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それは「所有権に基づく返還請求権(いわゆる物権的請求権)」に類した法理か?

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国際裁判の動態

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戦争犯罪と法

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法律の話ではないんですが……

お誕生日おめでとうございます。まさと先輩。

まさと先輩にとってよい1年でありますように。
(2010年7月4日 0時17分)

事実上倒産

事実上ではない倒産って何か
一度聞いてみたいと思っている……。
(「倒産」って法律用語では実はない。
 法律で「倒産」って語を使用しているのはあるんだけど……。
 おそらくマスコミの用法と違っていそう。)
(2010年2月18日 23時26分)

多数意見・補足意見・意見・反対意見の例

日本の最高裁判所の判決には,下級裁判所の判決と異なり,裁判所としての判断の他,各裁判官個人の意見を書くことになっています。その意見は,裁判所としての判断との関係で次のように分類されます。

多数意見
裁判所としての判断になります。結論において多数であり,理由についても最も多いものです。裁判所としての判断であることから,法廷意見ということもあります。

補足意見
結論において多数意見と同じであり,多数意見についての理由にも賛成するものの,それだけでは足りないとして理由を補充するものです。

意見
結論においては多数意見と同じですが,理由を異にするものです。

反対意見
結論において多数意見と異にするものです。なお,反対意見の中にも反対意見の補足意見や反対意見の意見というのが考えられますが,全て一律反対意見として扱います。

北海道砂川市神社敷地無償貸与事件
(そのうち事件名もかたまると思うけど,とりあえず命名してみた。
 マスコミでは「砂川神社違憲訴訟」とかいう言い方しているけど
 固有名詞として「砂川神社」という神社があり
 本件はその砂川神社に関する訴訟ではない以上
 この表現は妥当ではないと思う。
 ……実際,某新聞はそこを勘違いして訂正出していたし。)
に関する平成22年1月20日最高裁判決。
……ちなみにおもしろい判決で,既に最高裁のサイトで読めるので御一読を。
  あとhttp://www.lufimia.net/dynamic2/iken/aboutも参照されたし。

ざっくり言うと
主文は「原判決破棄→原審差戻」なんだけど
これに賛成したのは12人,反対したのは2人
ところがこの反対した2人の理由はまるで違うのだ。
堀籠反対意見の理由はざっくり言うと「違憲ではない」ということ
(ゆえに「原判決破棄の上,一審判決を取り消し,請求棄却」)
一方今井反対意見は,違憲である点について多数意見と同じで
しかももはや審理する必要はないから破棄差戻も不要であって
上告を棄却するべきだというもの。
だけど堀籠・今井両裁判官とも多数意見の結論に反対しているので反対意見と呼ばれる。

さて次,違憲か否かという点
今井裁判官は違憲だとしているのは上で書いたとおりだけど
甲斐中・中川・古田・竹内意見は「違憲」だとは判断していない。
事情のいかんでは違憲ではない余地もあり,さらに事実について審理する必要ありという判断なんですね。
一方多数意見(5名)及び補足意見(3名)は,違憲であると判断している。だけど,本件訴訟は「(地方公共団体の)財産の管理を違法に怠った」旨の確認であるところ,違憲状態を解消するために神社の撤去及び土地の明け渡ししか手がないのにそれをしなかったということまでいえないと違法であるとは言えない=他の手段の有無の検討が必要であるとして,その点の審理をさせるため差し戻すとしています。
だから,結論と理由が一致した5名(竹崎・那須・宮川・桜井・金築)が多数意見,その一致の上にさらに理由を補足した3名(藤田・田原・近藤裁判官)が補足意見,結論は一致したが理由は一致しない4名(甲斐中・中川・古田・竹内裁判官)が意見となるのです。

ちなみに余談だけど
同じ日に判決があった砂川の別の神社は1審2審のとおり「違憲ではない」として14名全員一致で上告棄却。
(2010年1月20日 23時01分)

弁護人

これは正直「マスコミ」とひとくくりにするのはよくないと思う。
業界と同じ用法の所も結構見るので……。

業界での用法は「刑事訴訟において,被告人のために活動する人」
刑事訴訟というのがミソで民事訴訟では弁護人とは言わない。
「代理人」という。

そして「弁護士」というのと区別がつかない例もまれに見受けられる。
弁護士というのは職業
弁護人というのは刑事裁判における立場。
だからA弁護士が被告人Bの刑事事件の弁護人となり
C弁護士が弁護人とならない場合
A弁護士は弁護人であるがC弁護士は弁護人ではない。
(2010年1月19日 22時01分)

拘置

犯罪を犯したとして疑われていて強制捜査の対象になっている者(=被疑者)を逮捕した後に
原則10日、延長が認められればさらに10日間、身柄を拘束すること。

刑事訴訟法では「勾留」と言うんで全然違うのさ。

どうもきっかけは「勾留」の「勾」の字が当用漢字表にないので、
当用漢字表以外の字は使わないマスコミとしては「勾」留とは書けない、
そこで「勾留された者が収容されるのが原則「拘置所」のはずやん」というので
「拘置」という言葉を編み出したという経緯らしい。

「勾留」を「拘置」に言い換えたからってどれだけ平易になっているか疑問だということからすると
当用漢字表と違って常用漢字表は「ない字は絶対かな書き、さもなくば言い換え」というものではないのだから
(常用漢字表の根拠って内閣告示なんだけど、その中でこの点は明言している。)
もはや「勾留」と言うことにしていいと思う。
思うんだけど……。

勾留は被疑者だけではなく被告人に対して行う。
さらに字は違うんだけど、刑罰の種類で1月未満刑務所に収容する「拘留」って刑もある。
なもんで、業界人サイドでは同音なのが悩みのたね。
……「被疑者勾留」「被告人勾留」と言い換えることは結構多い。
……「拘留」については手を打ってないんだけど、
「短期間刑務所に収容するのは犯罪者の更生の面ではむしろ害」というのがあって
懲役刑・禁錮刑でも執行猶予って制度があるくらいなんだから
拘留(ちなみに執行猶予は条文上あり得ない)はいよいよ実例が皆無に等しい。
どうしてもというなら拘留「刑」と言っちゃえばいいので……。

業界人の側にそういう不合理があるもんで
その点では拘置と言い換えるのもそう批判されるべきものでもないと言わざるを得ないのだな。
(2010年1月19日 22時00分)

被告

犯罪を犯したと疑われて刑事裁判にかかっている人を指しているんだけど,
正直なんで刑事訴訟法どおり「被告人」と言わないのかすごく謎。
しかも民事裁判では訴訟を起こした側を「原告」
起こされた側を「被告」って言うもんだから
「なんでおれが被告なんだ!」って怒る人が実際にいるらしい。
「被告人」を「被告」というのは百害あって一利なしだと思います。
(2010年1月19日 21時59分)

なぜ条約は国内法としての効力をもつのか

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法的な会社再建手続の株への影響

Q 会社更生法,民事再生法など法的整理が行われた会社の株券はどうなりますか
A 紙くず同然になります。

イメージとしてはそれほど間違っているわけじゃないんだけど,
なぜ紙くず同然になるかをきちんと説明していくと
実は「紙くず同然」と言いきるのも問題があるなあと思ったのでした。

ここでいう「株」というのは
株式会社に対して出資をしたことによって得られる出資者としての地位のことです。
(だから会社法的には「株式」というのが正解。)
その地位によって何が得られるかは結構多岐にわたるのですが
お金に関することだと
「継続中の会社において,利益が出た場合に,その利益の分配を受ける権利」
「会社を清算する場合において,財産が残った場合に,その財産の分配を受ける権利」
と言っていいと思います。

この時点で
「あれ?市場で売ってお金になるんじゃないの?」
って思う人が結構いると思うんだけど
(というか,そう思うからこそ,この質問になるわけで)
このことは株式の本質とは全く関係ないんです。
歴史的に言うと会社に対する出資を回収したい人と
その会社に対して新たに出資したい人が出てくるのは自然の話で
でも,会社の方としては,「出資を回収したいので返してくれ」と言われても困るわけですし
新たに出資してくれるのは会社自体は歓迎だけど
他の出資者にしてみれば上で書いた2つの分配の権利が減るわけで
簡単に認めるわけにはいかない。
というので何らかの手段が必要になる。
そこで生まれたのが株式の売買であり
さらには株式市場なのです。

だから,会社に出資したい人や出資を回収したい人がいないような場合には
売買とか市場とかは成立しません。
さらには会社がなんらかの理由で売買を禁止することだって日本ではできます。
(というか数だけ数えたら株式の売買を禁止している会社の方が圧倒的多数。
これはこれで問題なのだが……。)
そしてその最初は「会社の利益の分配」を目標にしようとして株式を買うわけです。

ところが,市場が成立するようになり
そこで需要と供給で価格が決まるようになると
もはや会社の利益の分配が主目的ではなくなります。
市場価格が安い時に買って高い時に売ればそれだけで利益が出るわけで
じゃあその価格はと言えば
まさに「この価格が妥当だと思うから売買する」とみんなが考える価格で決まるのです。

でも,これはあくまで会社に対する権利義務とは関係のない話。
会社に対する金銭的な権利としては
「継続中の会社において,利益が出た場合に,その利益の分配を受ける権利」
「会社を清算する場合において,財産が残った場合に,その財産の分配を受ける権利」
の2つと考えてよし。

そこで会社更生とか民事再生の手続が行われたとしましょう。
この手続の本質は
「会社が負った借金等の債務を
最初の条件どおりに返すことができなくなったが
さりとて破産して会社を清算するより
何らかの手だてを講じて会社を継続させた方が
債権者にとってより多く回収できるために
何らかの手だてを裁判所の介入の下で強制的に実現させよう」
というところにあります。
そしてその何らかの手だての基本は
「債務のカット」「弁済期限の延長」です。
債務をカットすれば元本が減ると同時にそれにかかる利息も安くなる。
弁済期限を延長すればとりあえず弁済資金を用意しなくてもいい。
そういうことで利益が出るようになれば
利益の中から回収できる。
そういうことが成立し
かつそれが今すぐ会社を解体清算して残ったものを分配するより有利であれば
それにしましょうってことになります。
(逆に言うと仮に債務がなかったとしても利益が出ないような会社であれば
利益からの回収が見込めないわけで
会社更生や民事再生は無理です。
また利益が出たとしても解体清算の方が有利であれば
債権者が賛成してくれないでしょう。)

ちなみに,会社更生や民事再生による会社の再建を決めるのは
第1次的には「会社から何か払ってもらう約束」をしている債権者です。
そしてこの債権者には株主は含まれないのですね。
上にも何回か書いたとおり,株主は
「利益が出た場合」「余りが出た場合」にもらえるだけなので
「利益が出ようと出まいと」払ってもらえる債権者にはならないのです。
そうすると会社更生や民事再生の是非を決める権利は株主にはない一方で
上で書いたとおり基本は「債務のカット」「弁済期限の延長」なのですから
株主は実は無関係なのです。
「利益が出た場合」「余りが出た場合」に分配しなければいけないってことは
実は
「利益が出ない場合」「余りが出ない場合」には分配しなくてもいいのですから
放っておいていい。
会社更生計画や民事再生計画が本当に「債務のカット」「弁済期限の延長」だけであれば
株主はだまって待っていればいいのですね。

ところがたいていの計画では「債務のカット」「弁済期限の延長」では終わりません。
弁済資金を捻出するために
出資のカット=減資を行うことになります。
例えばそれまで会社としては1000株発行していたときに,
900株を減らして100株にするような作業です。
この作業で株主の会社に対する権利は10分の1に減ります。
それだけ会社に対する権利の価値が下がったとは言えるでしょう。
でも,これでもまだ紙くずとは到底言えません。
10分の1になっただけです。
紙くずになったと言える場合は「資本の入れ替え」とも言われる
「100%減資」すなわち既存の株式をいわば無効化してしまう場合だけです。
そうでなければ比率が下がるとはいえ株主であることには変わりがないので
そのまま待ってうまくいって会社が利益を出すようになれば
再び会社から利益分配を受けられるのかもしれないのです。

確かにこういう状態になれば株価が大きく動きますから
株式市場では何らかの手を打ちます。
その中には上場基準を満たさなくなったとして
上場を廃止する場合もあるでしょう。
そうすると売買が著しく困難になりますから
会社からの分配をあてにせず
もっぱら市場価格の上下だけを目標にしていた人にとっては
「紙くず」なのかもしれません。

でも,ここまで説明すれば
一般的に「紙くずになった」と言えるのは100%減資の場合だけであって
そうでなければ会社に対する権利が残り
その権利をどう評価するかによって話が変わることは
容易にわかってもらえるのではないかと思うのです。
(2010年1月10日 23時39分)

private act

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戦争法

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市民権

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法の一般原則の例

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法の支配

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租借

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SDR

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先決的「抗弁」に「異議」あり

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国有化と収用

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外国語をかな書きするってことは

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事典や辞書のある幸せ

今やっている作業って「言葉に国語辞典的程度の定義を与える」ものなので
そのために国際法辞典やら英米法辞典やらを机に積み上げているのですが……。
そうやって積み上げている環境に幸せを感じてしまいます。
……作業自体は地味なので,正直幸せではないのですが……。
  あたし本当に地味でこつこつ努力って作業が苦手だもんなあ。

もっと言うと,事典・辞書の類って好きなんですね。
読むのは当然好きなんだけど
極論を言っちゃうと持っているだけで幸せになってしまいます。

というので,ぺんぎんの事務所にも自宅にも事典・辞書の類がごろごろ転がり
それでも本屋でよさげな事典・辞書を見つけるとつい買ってしまうのでした。
(2009年6月1日 23時31分)

田岡良一「国際法」新版の序 から

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安導券と安全通行証

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禁反言

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言葉的法律学縁起

法律学は言葉を大切にします。
言葉を大切にするというのはおよそ学問に共通する特徴かもしれませんが。

ところで「言葉を大切にする」と言っても、大きくわけて2種類の方向性があるんではないか……
なんて最近は思い始めています。
1つは哲学に代表される分野ですね。
先に言葉があってその意味内容を明らかにする。
もう1つは数学における定義のように
有用な概念に名前をつけるというパターン。
これは言葉が後からくるものでしょう。

法律学の主要な分野であることは間違いない「法解釈学」は
「法の意味内容を明らかにする」ことを直接的な任務としています。
制定法主義の国においては、
「法に使われた言葉の意味内容を明らかにする」ことからはじまります。
この点だけとれば「先に言葉ありき」に見えるとは思います。

しかし……。

法解釈学ですら、その教科書には法律には出てこない「言葉」が出てきます。
法解釈は「恣意的に意味を与える」作業ではけっしてありません。
できれば1つ、それが無理でも、できるだけ少ない原理から多くの法に意味を与えることができる
法解釈学はこのことを目指しています。
そのためには、法律に出てこない言葉であっても、
概念として必要であればその概念に名前をつけることは普通に行われます。
(ちなみに「講学上の概念」という言い方をします。)

法律学は「法律」という何物かを研究対象にしている学問です。
その中でも一見すると言葉が先にありそうな法解釈学ですら
実際には「言葉が先にある」学問ではないのです。
法律学一般に広げたら……もう言うまでもありませんね。

法律学は言葉を大切にします。

そして言葉を大切にするということは同時に論理を大切にしているということです。
また法解釈学に戻りますが
拙著「国際法からはじめよう」では「法律学は知識量の勝負である」「法律学は暗記である」という思想を
徹底して排除しています。
その上で「コの字型モデル」
すなわち「現実の問題を抽象化し、抽象化された事実から抽象化された解決を導き出し、それを現実の世界に変形して答を提示する」という思考を、法律学の特徴として提示しています。問題に対して直観で答を出すわけではありません。誰もが検証できる前提と論理で答を出し、それを現実世界に変形させることをその特徴にしています。

さて……。
以前からYukiWikiやperlクイズでお世話になっていた結城浩さんが、プログラマの数学という本で
数学について非常に似たことを述べられておりました。
どのくらい似ているかというと
「結城さんは「国際法からはじめよう」を読んだのか?」
と私が一瞬誤解するくらいに……です。
さらに「数学ガール」(私は日坂水柯さんのまんがの方で読みましたが)では
私に「法律学と数学って方法論が実は同じ?」と錯覚させるような記述が各所に見られました。
「例示は定義ではない」
「数学者は数学の世界を組み立てるために有用な数学的概念を見つけ出しそれに名前を付ける。それが定義。」
「定義が可能であることとその定義が有用であることは別。」
「できるだけ誤解が生じないようにするために数学は言葉を厳密に使う」
「下手をすると意地悪に見えるくらい厳しく考える必要があるんだ」
「どんなつもりで書いたのかを読みとる必要がある」
「必要なのは目だ。でもこの目じゃない。構造を見抜く心の目が必要なんだ。」
……。

数学ガールを見て
「言葉的法律学」というコンテンツは生まれました。
でも数学ガールではないので
ミルカさんもテトラちゃんもいません。
いるのは……「国際法からはじめよう」に登場するまさと先輩とる~ちゃんです。
そしてlufimia.netは「法律学における標準的な情報を提供する」ことを
第1の目標としてはじまりました。
法律学における標準的な情報が「言葉的法律学」に現れれば
それは整理されてlufimia.netに提示されるでしょう。
その意味では「言葉的法律学」は原稿にすぎません。
でも……まさと先輩とる~ちゃんの会話の中に、
法律学は言葉を大切にするということを示していきたいと思っています。
(2009年5月17日 15時17分)

お茶会はじめました

それで法律の話をる~ちゃんとするのです。


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