず弁済資金を用意しなくてもいい。
そういうことで利益が出るようになれば
利益の中から回収できる。
そういうことが成立し
かつそれが今すぐ会社を解体清算して残ったものを分配するより有利であれば
それにしましょうってことになります。
(逆に言うと仮に債務がなかったとしても利益が出ないような会社であれば
利益からの回収が見込めないわけで
会社更生や民事再生は無理です。
また利益が出たとしても解体清算の方が有利であれば
債権者が賛成してくれないでしょう。)

ちなみに,会社更生や民事再生による会社の再建を決めるのは
第1次的には「会社から何か払ってもらう約束」をしている債権者です。
そしてこの債権者には株主は含まれないのですね。
上にも何回か書いたとおり,株主は
「利益が出た場合」「余りが出た場合」にもらえるだけなので
「利益が出ようと出まいと」払ってもらえる債権者にはならないのです。
そうすると会社更生や民事再生の是非を決める権利は株主にはない一方で
上で書いたとおり基本は「債務のカット」「弁済期限の延長」なのですから
株主は実は無関係なのです。
「利益が出た場合」「余りが出た場合」に分配しなければいけないってことは
実は
「利益が出ない場合」「余りが出ない場合」には分配しなくてもいいのですから
放っておいていい。
会社更生計画や民事再生計画が本当に「債務のカット」「弁済期限の延長」だけであれば
株主はだまって待っていればいいのですね。

ところがたいていの計画では「債務のカット」「弁済期限の延長」では終わりません。
弁済資金を捻出するために
出資のカット=減資を行うことになります。
例えばそれまで会社としては1000株発行していたときに,
900株を減らして100株にするような作業です。
この作業で株主の会社に対する権利は10分の1に減ります。
それだけ会社に対する権利の価値が下がったとは言えるでしょう。
でも,これでもまだ紙くずとは到底言えません。
10分の1になっただけです。
紙くずになったと言える場合は「資本の入れ替え」とも言われる
「100%減資」すなわち既存の株式をいわば無効化してしまう場合だけです。
そうでなければ比率が下がるとはいえ株主であることには変わりがないので
そのまま待ってうまくいって会社が利益を出すようになれば
再び会社から利益分配を受けられるのかもしれないのです。

確かにこういう状態になれば株価が大きく動きますから
株式市場では何らかの手を打ちます。
その中には上場基準を満たさなくなったとして
上場を廃止する場合もあるでしょう。
そうすると売買が著しく困難になりますから
会社からの分配をあてにせず
もっぱら市場価格の上下だけを目標にしていた人にとっては
「紙くず」なのかもしれません。

でも,ここまで説明すれば
一般的に「紙くずになった」と言えるのは100%減資の場合だけであって
そうでなければ会社に対する権利が残り
その権利をどう評価するかによって話が変わることは
容易にわかってもらえるのではないかと思うのです。
(2010年1月10日 23時39分)


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